2014年 01月 10日 ( 1 )


小倉百人一首から自分で選んでみた【正雀十三人一首】とは・・

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 「小倉百人一首」って「知らなかったこと」がいっぱい・・・新しい世界がまた広がった!!!

 

  国語の時間の中学1年生への「冬休み」の課題のひとつに「百人一首の中から好きな短歌を二首選んで、習字で半紙に清書してくること」があった。そして、新学期も始まり、今日、1年生の各クラスで「百人一首大会の練習」があった。本大会は1年生が17日、2年生が24日に開催される。私が介助員として働いていた小学校でも、あるクラスでは「百人一首大会」があり、16級から名人まで、獲得ポイントによって、毎週変動していて、クラス全員とても熱心に覚えていたし、ゲームは毎回盛り上がっていた。中学でも継続してそのような大会があることは、とても意義があると思う。

 

 百人一首から「二首」選ぶということはなかなか難しいし、大昔の人が詠んだ歌だから、現代の中学生が、その短歌の意味を理解するのもなかなか難しいと感じていた。でも、4人の生徒はそれぞれに「自分の選んだ二首」を早々に決めていた。でも習字は二首でもいいが、「カルタ大会」になると「何首」かは暗記しないと札が取れない。そもそも偉そうに書き出しているが、私と「百人一首」との関わりはかなりいい加減である。幼少時にすでに家に昔からある「百人一首」が綺麗な装丁をされた箱に入っていたのを覚えているし、お正月に家族で「坊主めくり」などをしていた覚えがある。「お殿様」「お姫様」【坊主】と言いながら札をめくっていくが、宣言した通りに当たれば「札」を貰えるが、「坊主」と言わずに「坊主」を捲ったりすると、持ち札をみんな吐き出さなければならせないルールがあった。正月の遊びではとても盛り上がった覚えがある。

 

 ところが、この【百人一首】の歌の内容や歴史については、大学受験の時代に必死に勉強した覚えがあるが、もうあれから45年以上も経過して、記憶もかなりいい加減になっている。【百人一首】の札は家内が昔から持っていたのが残っているが、子供を交えて【坊主捲り】をした記憶は数回程度しかなかったと思う。今、この機会に「再勉強」というつもりで、「百人一首」についてまとめておきたいと思う。

 

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 そもそも私たちが【百人一首】と言っているのは「小倉百人一首」というもので、鎌倉時代の貴族の藤原定家が友人の宇都宮蓮生(うつのみやれんしょう)に【百首】を選んで欲しいと依頼されて選んだもので、宇都宮蓮生は京都嵯峨野の小倉山に別荘を建て、その別荘の「襖絵」の飾りにするのが目的だった。その地名の【小倉山】をとって「小倉百人一首」と古くから呼ばれている。もうひとつ大事なことは、百人の歌人から気に入った秀句を一首ずつ100首選ぶという【遊び】は平安時代の昔から行われていて、小倉百人一首以降にも何百年という時代にまたがって「新百人一首」「武家百人一首」「英雄百人一首」「烈女百人一首」「源氏百人一首」「愛国百人一首」「今昔秀歌百撰」など様々な選出基準を設けて数多くの「百人一首」が編纂されている。しかし、今や【百人一首】といえば【小倉百人一首】に定着してしまっています。

 

 小倉百人一首は藤原定家が百首選んだのですが、その選出した幅が「飛鳥時代」の「天智天皇」から鎌倉時代の「順徳天皇」まで歴史的年代1400年前から800年前の600年間の間のさまざまな人たちの秀歌が選出されていることがまず驚きです。勿論600年間から選ぶのですから、それまでに編纂されていた「古今集」「後撰集」「拾遺集」「金葉集」「詞花集」「千載集」「新古今集」「続後撰集」など多くの歌集から選出されています。もちろん、藤原定家は、そのような【撰者】に依頼されるほど、「短歌」に関しては才能豊かだったことが想像されます。

 

 藤原定家とはどういう人物だったんでしょうか?    父親の藤原俊成も歌人で、幼少時から父親の指導を受け、西行法師などとの交流もあり、天性の歌才能に磨きをかけていたようです。118018歳の時に源平の乱が勃発しますが、何とこの18歳の年から日記【明月記】を書き綴り続け73歳まで56年間続けたんですから、かなり「変わり者?」という【向学心旺盛な人物】だったのではないかと想像できます。19歳で「初学百首」20歳「堀河題百首」を詠み、父親がその才能に感涙したという。24歳の時に詠んだ句は

 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとま屋の秋の夕暮」

(花も紅葉も何もなく秋の夕暮れに沈む海岸の漁師小屋)

で、私も知っている短歌です。なかなか個性的な人物だったらしく、「直情径行型」と評価されることが多かったようです。その為に敵も多くでき、不遇な時代もあったようですが、「後鳥羽院」に評価されたことにより宮廷歌人にまでなり、その才能が花開いたという個人史があります。そんな才能豊かな藤原定家はどのような短歌を選んだのでしょうか?とても興味のあるところです。

 

