清貧という言葉は美しい・・・漢字に多くの日本人が美しさを感じている!!

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 「田植え」の季節が始まった・・・でも「早乙女」はどこにも見かけない!!!

でも、日本人は「米」と共に育ってきた・・・TPPの行方は???


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私の勤務している中学校の周囲は、かなり広い田畑が広がっている。畑の土が耕され、肥料が撒かれ、整地されて、水が引かれて「田植え」の準備が整ってきた。昨日、中年の夫婦らしい方が作業に来られて、昼の時間「苗植え機」・・・という名前が正式なのかどうかしらないが、長方形に成型された「稲の苗」を3つほど積み込んだ機械が、男性に押されて動き出すと、何とも見事に2列にイネの苗が植えられていくのです。その25センチ程の間隔は大人の人間が歩くにはかなり狭く感じるのですが、男性はその間を植えられたばかりの苗を踏みつけないように、実に上手に進んで行くのです。いや、これは正直,慣れていないとなかなか難しいですよ。苗を長靴で踏んでしまうかもしれないし、下手をすると初心者は足を泥に取られて転倒しかねないくらいの不安定な印象を受けてしまいました。

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 多分,ご自分の家で食べるために作っておられると思っているのですが、畑作りが一段落すると、入梅前には「田植え」を完了する必要があります。昔は田んぼの中に入って、腰には「苗の入った器」を持ち、1列に並んで、寸分の狂いもないほど見事に苗植えをしていく「光景」をあちこちで見かけましたが、今は、「高齢化」が進んだ影響が強いと思うのですが、どこでも機械化が導入されています。

 皆さんはご存知ですか?・・・・「早乙女」(さおとめ)という言葉を? 日本語には「昭和時代」と比較して、驚くほど多くの「言葉」が『死語』になってしまっている事実を!・・・かなり話の本題が飛んでしまうのですが、毎日放送で木曜日の夜に放送されている「プレバト」(プレッシャーバトルの略)とのことなんですが、これはなかなかシビアーな番組で、「料理」「音感」「俳句」などの分野で、自分の技量を表現して、その世界の一流の先生に審査・添削してもらうんですが、先生方の『辛らつな批評』がこれまた面白いし納得できるし、さすがに「一流」とは違うなあとつくづく思うのですが、その中の「俳句部門」での「夏井いつき先生」の言葉のセンスが素晴らしくて、『いろんな言葉』を知っていることが、どれだけ『感性』を豊かにしてくれるものか、いつも感心して見ています。

 少し遠回りしたようですが、俳句の世界には「死語」がないような気がしますが、やはりひとつの「表現」なので、多くの人たちが知らない『言葉』を使用すると、それなりにリスクは出てくるように思います。ひとつの情景から感じるものを「俳句」という17文字に凝縮する。言葉の順序やより的確な『言葉』より新鮮な「表現語」を採用することによって、まさに目を見張るような変化が現れてくる。そんな夏井いつきのような「言葉の鉄人」にとっても、私のような「ロマンチスト」にとっても「早乙女」という言葉はとても魅力があります。

 「早乙女」の季語はまさに田植えのシーズンの「夏」です。田植えをする若い女性の意味で、昔は農業は一家総出で田植えをしたり収穫したりしていたので、農家の若い女性たちが、田植えの襷(たすき)がけした扮装で泥田に入っている光景は普通に見受けることができました。

   

早乙女や泥手にはさむ額髪  

 若い農家の女性が田植えをしながら、額に汗をかいている。その汗を拭おうとしたら否応なしに泥がいっぱいついた手の指の間に額に伸びていた髪の毛が挟まれてしまう・・・そんな光景!

