2014年 01月 12日 ( 2 )


知らざ言って聞かせやしょう・・・・「いやさ、お富!!!・たいら!!」

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 「粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗髪 死んだはずだよ お富さん・・・」どんな情景?    ・・茶碗酒に酔う家内!!!

 

 図書館に本を借りに行って帰宅すると「夕食」の準備がされていた。俺の大好きな「チキンの香り焼き」と「大根の煮物」などがあった。空腹だったので「ノンアルコール」缶と一緒に食事を始めたが、家内はとっくり片手に日本酒を味わいながら「ちびまるこちゃん」を観て楽しんでいる。今年の正月は不思議に「日本酒への回帰」が始まって、つい、昨夜友人たちとあれだけ飲んだのに、「俺も日本酒飲むわ!」と言ってしまった。大根の煮物にはやはり日本酒が飲みたくなってしまう。・・・ところが、お猪口が1個しか無くなっていた。つまり、家内が飲んでいるお猪口しかないというのである。「いや、もう正月も終わったから、もう日本酒は飲まないと思って持って帰ったわ!」と言う。「じゃあ、それでいいわ。自分(家内のこと・大阪弁は相手のことを自分と言う)は茶碗かコップで飲んだらええやん!」と言ってしまった。

 

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 ギロっと私の顔を睨みつけて「それじゃお富さんみたいじゃないの!」と言う。すると、途端に十三信用金庫のプレゼントでもらった有田焼のコップに日本酒をついで・・・まさに「茶碗酒」をやり始めたかと思うと春日八郎の「お富さん」を歌い始め「ハイ、お父さん、続きを歌ってくださいよ!」と調子に乗り始める。小中学生の頃に、テレビの画面にかぶりついていた時代、音楽番組で「お富さん」はかなりの頻度で耳にしていたし、歌詞は完全ではないがリズムは最後まで覚えていた。二人で「お富さんのデゥエット」である。ところが、ところが重大なことに気づかされてしまった。歌「お富さん」は知っているが、歌詞の意味も、どんなストーリーなのかも全く知らなかった。名セリフ「「ご新造さんへ、おかみさんへ いやさ、お富 ひさしぶりだな・・・!」は中学生や高校生時代、友達とも冗談で言い合っていたような記憶があるが、出だしの歌詞にどのような意味が隠されているのかもよく分からないというのが正直な感想だった。

 

 家内が説明してくれる。「黒塀と見越しの松というのは、昔のお金持ちの妾宅の象徴的な風情だったのよ」に始まり、「歌舞伎の【与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)から題材を取っているのよ」まで

・・・「ほんとにこれやからイヤになるわ・・なんでそんなに何も知らないの」とまで言われてしまった。しかし、若い頃から「演歌」に特に興味が有ったわけでも無いし、「いやさ、お富、ひさしぶりだなあ」というのは当時の流行語のようなもので、その「背景」に興味をもった記憶も無い。でも、改めて日本酒を飲みながら、家内と「お富さん談義」をしていると、とても面白かった。

 

 1番から4番まであるが、ちょっとここに再録しておきたいと思う。

粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪 死んだはずだよお富さん生きていたとは お釈迦様でも
知らぬ仏のお富さん エーサオー 源冶店(げんやだな)

生きた昔を恨むじゃないが 風もしみるよ傷の跡 久しぶりだなお富さん 今じゃ異名(よいな)も切られの与三よ これで一分じゃお富さん エーサオー すまされめえ

かけちゃいけない 他人の花に 情けかけたが身の定め 愚痴はよそうぜお富さん せめて今夜は さしつさされつ 飲んで明かそよお富さん エーサオー 茶わん酒

逢えば懐かし語るも夢さ 誰が弾くやら明烏 ついて来る気かお富さん 命短く渡る渡世は 尚もつらいぜお富さん エーサーオー 地獄雨

 

 ストーリーは江戸の大店、伊豆屋の養子与三郎は木更津に預けられていますが、ある日地元の親分、赤間源左衛門の妾お富に一目惚れ。情事が露見してめった切りにされます。お富も海に身を投げますが、ふたりとも命はとりとめました。それから3年。与三郎は勘当され、34か所の刃傷をもつ「向疵の与三」として悪名を馳せています。一方お富は和泉屋の大番頭、多左衛門の妾となっていました。ごろつきの蝙蝠安と与三郎が偶然にもお富の妾宅に強請に入ったことから、お互いに死んだと思っていたふたりが再会。その名シーンが四幕目、玄冶店妾宅の場です(劇中では源氏店)。「しがねぇ恋の情けが仇……」で」始まる長科白が有名です。

