花見は「飲み食い」の宴が不可欠・・・花見で遭難することはない???

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 桜満開の時期に・・・・どうしてか調べておきたいことがあった

「遭難時救出費用」は誰が負担するの・・・・ということは、「請求額」は?

 

 もう「春」です・・・・「桜」が満開です。テレビでは天皇陛下のご意思で、皇居の乾通りの桜が一般公開になったというニュースで盛り上がっていた。「恒例」ではないということであれば、それはそれは「桜好き」の人たちにとっては是非観覧しておきたい「桜」に違いない。先日も知人と「桜」の話をしていて、私は「満開の桜」は実は好きではないのです。「桜色」・・・「しだれ桜」の色、いろんな色の桜があるのに、桜が満開になると「色にむせる」というか「圧倒される」というか・・・・「風情」を通り越している様が嫌になってきます。

 

 茨木市の桜通りは本当に「桜」が美しい・・・・・摂津市だって捨てたものではない。「通り」と言えるような有名な場所はないが、小さな小ぶりの「公園」がなかなか美しいのだ。摂津小学校の「桜」も本当に素晴らしい。もちろん「満開」だったが、今日は嬉しいことに風がかなり強く、満開の桜が「花吹雪」そのままに散りまくっている様は、なんとも「風情」があって宜しい。尋常の散り方ではなかった。普通は小学校への無断立ち入りはできないが、余りに桜が「絵」になっていたので、「散りまくる」桜をカメラに収めたくて、裏勝手口から入らせてもらった。広い運動場の周囲には20本近くの立派な桜の木が植えられていて、それが一斉に咲き誇っている状態は壮観だし、不思議なことに桜の木と桜の木の間に、これまた大きなクスノキが剪定されたまで、立派な枝ぶりだけを誇示している様との対比が何ともユニークで良かった。

 

 もう一箇所、実は私が3年前に働いていた「せっつ桜苑」という特別養護老人ホームのすぐそばに、その公園はある。15メートル四方くらいの大きさの公園で、その公園の入り口には「さくら公園」「ちびっこ広場」の看板表示がされている。その公園の桜の枝ぶりと「さくら公園」を包み囲むように、見事に桜の木がその公園を暖かく囲んでいるのです。その公園のある町名も「桜町」ですから正真正銘の「ほんまもん」なんですよ。

桜が満開になる時期になると、テレビ各局が現地からの「さくら中継」をしてくれるので、それはそれは樹齢300年と言われるような「立派な桜」が日本の各地に存在する。私は「大木・巨木めぐりの旅」をしたいと思っているので、大きな立派な木は大好きだが、・・・「普通」が集まっているのもまた良いのだ!!!

 

 これから、「6日」「8日」「12日」と「花見の宴」を予定しているのに、「散りきってしまった桜」はまた寂しい。しかし、まだ大丈夫だし、私の大好きな桜の状態は「青葉」の混じる「葉桜」の様である。薄ピンクの桜の花弁と明るい緑の新葉と昼間は真っ青な青空を背景に見上げる桜の風情は最高である。

 

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 「花見」と言えば、未だに家内の和美さんに嫌味っぽく言われることがある。もうかれこれ3年ほど前のことである。4月の桜の満開の時期、無性に家内と「花見」に行きたくなって誘ってみた。前もって声をかけておかないとなかなか「YES」と言ってくれない女性である。いろいろと本人独自のスケジュールがあるようで、スケジュールの「柔軟性」には欠けることが多い。珍しく「そうね!天気も良いし!」と素直にOKしてくれた。その日は別に遠出をするわけでもなく、前述したように攝津市には桜の「穴場」が多く、近場の「桜の綺麗な場所」を歩きたいだけだった。ただ・・・・・その花見散策の際にライフで購入した「巻き寿司」と

「缶ビール」を必需品のように持参していった。ところが、花見に出かけると・・・これは、もう直ぐに腰を落ち着けて「飲みたく」なるし「食べたく」なる。近所の庄屋公園まで出かけて、ものの10分程散策して「ビール飲もうぜ!」「巻き寿司食おうぜ!」と言ってしまった。巻き寿司を食べて、缶ビールの味わいも最高だった。ところが、家内の和美さんにとっては「花見」とは「食べること」でもなく「飲むことでも」もなく、桜という儚く散り行くまでの数日間の「桜の花弁」の美しさを心から愛でる「心意気」だと思っておられたようです。

 

