「巨人伝説」が生まれてきた背景には自然に対する畏怖があった!!!

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「ダイダラボッチ」と「巨人ネフィリム」・・世界中にある「巨人伝説」は何故生まれてきたの???

  私はプロ野球が嫌いではないが「巨人」と聴いただけで虫唾が走る。「巨人」に入団したがる選手は全く好きになれない。「寄らば大樹の陰」という意識が強い奴、「強いだけの精鋭チーム」に入りたがる奴は、ただただ「ええ格好」がしたいだけで「強者に立ち向かう闘争心」が根本的に欠けていると思っている。「巨人」といえば、最近、とみに若者たちに人気の漫画、諫山創の「進撃の巨人」は、私が沖縄から石垣島に向かう飛行機の中で知り合った石垣第2中学校の3年生「金城さくら」さんが余りにも夢中に読んでいたので関心を持ってしまったが、実際に漫画ミュージアムで手にして、ストーリーよりも漫画のタッチが好きではないので、第1巻の途中まで読んで止めてしまった。ストーリーはなかなか壮大らしい。

 でも、私がいろんな映画や物語に登場してきた「巨人」に関心がないわけではない。というより「興味」「関心」がありすぎて、「巨人」が登場する映画には「影響」を受けすぎてヤバイ位の気持ちになってしまう。私が17歳の高校生の時代・1964年に公開された「アルゴ探検隊の大冒険」に登場する青銅の巨像が動き出し、帆船を持ち上げてしまう画面に遭遇した瞬間は、いまでも鮮明に覚えているし、イメージの中には埴輪のような風貌の「大魔神」の目の怖さが印象に残っている。どちらにしても強烈だった。その後も「アラビアンナイト」「ナルニア国物語」「北斗の拳」など巨人が出て来ると盛り上がる。物語といえば、「ジャックと豆のつる」「ガリバー旅行記」ですね。小人の国に遭遇して「巨人体験」ができるなんて・・・でも、なぜか、小人を踏み潰してしまいそうで・・・

 私が「巨人」に関心があるのは、自分が「巨人」のサイズになって縦横無尽に暴れまわりたいという気持ちがあるわけでもないし、人間どもを踏み潰したいという気持ちが強いわけでもない。どちらかというと、「巨人」と遣り合ってみたい、やっつけたいという気持ちの方が強い。でも、中には「正義の味方」の巨人が登場するので嬉しくなってしまう。「弱者」が「強者」に挑んでこそ、そこにドラマがあり感動があるという図式が大好きである。「勧善懲悪」という古いスタイルには郷愁があるし、古き良き時代の教育観がのぞく。
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 日本の民俗学(フォークロア)の創始者・柳田國男は日本国中の民間伝承の中で「ダイダラボッチ」という巨人伝説に関して記載しているが、このダイダラボッチは物語の中で山や湖沼を作ることが多く、「国づくりの神」ではなかったのかという推論がされている。「ダイダラボッチ」という言葉の響きも大好きで、家内と「巨人伝説」について話をしていると「ダイダラボッチって地方によって全然呼び方が違うの知ってる」と教えられた。
確かに「播磨国風土記」「常陸国風土記」などによって10種類以上呼び方が違っていた。さすが、何でもよう知ってはるわ!!!

 でも、何故、こんな昔から「巨人」の登場する物語が作り作られ続けているのか・・・・そんな昔から「巨人」になることに憧れていたのか・・・・どうもそうじゃないように感じる。前述したように、ダイダラボッチは「国づくりの神」としての存在感があったとすると、巨人伝説は人間の力の到底及ぶことのできない絶対的な存在=つまり「自然の脅威」そのものではないのかという気がしてきました。今のこの文明が進んだ現代においても、自然は「台風」「竜巻」「豪雨」「暴風雨」「津波」「地震」「サイクローン」「ハリケーン」「火山の大噴火」「豪雪」「大洪水」「山火事」などの様々な脅威を人間に与え続けています。その全てを生み出す・創り出すことのできる存在として「巨人」を創造したのではないかと感じています。今後も頻発するであろう異常気象・・・・人間に優しい巨人はなかなか登場してくれないです。

そんな中でも、「風の谷のナウシカ」に宮崎駿がわざわざ登場させた「巨神兵」という存在、自らの不完全さのために「自己溶解」していく、あの最後の醜い姿を「原子力発電のメルトダウン」と同じように感じた人たちはきっと多いと思う。「原子力発電=巨神兵」を崇めるかぎり、人間に本当の幸せは訪れるはすがない。「自然の脅威」を感じながらも、小さい存在である人間は「自然」と一体となりながら、「自然に生かされている存在」としていき続ける必要があるのです。宮崎駿からの心からのメーセージを受け取ることのできない程度の感性しか持たない政治家は本当にいらないですね。

 ギネスブックには世界一身長の高い人は、アメリカ人のロバート・ワドローという青年で脳下垂体腫瘍のために22歳の若さで1940年にこの世を去っています。その272センチという記録は未だに破られていないようです。人間の、今、組織されている筋肉とか骨格は「重力」という存在に左右されて生きざるを得ないのですが、身長の限界は「274.32cm(9フィート)」と科学的に言われています。これ以上の身長になると、骨格が重力に耐えられなくなるといわれています。でも、このギネス的存在は人並みの人間より、かなり背が高いというだけで、決して「巨人」ではないんですね。巨人はやはりファンタジーの世界に登場してもらいたいですよね。

 ところで、皆さんは「巨人:ネフィリム」という存在をご存知ですか? 私はまだ半信半疑でしか、このニュースを信じていません。でも、もし本当だったらと・・・胸がドキドキします。ディスカバリーチャンネルでも映像で紹介されたことがあるので、そんなに「嘘っぽい」ということでもないのです。更にアメリカのアリゾナ州はじめ、エジプト、南アフリカ、ロシアにチベット、ギリシャなど世界のあちこちで「巨人の化石」が発見されているというのです。その巨大さは、人間の祖先とはとても思えないほど巨大なのに、頭蓋骨すら手足・肋骨などまで人間の骨格にそっくりなんですね。今後、「DNA鑑定」や「放射性同位元素による年代推定」などを是非してもらいたいですね。
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 不思議な世界をのぞいて見ると、何故か心がワクワクしてしまいます。「巨人」なんかに頼らなくて、人間は自分のサイズにあった「分相応」の生き方を、自然と共存しながら生きれれば良いのです。身体を持て余016.gifすような「巨人」にはなりたくないし、身長が10メートルにもなったら大好きなテニスも全然楽しくなくなります。巨人ネフィリムもきっと恐竜と同じように、地球環境に適応できなくなって絶滅したのかもしれません。・・・・・


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by taira710 | 2013-10-20 13:07 | Comments(0)
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