 

 てな調子です。・・・・・昔から「一盗・二婢・三妾・・・・」なんて言葉がありますが、男なんてものは美しい女性に出会うと「本能」が頭をもたげて来るんでしょうか・・・女性は結婚したから他の男性にとっては魅力が無くなるという存在では決して無いですからね。昔も今もヤクザな世界での「アウトロー」は存在しているし、世話物として庶民には魅力的な世界に写っていたんでしょうね。しかし、ストーリーが改めて分かった上で、この「お富さん」の歌詞を歌ってみると、小中学生の頃の印象とは全く異なって、「大人の男女の艶話・怨歌」の世界を見事に描いていて、とても「凝縮」された歌だったんだと改めて認識させられた気持ちになりました。

 「げんやだな」ってなんのことやねん?・・・・当然、尋ねますよね。「げんやだなって玄治店とも源氏店とも書くけど、切られの与三郎と死んだと思っていたお富さんが再会する土地の名前なのよ。玄治というのは昔の徳川家に仕えていたお医者さんで、御典医にまでなった【岡本玄治】に由来していて、幕府から拝領した土地に町人のための借家をたくさん建てて住まわせていたの。だから、今の東京の人形町あたりの一帯は昔は玄治店と呼ばれていたんです」・・・・・・・・「へえっ・・・・・・・」しか出てこない。

 

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 「せめて今夜は さしつさされつ 飲んで明かそよお富さん エーサオー 茶わん酒」の風情のごとく、「お富さん」【和美さん】で盛り上がり、そして、話は先日80歳で亡くなられた「淡路恵子」という名女優の話題にまで広がっていく。淡路恵子が「お富さん」を演じたかどうかは知らないが、私の記憶には森繁久弥が社長や駅長で主演していた東宝映画の「社長シリーズ」と「駅前シリーズ」・・・・昔の「日本の喜劇」って本当にユーモアがあったように思う。吉本新喜劇や吉本などの最近のタレントの「笑い」は定石を踏まえているかどうか・・公式化されているような笑いばかりで「風情がある笑い」が全く見受けられない。「人間の底」が浅くなった証拠だと思っている。確かに私はよく笑う。何とかかんとか「批判」しながらも笑っている。でも、本当に求めているのは「人間味のある笑い」「風情のある笑い」「笑いが止まらない笑い」だと思っている。

 

 淡路恵子から「脱線」しているが、彼女は本当に「紆余曲折」「波乱万丈」「離婚・再婚・倒産・借金・息子の事故死・自殺」・・・・の人生を送って来られていたようだ。昨年のブログにも書かせてもらったが、今年になっても「私と人生を共に歩んできた人たち」・・「やしきたかじん」「淡路恵子」が亡くなった。不思議なことに65歳も過ぎてしまうと「明日はわが身」という気持ちが常にあって、そんなに「悲しみ」に浸るような気分にはなれないし、「死を迎え入れる心の準備」はもう自然体でしておかなければならないと感じている。日本酒の「お猪口」ひとつから「お富さん」「淡路恵子」と家内と語り合えた時間が楽しかった。

 

明日も「成人の日」でもう一日「祝日」だが、未だに訳のわからない【祝日法案】を馬鹿たれ政治家に提案した官僚に憤りを感じることがある。人間の心が殺伐としてくるのは、大事なものは「大事なもの」として守り通そうとする気概に欠けているからだ。年間を通じて様々な「四季折々の季節感」や「記念日」を成長と共に感じられることだったのに、「1月15日は成人の日」というインプットを消し去る必要があるなんて・・・・こんなバカ法案を通過させた「自民党」に国民を守る民主主義なんてものが実現されるはずもないと思っている。やはり「憲法」は守らないといけない。
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by taira710 | 2014-01-12 22:05 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

テニスクラブの「新年会」・・「我慢」「苦手」を読み解く???

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 「言葉ってすごいよね!」・・・・友達との楽しい時間は【言葉が満開】・・でも、人間ってストイックに生きなければならない瞬間てあるんだよね!!!

