15歳の少女からこんなにも沢山のものを学べるなんて・・・!!

2014-03-17056.gif056.gif056.gif056.gif056.gif072.gif

 

 アンネ・フランク」は日記だけじゃなくて、「童話」も書いているんです!

彼女の人生から何も学べない人間がいるなんて・・・・情け無い時代だ!!!

 

 「アンネ・フランク」の15歳の少女の苛酷な人生は、きっと今の飽食の日本に生きている若い人たちには【正しく】理解できないのではないかと思うことがある。2年1ヶ月の期間、ナチの【ユダヤ人狩り】に怯え、家族以外の人間とも「隠れ家」に住み続け、結局、終戦の直前に【密告】され、ナチの強制収容所に移送され、3歳年上の姉の後を追うように「チフス」に罹り死亡せざるをえなかったという一人の少女の悲惨な人生を著した世界を・・・・何故、破り捨てるような行為に出なければならなかったのか。・・・こんな人間はこの世にたった一人きりで十分である。

 

 多分「無知」からスタートしているんだろうと思う。インターネットの【捏造】された情報は本当に酷い。少なくとも真面目に勉強してこなかった人間は、そのような「捏造された悪意のある情報」に容易に左右され、まるで「洗脳」されたかのように、その情報が真実だと思い込んでしまう。現在、公に出版されているアンネ・フランクに関する書籍は「真実」が描かれていると・・・信じたい。小学館から出版されている【写真でつづるアンネの青春記録-アンネのアルバム】と【完訳・アンネの童話集】(木島和子:訳)の2冊を最近読んで、何十年ぶりにアンネ・フランクの書物に触れて、改めて感じたことをいろいろと書き連ねたいと思っている。

 

 「私はどのようなことがあっても人間の善を信じたい」「戦争が終わったら、この世界と人類のために働きたい」という言葉を残している前向きな少女、いつも周囲を巻き込んでおてんばだったユニークな少女、本が大好きで好奇心旺盛な少女、お喋りが大好きで「アヒルのがあがあおばさん」というニックネームを担任の先生に付けられたりしていた少女・・・・そんな彼女が何故に「隠れ家」に住み続けなければならなかったのか?

 

アンネ・フランクは1929年6月12日ドイツのフランクフルトで生まれています。父はドイツ系ユダヤ人で銀行員、代々裕福な家庭に育っています。まるでお城のような大邸宅に住んでいた時代があります。ところが、不幸な運命は、その彼女の誕生から4年後、1933年1月にヒットラーがドイツの首相になり、ゲルマン民族至上主義を掲げて「ユダヤ人狩り」を始めたことから始まるのです。父親のオットーはドイツ陸軍の中尉を経験していたし、情報も収集していたので、ただならぬ事態を予期していました。スイスに逃げるにしても【ドイツ軍の警戒網】を突破することは無理に違いないと判断して、オランダのアムステルダム市内に【隠れ家】を作り、そこで終戦を待つという選択をしたのです。かなり事前に準備されていたし、周囲には「信頼できる人たち、隠れ家生活を支え続けてくれた人達」がいて、その隠れ家生活は何と2年1ヶ月も継続されたのです。

 

d0323161_19482345.jpg

 1940年5月、ドイツナチスがオランダに侵攻し、街中で【ユダヤ人狩り】が始まったのです。窓のすき間からその雰囲気・様子を目の当たりにすると、もはや「恐怖」以外のものを感じないのじゃないのかなあと思います。4階建ての建物の3階・4階に住み続け、物音を立てないように最新の注意を払い、外出も全くできないのです。そんな「閉塞状況」を救ってくれたのが、お父さんが買ってくれた「日記」を書き続けることと、【童話】づくりという想像の世界を広げていく作業・楽しみだったのです。大抵の人達は「日記」については知っていると思います。もうひとつ「童話作家」としての未来、14歳~15歳で「このレベル」の作品、それも好奇心いっぱい「愛」があり、ストーリーとしても楽しく、「アンネ・フランク」が本当に大人になっていれば「人類の平和」の為に、本当に貢献される仕事をされていたように思います。たった数ヶ月の違いで、そして「心の無い密告者」の存在の為に、失ってしまった1/600万人の「存在」は余りにも大きかったのではと悔しさが溢れ出てきます。

 

