2014年 01月 22日 ( 1 )


英語力を身につけるためには、まず【日本語力】が不可欠です!

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 本当の「英語力」を身につけるための「具体的なステッブ」「ポイント」とは・・・・・・

中学1年生から学んだ「英語学習」の個人史を振り返る!

 

 

私は昭和35年に入学した船場中学校で初めて「英語」を習い始めて嬉しくて仕方が無かった。小学校の時はほとんど「英語」に興味が無かったのに、商店街や繁華街の様々な店の看板やキャッチフレーズに使用されている英語やカタカナ英語が単純に気になって「何の意味やろ?」と疑問に持つ程度の関心はあった。「coffee」を「コッフェ」と読んだり、「レスタウラント」と「restaurant」と読んだりし満足していた。テレビで英語の歌詞が歌われたりしても皆目「意味」は理解できなかった。

 

 中学生になって「英語」の授業が始まり、最初はアルファベットを書くことから始まったが、単語を習いはじめると「単語小テスト」が毎週実施されるようになった。アルファベットを書く練習も、不思議に楽しかったし、英単語テストで満点を取り続けることが「刺激」になっていた。【p・i・c・t・u・r・e】ピーアイシーティーユーアールイーと繰り返し口に出して言ったり、「beautiful」なんてとても難しい英単語に思えた。悲しいことだが、中学校時代の「英語の先生」の印象・記憶は全く残っていない。卒業アルバムを見ても、「ええっ、この先生に習ってたんやろか?」と同一感・一致感が働かない。でも、中学3年間は英語と社会が一番好きな科目だった。

 

 高校入試でも「英語」が好きだったことは大いに役立った。私は船場中学校には東住吉区からバスに1時間かかって通学していたが、嬉しいことに「夕陽丘高校」に通うようになったタイミングで、両親が天王寺区に貸家の一軒家を借りてくれて、徒歩10分ほどで通学できるようになった。船場中学からは私一人だけしか夕陽丘高校に進学しなかったので、最初、友達がいなかったが、入学した年の5月には「硬式テニスクラブ」に入部して、自然と高校生活を楽しめるようになった。高校時代の英語の先生はよく覚えている。とても個性的でヒステリックな先生もいた。

 

 高校時代は中学時代とは比較にならないほど「英語の難易度」は急上昇した。覚えなければならない必須英単語は急増したし、「文法」の「仮定法」「現在完了」「過去完了」「5W1H」など勉強しなければ理解できないことが次々と学習テーマになってきた。また、【英語の長文問題】が必ず出されるようになり、分からない単語が出てきても、前後の文脈で「推測」「当てずっぽう」で解答を書く術も身につけるようになってきた。私の高校時代の【三省堂の英語Dictionary】は12色の色鉛筆で【満艦飾】になっていった。高校3年間も英語は嫌いにはならなかった。高校時代の成績表はもはや残っていないが、5段階評価で「4」だったように記憶している。やはり「文法」は同じ英語でも【苦手な分野】になっていた。今、思うに、もっとあの時に「英語の例文の丸暗記」をもっとしておくべきだったと思う。

 

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 なぜ「5」が取れなかったのか・・・・高校時代といえば「思春期全盛期」・・・「音楽」にも「映画」にも「スポーツ」にも、そして「異性」にも興味が強くあり・・・勉強への集中力が見事に欠落していた。英語がぺらぺらに喋りたいという妄想に近い願望があったが、それに必要な「日課のような努力」はされていなかったように思う。「朝日ジャーナル」を愛読し、「社会問題」にもとても興味があった。一人の男子高校生のしたいことと「capacity」には大きな開きがあった。クラスメートの中には「英語劇」が舞台で演じられるほど「pronunciation」がバッグンで「intonation」も完璧だった生徒がいた。これくらいかっこよく喋りたいなあとは思っていた。高校3年間は充実しながらも「あっという間」に過ぎ去っていった。舟木一夫の「高校3,年生」はあの時代の仲間たち全員の愛唱歌になっていた。高校時代に大学受験のための「英単語」だけはかなり覚えたつもりでいた。

 

