言葉を「短歌」に紡げる才能のある人は、人にも自然にも優しい!!

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 亡き母の「心の友」を懐かしむ・・そして・・淡路島再発見!!!地域活性の主役は「フランス料理」???

11月2日3日と泊りがけで淡路島訪れた。「神代地頭方」(じんだいじとうほう)という珍しい地域にその家はあった。私の実の兄の奥さんの実家が淡路島にあり、昨年、その義姉の実母が実父の死後、半年も経過しない内に「友引」のように亡くなられた。お父さんは国立循環器センター病院で9時間もの大手術をされるなどの苦境を経験されていたが、お父さんは92歳、お母さんは88歳という長命で逝去された。その方は今はもう亡くなってしまった私の母親が「敬愛」してやまなかったとても素敵な女性だった。その方の「1周忌の法要」に参加させていただいてきた。

 もう35年以上前だったが、兄が淡路島出身の女性と結婚したという関係で2度ほど訪問させていただいたことがあるが、「あまりの豪華な接待」に度肝を抜かれたことがあった。今回、本当に久しぶりに訪れて、実の兄の家族や兄嫁の家族・親族、そして、義理の姉の弟さんの家族・・私から言えば「甥・姪」の関係にある可愛らしくて愛嬌のある子供たち5人とも交流することができた。とても楽しい時間を過ごさせていただいた。

 法要の日の前日、2棟続きの大きな家なので、トイレを探して迷い込んだ「書斎」で珍しくて素晴らしい本の数々にめぐり合うことができた。本は「主」を失って今後どうなるか分からないが、「この本何!」」とビックリするような本が何冊も見つかった。どんな経路で今、ここにあるのか知る由もないが、とても不思議な感じがして、ページをめくりその世界にしばしのめり込んでいた。中身を評論するまでいかないので、表題だけあげさせていただくと「日本皇室大鑑」「米国版 対日終戦史録」(ペンタゴン作成)「日本分県地図」などである。その中で、特に熱心に目を通させていただいたのが日本郷土出版社が1999年に出版した「目で見る淡路島の100年」である。
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 まずビックリしたのが「淡路城」というお城が洲本市の三熊山の頂上に存在しているという驚き、そして昭和41年にバス事業の登場で「廃線」になってしまったという「淡路鉄道」という列車が走っていたという驚きである。鉄道ファンなら垂涎の的の「H.K.Porter製」や「O.Koppel製」の蒸気機関車も走っていたというから、乗ってみたかったなあと思う。今は高速道路と「瀬戸大橋」の登場で、淡路島の地域の状況はかなり「変化」してしまったが、「壇尻(ダンジリ)まつり」「淡路浄瑠璃」など多くの文化が土着したスタイルで隆盛していた。淡路鉄道は洲本・福良間の23.4Kmを結んでいて、「法要」に参加してくださっていた皆さんに尋ねると「乗ったことがありますよ!」と懐かしそうに話されていました。何と魅力的な「観光財産」を無くしてしまったのだろう・・・・・今は、すべて道路に様変わりして、その名残はどこにも残っていないというお話だった。

 母と「池尻千鶴さん」はもちろん親族でもあるが「親しい知己」であった「池尻千鶴さん」は昨年の11月12日、88歳で亡くなられた。実の母が健在の時、この方のことを「あんなに素敵な人はいない」と口癖のように話していたのを思い出すが、「教職一筋」に38年間も頑張られて、亡くなられるまで教え子たちに慕われておられたようだ。その方が亡くなられる前から、長年読み続けてきた「短歌」でご自分の「個人史」を作ることを生前に思いつかれて、自費出版本「きずな」を製本された。中に掲載されているのは650編以上に及ぶ「短歌」であるが、師を持たず、全く「独学」で学んでこられたと「あとがき」にある。学生時代を詠んだ短歌は、その学生時代に詠まれた歌を挿入されるなど、その時、その時代を見事に反映していて、その時の感性がそのままに蘇るような構成になっている。