 

 昨日は2年の男子中学生25人ほどと一緒に中学校の敷地の外周を3周走らせてもらった。介助員の立場で別に無理して走ることもないんですが、その前の週に、中学1年生の女子のマラソン大会のための練習の時間に「○○さんは、どのくらいの時間で走れるんや?」問いかけたら「おじいちゃん、走りもせんと、上から目線で偉そうやなあ!」とおちょくられてしまったことがありました。それで、昨日、支援クラスのK君が頑張って走ろうとしているのでトライしてみようと思ったんです。昨年の運動会の時期にも1500メートルを走りました。とても、しんどかったです。最後まで完走するのに必死でした。中学2年生で「陸上部」で日々訓練しているメンバーなんて、何と6分台で走ってしまうんですから、本当に驚いてしまいます。頑張って完走しました。トラックと異なって、外周は「アップダウン」があるので余計に負荷がかかります。結果、ブービー賞の1600メートル1111秒の成績でした。

 

 その「余波」があったのか、今朝は手足の節々が痛くて、やっぱり「年」を感じずにはいられなかったんですが・・・基準はよく分からないですが、数えの67歳で、1600メートル走1111秒というのは「まあまあ」じゃないんでしょうか。なんとかかんとか言いながら、今日も2つのグループで7時間以上の「テニス」も楽しむことができました。

 

 今日は何で盛り上がっているのかというと、水河亭で「佐賀牛が食べられる新年会」があるからです。2010年の8月に福岡県の「呼子」という「イカの生け作り」で有名な町を息子と一緒に訪れた時に「瀬戸口食品」という佐賀牛を販売している店の販売員だった「前川真由美」さんに出会いました。何と「心地よい言葉遣い」で佐賀牛の販売をされているんでしょう・・・・その人柄の素晴らしさ・・・まさに「虜」になってしまった

感じて、私と息子が二人とも「クール宅急便」で注文してしまったんです。その届いた肉の美味しかったこと。

それから、毎年のように「自分に許した贅沢」ということで、年に2回ほど注文させていただくようになりました。自宅で家族で食べるのも楽しいですが、テニスの仲間たちと食べるのが、また「格別」なんですね。私の人生でも、こんなに美味しい「牛肉」は食べたことがありません。「黒毛和牛」とか言いますが「佐賀牛」というブランドは別格だと思う程です。テニスの仲間との「交流のひととき」の為についつい「ええかっこして」注文してしまうんです。

 

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 テニスクラブ「ラブ」の新年会のメニューは「野菜・きのこたっぷり佐賀牛ステーキ」「握りずしいろいろ」「ポテト入りヘルシーサラダ」「煮込み大根、肉味噌風味」「あぶり佐賀牛たっぷりネギ」「ステーキソース仕立て・オリジナルソース焼きそば」「牛蒡のてんぷら」などなど・・・・後はロールケーキがデザートに登場!!

いやはや、「贅沢」ですが・・・・贅沢は「言葉の潤滑油」のような特殊な作用があります。もう9人の老若男女が「酒池肉林」・・・・・いや、なんか言葉の使い方を間違っているようには思いますが、全員がかなりハイテンションになるくらい「楽しい」時間でした。美味しいポルトガル産の「赤ワイン」も登場して、もはやセーブは効きません・・・・・・・・・いや、楽しかりけり・・・・盛り上がりまくり・・・・

 

 昨年のクリスマス会以来で、「水河亭」は相変わらずの「オアシス的存在」です。9人の男女が、それも一番若い女性が50そこそこ・・・年長者は私と、この家の主が同い年・・みんなその間に年齢層としては、ひしめいています。そのメンバーがいろんなテーマで、「巧みな話術」をエンジョイするのです。駄洒落もありいの、シモネタもありいの・・・・ええっ・・・「シモネタは無しでしょう!」という御仁もいれば、顔を見合すだけで、お互いの「スケベー度」を感知しあって、ついついニヤケテしまうメンバーもいれば、女性同士は新しいグッズのことで盛り上がったり・・・言葉は「変幻自在」・・・あっという間に時は過ぎて行き、コーヒーとデザートタイムを最後に、「明日に生きる」時間が始まります。

 

 今回の「新年会」には二つの大きなテーマが出されていました。ひとつは「人間は我慢することが何故必要なのか?そのような価値観は何故生み出されてきたのか?」という「教育観」という大きな世界ともリンクしたテーマと、もう一つ、「人間にとって苦手な分野があることは・・・・それは当たり前のこと?」という、不可思議なテーマ・・・・・・・何か、面白いね・・・・こんなテーマで議論できる仲間がいるなんて!