 ユダヤ人ならびにユダヤ教信者の全ての公職からの【追放】、そしてユダヤ人への物品・食料の販売禁止・・こんな「恐ろしい世界」を作り上げることにどれだけの人間が協力してしまったことか・・・「ゲシュタポ」という秘密警察の存在は、人間を極度の「人間不信」に陥らせるのです。「恐怖」による支配そのものです。

アンネ・フランクはゲシュタポに捕らえられ、愛する父母と引き離され「ベルゲン・ベルゼン収容所」に移送され、劣悪な収容所環境で「チフス」に罹患し、1945年3月31日15歳10ヶ月で死亡するのです。その僅か【1ヵ月後】に元凶のヒットラーが自殺するのです。その年の8月15日に【日本】も降伏するのです。

 

 秘密警察が隠れ家に踏み込んできた時、父親のオットーはアンネから頼まれて、彼女の日記やノートを大事にカバンに保管していたのですが、ゲシュタポはそのカバンを逆さまにして、中から日記帳やノートが出てきた時に「金目のものが無い」ことにがっかりして、床に散乱させたまま、オットー一家を連行してしまったのです。その際に、アンネが日記やノートに駆け寄っていたら、ゲシュタポは「ナチの犯罪的行為を告発」する力を持っていた【日記】などを間違いなく押収し、焼き払っていたように思います。日記は1944年8月1日で途切れてしまっています。8月4日に秘密警察がやってくるまで、アンネは本当に信じられないような【恐怖】におののいていたんだと思います。

d0323161_19444467.jpg
 

 フランク一家を献身的にサポートし続けていた秘書の「ミープ・ヘンク夫人」とタイピスト「リース」さんたち、そしてミープ夫人はフランク一家が逮捕された日の夕方、その隠れ家を訪れ、床に散乱した「日記・ノート」を大事に保管し続けていたのです。そして、本人の【アンネ・フランク】は死んでしまっていたのですが、オットー・フランクが収容所から【帰還】した時、その「日記・ノート」を手渡したのです。そして、1947年、私がこの世に生まれた年に、遥か遠くオランダでアンネの日記「裏の家」という題で初版2000部が出版されたのです。

 

 「ゲシュタポに見つかったら殺される!」と感じながら、日々を生き続けた少女が、尚も「夢」と【希望】を思い描いていた・・・・ 私は、つい先日、〇〇中学校卒業して行った129名もの中学3年生を見送りました。その子供たちの事を考えながら、同じ中学生の2年1ヶ月という間、【ユダヤ人狩り】に恐怖に覚えながらも【隠れ家生活】の中で、日記を書き続けたり、さらに「童話」という創作の世界へのエネルギーを持ち合わせていた「この少女」への敬意を禁じえません。普通の日本ならば「義務教育」の重要な時代です。

 

 私は、【アンネの著作】を引きちぎった・破った人間に対して「情けなくて呆れてしまっている」というのが正直な気持ちですが、結局、私もその一人になったのですが、マスコミがこの事件を取り上げて、国際的にも注目を浴びることによって、改めて、今、この時期に「アンネ・フランクへの著作」に関する注目が集まって、まだ読んだことの無い若い人たちに読んでもらえる機会になって欲しいと思っていますし、「戦争」がいかに悲しい事なのかを、改めて「自覚」してもらうためには「最適の教材」ではないかと思っています。私も、この年になって、アンネ・フランクの15歳の少女の書いた「童話」に感動してしまっています。

 

 「妖精」という題名の素晴らしい「童話」の一部を紹介しておきたいと思います。

「エレンはたとえひとりぼっちになったとしても、自分の人生をすばらしいものにできることを悟ったのです。それと、人は自分がたとえ、どんなに貧しくても、なお人に有形無形のプレゼントができるということも。エレンが年老いた妖精となり、天寿を全うして亡くなったときから、この地上には悩みや悲しみがふえました。けれども、エレンの心は、愛は消え去ったわけではありません。人々が眠りにつくとき、彼女はみんなに安らかな夢を与えに、天国からもどってきます・・・・・・・」   (1944年5月12日創作)

 

053.gif056.gif053.gif056.gif053.gif056.gif057.gif 

 


[PR]

by taira710 | 2014-03-17 19:55 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)
line

人生は旅、仕事も遊びも旅さえも旅気分で楽しもう!!


by PEACENIK平ちゃん
line
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31