 「短歌」の秀逸さも素晴らしいが、「経時的」「年代順」「画期的な出来事」「季節感」などをテーマにまとめられていて、その時の心境が「如実」に表現されていて、時折「涙が滲んできそうな」感動を覚えてしまう。そのなかで、特に「心に染みた作品」を20編ばかり「紹介」させて頂きたいと思う。なかなか「選出」に苦労するが、確かに千鶴さんは何千という「短歌」を詠まれてきたと想像できる。その中から特に「お気に入り」を収録されているのだから「優劣」を付けるのは素人には難しすぎる。でも、敢て「挑戦」して、下記の20編に絞り込むことができた。一番「感動」させてもらったのは、結婚して50年以上連れ添ったご主人が心臓の病で大阪吹田市にある「国立循環器病センター病院」に手術のために入院された時の「歌」である。

1.「命拾いて」   もの言えば涙あふるるたかぶりに面背けつつ眼閉じいつ
         「おとうさん具合はどう」と今日もまた声かけくるる嫁は明るく
2.「杳(とお)き学び舎」 なつかしや辨当箱の蓋に茶を注ぎ廻りし昼の当番
               全寮のくらしに入りしその朝(あした)あわじ訛(なまり)を笑われひるむ
厳しさもひもじさも耐え五年(いつとせ)の学業卒(お)えて教職に就く
 昭和14年(1939年)に兵庫県明石女子師範学校に入学され、昭和19年に卒業されている。

3.「障害児を担当して」 ベル鳴るも席には見えず探したる児は校門前の駄菓子屋に居し
               ある時は強く??りて共に泣きし身障児とのかかわり愛(かな)し
4.「職辞して」       聖職の名にしばられて務む日の心満たざることもありしよ
5.「灘の山道」      いたずらに背伸びなさず季節(とき)くれば灘の山道野花咲き満つ

6.「霊験あらたか」    むっつより遠き道のりひたすらに古き歴史の大師訪ねし
 母に連れられて日の丸弁当を背に藁草履(わらぞうり)をはき、朝4時に出発、帰宅は夜9時を過ぎていた。

8.「梅雨」          どくだみの白き十字に雨そそぎ空地の隅を占めてはびこる
9.「千回祈念を終えて」   見上ぐれば観音の目は真っすぐに吾を見下ろす慈母の如くに
10.「終戦記念日」 おろかなる戦に散りし義弟の声なき声を吾如何に聞く
11.「遍路の旅」        忍従のひと世を語り夜は更けぬ高野の宿に時雨やさしく

12.「ハワイへの旅」  青き瞳の語り女声をつまらすも真珠の湾は藍深く澄む
13.「老いのけわしさ」    すべのなき老いのけわしさ思いつつたどる畦みちに露草の咲く
14.「子の婚」        おこないを正さなければ言い訳に過ぎぬと聞かすわが娘であれば
15.「孫の誕生」        娘婿「やったぜかあさん」とはずむ声待ち望みたる桃太郎の「良」 

16.「古希にして」      ただならぬ夫の力量今更に改め気づきぬ古希を迎えて
17. 追憶「征きし兄」 召集の礼状見据え立ちつくす兄の思いははからざりけり
               水恋いて縡(こと)きれ給う戦友に一滴の水を手向けしとあり
18.「阪神淡路大震災」   地震(ない)やまずうから忰(かじ)かみ夜明け待つ昨夜(きぞ)の寒月照せしは何              
どうしても22編になってしまった。それでも、まだ心残りがある。最後に「背すじ伸ばして」の項目に捨てがたい「歌」があった。池尻千鶴さんの「座右の銘」のようである。

  幼より心に刻むはただ一つ「人事を尽くして天命を待つ」 私の亡き母親よりも11歳お若くいられたが、母が敬愛して止まなかった「人間愛」に満ちた女性で、数多くの歌の中に彼女の生き様、気持ちが見事に描写されている。人に対する思いやり、子や孫に対する愛情深さ、自然を慈しむ心、老いに向き合う毅然とした姿勢、そして「平和を愛する」ゆえの「反戦」の意識・・・・・