 

 皆、それぞれにいろんな意見が出されていた。いろんな「苦手の世界」を耳にすることができた。その世界を詳細に描写することは、私が普段の生き様で「支柱」としているところではない。まず、「我慢」ってこと。私は、例えば親がなぜ子供に「我慢」する世界を教えなければならないか・・・・それは「選択肢」を増やしてあげることが「教育」に通じるからです。子供が「欲求・要求」したら、直ぐに「そのものを与える」という教育は「選択」するというとても大事な「要素」が徒にそぎ落としていくからです。少し「我慢」させるだけで、子供の世界に「やっぱり、こっちの方が良かったわ!」と自覚させることができる世界が広がるからです。それと「子供の世界の価値観・判断基準」は「大人社会」のものとは大きな開きがあります。子供の価値基準を大人の世界に安易に持ち込んでしまうと、必ず「指導」がきます。社会という「秩序」と「人間らしい社会」を作り上げるためには、人間一人ひとりがどこかで「ストイック(克己的)」になり「我慢」することで成立するものなのです。勿論「一匹狼」的に人生を送ってこられた人材もいるでしょう。しかし、良く考えてみると、「人間は一人では生きられない生き物」なんだという自覚と、他者への感謝は必要だと思います。

 

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 そして、「苦手な世界はどのように克服するか?」・・・苦手な世界がある人は、それを今更決して「打破」したいとは思っていない側面がありますし、人間誰しも「苦手」なことがあるんだから、決して「恥ずべきこと」ではありません・・・と主張しているように聞こえてしまいます。「私には苦手がありません」とは言い切れないですが、アルトサックスという楽器のレッスンを始めて「楽器」というコンプレックスから「開放」されつつありますし、例えば、極端に言えば「閉所恐怖症」というか、昔、「棺桶」に閉じ込められて、真っ暗闇で殺されていく主人公の映画を観て、とてもトラウマになってしまった思いがありますが、これは「苦手」という世界とは異質のものだと思っています。

 

 本当に「問題提起」したいのですが、「苦手・苦手」と言われていますが、そもそも「その世界」に関心が無いか、頭から「苦手」と決め付けているか・・・「苦手」と感じている世界に対しての関心が無さ過ぎるし、まず「トライしてみよう」という最低限の気概が感じられないんです。まず、その世界に「イヤイヤ」でも良いから「足」を踏み入れて、苦手な世界を「味わって」みるという姿勢を、私は求めたいのです。高校時代は「数学」が苦手でした。でも、今、中学校で介助員の仕事をしながら、支援学級の子供たちに数学の先生が「素晴らしい授業」をされているのを目の当たりにしていると「苦手」って、自分の責任だけではなく「他者」によって作り上げられるんだってことが如実に分かってくるんです。「苦手を克服」するのは、アナタの自由です。でも「苦手な世界」から無理やり遠ざかろうとせずに、軽くトライしてみられたらいかがですか。人間がすべて共通の「苦手な世界」を持っていたら、人類の存続も、文化の発展もありえないのです。「苦手=未知の世界」という公式は正しいと思っています。苦手を克服することは「恥を晒す」というマイナーな世界ではなく、未知の世界を切り開くという、とてもポジティブな生き方のスタイルなのです。

 

 3時間半に渡った「楽しい世界」もお開きになりました。みんな一人ひとりがそれぞれに楽しめたひとときだったように思います。その世界がどんなに楽しかったか・・・・「添付した写真」がそれを見事に証明してくれているように思います。「ラブ・イズ・フォーエバー」・・・また、集い会いたいものです。

 

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 最後に一つ・・・人間は「いつ」不慮の事故・災害・災難に遭遇するか分かりません。小学校6年生の森琴音さんは「夕焼けエッセー」に文字盤で打った「言葉」に載せています。幼少時に低酸素脳症になり、肢体の不自由さと共に「発語」ができないという障害と共存して12歳の現在まで生活し続けています。その彼女が文字盤で打った言葉は・・・・・・・・

 

神様が 1日だけ 魔法をかけてしゃべれるようにしてくれたら… お母さんに「ただいま!」って言う。

そして、《魔法が とける前に 家族みんなに 「おやすみ」って言う それで じゅうぶん》

 

「我慢」することは「共感」することの基本です。そして、「言葉」は「苦手」を洗い流す力を持っていると感じられます。森琴音さんの「真実の言葉」から感じられるものがきっとあるはずです。
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by taira710 | 2014-01-12 01:54 | 人と人との出会い! | Comments(0)
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人生は旅、仕事も遊びも旅さえも旅気分で楽しもう!!


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