 でも、この際、「小倉百人一首」から【日垣 平】が独自の感性で選出した平和への願いを込めた【平成・平選出・十三人一首】を創り上げてみたいと思います。平和というのは「幸せを求めて」恋愛ができて、自然の姿を愛でる心の余裕があり、そこに美学が存在すると思うからです。「13」という数字は、ただただ「ゴルゴ13」というマンガが大好きなのと、実際に10首に限定すると、もう「優劣」というかどちらもインパクトがありすぎて、選びづらくなってしまったからです。短歌は特に日本人の心に響く「独特のリズム」があります。ある意味で【音楽的な要素】があります。そのリズムの心地よさや、古文ゆえに分かりづらい意味もあるが、現代語訳を読んで、「なかなか粋な言葉を使っているなあ!」と感心してしまうことがあります。そんな様々なポイントで選出させてもらいました。さて、皆さんと「選出基準」が一致しているでしょうか?楽しみですね!

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 今回は【意味】も付け加えると、ますます文章が長くなってしまいますので、「短歌」だけを選んでいます。

1.花の色はうつりにけりないたつらに わか身よにふるなかめせしまに  小野小町  「春」 6

2.ほとゝきす鳴つる方を眺むれは 唯有明の月そのこれる       後徳大寺左大臣【夏】 4

3.おく山に紅葉ふみわけ鳴しかの 聲きくときそ秋はかなしき      猿丸太夫  「秋」 16

4.秋風に棚引雲のたえまより もれいつる月のかけのさやけさ          左京太夫顕輔 「秋」

5.山里は冬そさひしさ増りける 人めも草もかれぬとおもへは     源宗干朝臣  「冬」 6

6.わが庵はみやこのたつみ鹿そ住む よを宇治山と人はいふなり      喜撰法師 「雑」「離別」

7.天つ風雲のかよひち吹とちよ をとめのすかたしはしとゝめん     僧正遍照  「雑」 21

8.このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに    菅原道真  「覉旅」4

9.みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに     河原左大臣  「恋」 43

10.あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む  柿本人麻呂  「恋」

11.瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あわむとぞ思ふ  崇徳院   「恋」

12.来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 権中納言定家 「恋」

13.しのぶれど 色に出にけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで   平兼盛   「恋」

 

以上の13首です。四季の中ではやはり「秋」を詠んだ歌が多いです。分かりやすいし、短歌を詠みたくなる風情があるからでしょうね。「旅」の歌は4首ありますが、旅好きの私にはとても気持ちが伝わってきます。昔は本当に「旅」することは命がけだったでしょうから、「旅の安全を祈願」する気持ちも強かったように思います。

 

最後に百人一首に関しての「トリビア」、本来のくだらない知識という意味ではなく「素晴らしき雑学」という意味で列記しておきたいと思う。一つ目は100人の歌人が取り上げられていますが、その中の蝉丸・猿丸太夫の二人は全く「素性」の分からない伝説的歌人なのです。二つ目は昔の「宝塚歌劇団」の芸名は百人一首からその名前を引用することが多く、「小夜福子」「天津乙女」「小倉もみぢ」「雲野かよ子」などは「元歌」がどれか推量するのも楽しいかも知れません。また、平安時代の中頃は清少納言・紫式部・和泉式部・赤染衛門など女流歌人の全盛期があり、短い「5・7・5・7・7」の和歌の中に「掛詞」や様々な修辞技法が用いられ、まさに世界に誇れる「文学」として磨きがかかったのだと思われます。毎年、1月には「全日本かるた協会」の主催で本格的な競技大会が開催されています。勉強の手法はたくさんあります。枕詞と下の句の最初の言葉を繋げて覚えるような「邪道テクニック」があります。まさか、平安時代の歌人は、「自分の歌」が受験の教材になるとは思っていなかったでしょう。

 

京都嵐山には「時雨殿」という小倉百人一首を扱った専用の展示館があります。そこで勉強するのも楽しいかも分かりませんし、末次由紀という漫画家の「ちはやふる」はかるた選手権に挑む女性を主人公に描いてべストセラーにもなっています。また、山村美沙は「百人一首殺人事件」という推理小説を書いています。一番気に入ってしまったトリビアは大阪市立大学の名誉教授の【林直道】が提唱されたという【歌織物説】という考え方です。100首の短歌の世界を縦に10枚、横に10枚とある「規則」に沿って並べる・・・具体的には歌と歌をつなぐ合せ言葉(山、川、紅葉、雲、花、桜、菊、鳥、鹿、瀬、滝、松、等々)を絵におきかえていくと、【掛軸のような山紫水明の美しい景色】が浮きあがるというのです。


 「百人一首」の知識の裾野は本当に広いです。歴史的な視点でも楽しむことができますし、これからも忘れずにいようと思います。

 

.このたつみしか 選出基準を設けて数多くの「百人一首」が選出

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by taira710 | 2014-01-10 23:44 | 人と人との出会い! | Comments(0)
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人生は旅、仕事も遊びも旅さえも旅気分で楽しもう!!


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