 この「花見」以降・・・・・私が「花見」に誘うと「また巻き寿司と缶ビール持って行くの?」と嫌味に尋ねるようになった。まあ、いいか・・・・・「自業自得」という言葉がぴったり・・・・そもそも百人一首をすべて暗記しているような女性の「美意識と美学」にはなかなかおいそれとついて行けるはずもない。もし、6日の日が花見にぴったりの天気であれば「和美さんとの花見」に行けるかもしれない。勿論「缶ビールと巻き寿司」は忘れてはならない。

 

 花見の話はこれでおしまい・・・というか、今日一日の「突風」でかなりの花弁が吹雪のごとく宙を舞っていました。ピンクの絨毯の上をピンクの花弁が舞い続けていた「瞬間」をカメラに収めました。どこの「桜」も決して一緒じゃありません。それぞれの場所のそれぞれの趣の中に「桜の木」は存在します。ここ1週間がきっと一番私の好きな「桜のシーズン」になるに違いありません。

 

 ところで・・・私には自分に課した「宿題」がありました。平成25年から平成26年にかけての「冬季」には「桜の木」は寒さに耐え、その枝の先は「青空」を向いていた。春を訪れを待っている「桜の木」が日本中にあった。そんな時期に突然の天気の変化で「冬山で遭難」というニュースが何回も放送されていたように思います。標高から単純に考え「軽装備」ど観光気分訪れていた人たちもいました。私はD大学のワンダーヴォーゲル部で2年間活動していたので、本当に「しごき」に近い鍛え方をされましたが、その厳しさが何故必要だったのか・・・・山の天気の変化の早さ、厳しさは「人間の命」を簡単に奪ってしまうほど激しいものであることを身にしみて感じることができたからです。「防寒対策」がどれだけ重要であるか、非常食の携行がどれだけ役に立つか・・・・体力を温存する「行動」がどれだけ命を永らえることができるか・・・・つまり、ワンダーヴォーゲル部で先輩から教えられたことは「自分の命は自分で守れ!」という生命哲学そのものだということだったのです。

 

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 「遭難」の事件を「ひとごと」のように「論評」するつもりなどまったくありません。でも、山登り・登山の最低原則を守ろうとする姿勢さえあれば「遭難」するなんてことは、そんなに簡単に起こらないんです。天気が悪化して「退避する」「ビバーグ」するってことは「遭難する」と意味が違います。・・・「冬山遭難」のニュースが話題になった時に、ある知人女性が尋ねたことがありました。「遭難したときの費用って誰が払うの?」という質問です。勿論「家族が全額払わないといけないと思いますよ」と一般常識として答えたつもりなんですが「人道的には救助しなくてはいけないんでしょうが・・・家族は断ることはできないんでしょうね。社会的に・・人道的に許されないですよね・・・・」「でも、何百万って請求されるんじゃないんですか?・・・」

 

 山岳登山協会関係者は「救助費用は数日でも数百万円かかります。保険をかけるのは登山者の義務であり、最低限のマナーです」と発言されているのですが、これは「民間」に依存した場合ですが、警察・消防・自衛隊などに依存した場合は、もちろん公費負担で税金が使用されるのです。長野県だけに限定しても、年間の遭難者数の総数は「250人」に及ぶこともあり、その経費総額は25億〜30億円にも上るとされています。長野県には「救助費用の公費負担」が法文として明記されているそうです。でも、スイスでは「全額有料救助」とされています。イモトがマナスルで遭難していたら「多額」の費用をテレビ局は請求されるリスクがあったということです。しかし、列車などへの「飛び込み自殺」は、その当該列車の走行していたダイヤの過密度などによって異なるのですが、自殺者本人あるいは遺族へその請求がいきます。前例として400万〜1000万円の請求がされています。2両編成と10両編成とでも請求額の差があり、都市線とローカル線とでも大きな差があるようです。家族に「借金・負債」を残すような死に方はいけないですね。

 

 何はともあれ、「桜」のシーズン、儚い桜と「儚い人間の命」と思わせるような「遭難死」や「自殺死」・・・もっともっと「命」に対して人間は貪欲であるべきです。自分が作った命ならそれでもいいでしょうが・・・人間の命は「生命の不思議」から与えられるものです。桜のような潔い散り際は文学的に美しいかもしれませんが、人間にとっては「いかに生きるか!」を課題とし、その結果「悔いのなかった人生」を歩んでこれたのか・・・・・それが「散り際の美学」だと思っています。

 

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by taira710 | 2014-04-05 12:42 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)
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人生は旅、仕事も遊びも旅さえも旅気分で楽しもう!!


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