その彼女の「歌碑」が淡路島の「千光寺」の境内に建立されているという。その歌詞は

   
       「 辛苦超え千回祈念成し遂げぬ慈悲もろ人にみ恵み給え 」
である。

何故、彼女の歌碑が建立されているのかと言えば、比叡山延暦寺の「千日回峰」という荒行まではいかないが、自宅から何キロも離れている標高448メートルもある先山の頂上にある「千光寺」にまで毎月、それこそ8歳の時より80年間のあいだに「千回」登ってお参りされるという「難行」を達成されたという「ご縁」があってのことと思っている。何と四国巡礼はもとより「高野路」「西国路」「小豆島路」「秩父路」などを全てご遍路されているのだから、家の中にはご朱印を貰われた掛け軸がお仏壇の周囲にかけられている。今回は日程・法要という関係で、千光寺さんにお参りして、その歌碑を間近に見るということは叶わなかったが、是非、次の機会の「楽しみ」に残しておきたいと思う。

 人間というのは「親族・親類」であっても、その「存在の素晴らしさ」に迫れる・触れる機会は少ない。今回は偶然に近い形で、もう亡くなってしまわれた「池尻千鶴」さんという女性・人間を少し深く知ることができて、とても嬉しく思っている。彼女の長女(私の義姉)、長男さんの家族の皆さんや親族の皆さんといろいろと交流させていただき、法要の後の「集いの時間」にも楽しい会話ができた。
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 その集いは、洲本市の由良港のそばのちょっとした高台にある「レストラン シャルティエ」で開かれた。
「淡路島の幸 海鮮フランス料理」を看板にされている。シャルティエとはフランス語で「底引き網(トロール船」のことである。フランス料理が「会席料理」のように提供されてくる。隠れた名店ということで有名だしシェフの「成瀬孝一さん」は無口(六つの口)の持ち主で、わざわざ席まで挨拶にきていただけたが、とても楽しいお話を聞かせていただいた。勿論「海鮮フランス料理」は絶品だった。

 淡路島は「明石海峡大橋」と「高速道路」ができてしまって、それまでの観光客の流れに大きな変化が出てしまっている様子。でも「目で見る淡路島の100年」を見ていると独自の活性化された「文化」があったことが分かる。どの地域も疲弊してしまっていると嘆いていても始まらない。阪神圏から近く、こんなに素敵な観光地があるのに、こんなに歴史がある風景があるのに、こんな美味しい「地産地消」の食の名店があるのに・・・きっと人々を魅了できる「きっかけ」「アイデア」があれば・・・・だって「B級グルメ優勝」でどれだけの観光客の増えた地域があることか・・・・・「淡路島七福神めぐりの旅」「たまねぎ農業&グルメ体験」「サイクリングゴースの整備」など工夫はされている。でも、保津川・嵯峨野のトロッコ列車・錦町鉄道のトコトコ列車のような子供たちを惹きつける要素が欠けているのでは?小豆島の「寒霞渓」の紅葉シーズンのような賑わいの名所は・・・「水仙」だけではなく、日本人なら「四季それぞれの景色」を楽しめる場所を作らなくては・・・

 池尻千鶴さんの生まれ故郷は「三原郡南淡町」である。昭和59年に退職されているが、38年間にわたる教職で教えられた人たちは、まだまだ若いし、その次の世代の子供たちも若い。きっと自分の生まれ育った淡路島が教え子たちの活躍で、もっともっと「平和な島」「楽しい島」「賑やかな島」になることを願っておられたのではないでしょうか。「もろ人にみ恵み給え」の気持ちそのものだと感じている。最愛のご主人とは私がこの世に
生まれた「昭和22年(1947年)」に結婚されている。人生の大先輩のお二人は「天国」で再会されて、きっと笑顔で過ごしておられることと思う。

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by taira710 | 2013-11-04 17:46 | Comments(0)
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