この俳句は1865年(慶応元年)生まれの「村上鬼城」という俳人の一句です。またまた脱線するのですが、この村上鬼城は耳が不自由ながら、結婚して10人の子宝に恵まれるが、生活は困窮し、弱者や病気への苦しみなどの独特の『倫理観』が形成されていて、俳句に様々な存在に対する「憐れみ」「悲しみ」「哀しみ」が表現されていて、彼の座右の銘をとって「心耳の詠み人」と言われている希少な俳人です。

  冬蜂の死にどころなく歩きけり

  闘鶏の眼つぶれて飼われけり

  鷹のつらきびしく老いて哀れなり

いささかの 金ほしがりぬ 年の暮

五月雨や 起き上がりたる 根無草

 想像するだに悲しいですよね。それぞれの句のが読まれた光景が眼に見えるようですよね。でも、彼は74歳まで長生きしているので、きっと家族や人々に愛されていたのだと思います。

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 プチ情報を言うなら、「早乙女」という名前は全国にある名前ではなく、栃木市を中心に栃木県南部に極端に集中している名前らしいですね。それはさておき、前述した俳人の夏井いつきは郷里の愛媛県で中学校の「国語教師」として教育に携わっていた時期があり、1988年に教職を辞して「俳人」としての人生を選択している。1997年以降、俳句集団「いつき組」の「組長」として全国の小中高生を対象とした俳句教室を開催したり、「俳句甲子園」「100年俳句計画」など精力的な活動をされています。エッセイストとしても有名で、特に「絶滅寸前季語辞典」という著作は、日本語辞典から「洗練された日本語」が絶滅危惧種同様に消えていってしまっている現状を憂い、問題提起をされています。

 以前のブログでも書きましたが、今まで生まれてきた数多くの「日本語」にはそれぞれのルーツがあり、その言葉が生まれてきた「背景」が必ずあると思います。枕草子や徒然草のような古典は教科書で教えられていますが、古文までを日常的にも大事にしたいなんて思っていません。しかし、一番の問題は、余りにも存在している数多くの「漢字表記の言葉」が、テレビの文字放送の画面でどんどん「ひらがな書き」され、何とも「中途半端」な言葉になってしまっていることです。「薔薇」は「ばら」、『憂鬱』は「ゆううつ」あるいは「憂うつ」、「坩堝」は「るつぼ」


「気障」は「きざ」、・・・・いや、もうキリがないほど、66歳の私でも知っている「日本語」が消えていってしまっているように感じるのです。俳人にとっては、まさに「死活問題」だと思います。昔の大工にとっての「カンナ」や「ノミ」などの大工道具が職人の命だったと同じように、作家や俳人など「言葉」を表現の手段にしている人たちにとっては、由々しき問題だと十分に想像できます。

 これは「少数民族」は併合すれば良いんだという考え方、「寄らば大樹の陰」・・時代の流れには逆らえない・・・・それが当たり前・・・とんでもない。国民は誰一人として、この世の中から「この漢字は画数が多すぎるから消してくれ」なんて言った覚えはありません。一体、何を根拠にこのような「風潮」を作り出すのでしょうか。文部科学省の「国語審議会」は何を考えているのでしょうか・・・・・「言葉」を抹殺すると「文化」は間違いなく軟弱になってしまいます。グローバル化は勿論必要です。でも、自国の文化を蔑(ないがし)ろにしていると、とんでもない悲しい結果を導き出します。TPP交渉もとんでもない「妥協」をすることでしょう・・・

 日本には「早乙女」という美しい言葉があります。しかし、現実世界には「早乙女」はイベント程度でしか見かけないですが、だからといって「早乙女」という言葉を絶滅季語にしてはならないのです。言葉は「想像力」の宝庫です。「漢字」で表現されてこそ、その「深み」「広がり」「厚み」「繊細さ」などが表現され、人の心に感動を与えるのです。何でもかんでも「ひらがな表記」にしようとする企みは阻止しなければいけません。俳句・短歌・詩・川柳は日本文化の集約された表現形態です。ここからスタートしてでも良いですから、「日本語」を日本人の手に取り返しましょう。

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by taira710 | 2014-05-31 01:30 | 人生こそ旅の連続!! | Comments(0)
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