 「数学」が苦手で、将来の思い描く夢は大きくあったが、なかなかストレートに大学には進学できなかった。浪人生活・予備校生活という遠回りを繰り返して、やっと「同志社大学」に合格したが、大学は「全共闘」「中核」「革マル」「民青」「べ平連」と書かれたヘルメットが乱立していた。授業もあちこちの教室で実施されるので、カリキュラムの流れを把握するだけで時間がかかった。高校までは教室に待機していれば先生が来てくれたが、大学は科目によって「講義教室」が学内のあちこちにバラけていて、教室の名前を覚えることに必死だった。更に「英語」の時間は一冊の英語の本が「テキスト」で、講義の時間までに自主学習として「翻訳」しておく必要があり、その作業を事前にやることがなかなか大変で、経済的に「アルバイト」に精を出していたので、履修単位も少なくどんどん取り残されていった。大学時代は本当に「英語学習」から見事に遠ざかってしまっていた。クラブ活動とアルバイトと友達との交流と「社会問題」を議論する集会には関心があった。

 

 結局、オヤジの仕事の関係や様々な事情が重なり、あれだけ大学合格することに苦しんだのに「中退」せざるを得なくなってしまった。しかし、オヤジが建築金物の貿易関係の仕事をしていたので「英語の必要性」が再燃して、天王寺にあった「EEC外語学院」にまるまる1年間通い続けた。日本人講師も楽しい人で、特にクラスメートが魅力的な人たちが多かった。私の英語の名前は「ジョージ」でとても気に入っていた。この時期に大阪市立大学生だった「サラ」ことN・Eさんに恋をしてしまった。よく京都にも一緒にでかけていた。ところが、若い年齢のときの【恋】は様々な葛藤があり、簡単には成就しなかった。今、彼女はどうしているんだろう?でも、その恋心が励みのような効果をもたらし、英語で自分の趣味を話したり、会話形式の授業はとても「自信」になった。残念なことに、この時期にあちこち日本中を旅したが、特に「英語」を必要とする状況に陥ったことは皆無だった。

 

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20代後半で看護師になり、初めて「沖縄」に同僚たちと旅行した際に、「MP(憲兵隊)」と言っていた黒人と白人の妻の夫婦に出会った時に、思い切って話しかけてみて、「Would you mind taking a photo with your beautiful wife?」と頼んだら「Sure!」とカッコイイ旦那さんが答えてくれた。ツーショット写真は行方不明だが、ハズバンドとの写真は同僚が撮影してくれていた。この時に、「もっと、英語喋れるようになりたい」と強烈に思った瞬間だった。それから、時に「英字新聞」を購入しては和訳してみたり、共通一次などの大学受験のためのテスト問題が新聞に掲載されたりしたらトライしたり、英会話入門書を購入したり、本当にいろいろトライしてみた。どれも「中途半端」に終わったが、決して無駄な時間ではなかった。

 

 海外旅行の経験は全く無くって、40代で初めて中国7泊8日の旅行に行った。この時は日本語の喋れる添乗員が同伴していたので英語を喋る機会は無かったが、単独行動していると中国の有名な都市の多くは、英語圏の外国人も多く旅行しているので、比較的英語は通じやすかった。その後ベトナム・タイ・カンボジア・ネパールと一人旅しても、どこでも「英語」は共通語のように通じた。特に驚いたのが「東南アジア諸国」の子供たちの英語力の素晴らしさだった。【観光立国】である以上、「お土産」を売り歩くにも「英語」は不可欠のように見えた。小学生ほどの年齢の子供たちが英語を操りながら売り込みをして、英語の問いかけにも「英語」で答えてくれる。もちろん、中高年の人たちはチンプンカンプンの表情をするが、「誰か英語喋れる子」が必要だと感じると【○○!】と子供の名前を呼んだりして、子供と会話して用件が解決するようなこともあった。

 

 特にカンボジアとネパールでは「英語」が使えたことによって「得」をしたこともあった。タイで航空券も宿泊の予約もして行ったが、2日目以降は宿泊は行き当たりばったりだった。【今夜の宿は決めていない】など話すと、「あんな高いホテルに泊まる必要なんてないよ。私が安くて安全なホテルを知っているから、そこがおすすめだよ」と英語で勧めてくれる。ほぼ1/3の値段で快適なホテルに宿泊できたりした。また、ネパールでは有名な観光場所だけではなく、ガイドブックを読んでいて「どうしてもここまで行きたいから連れて行って欲しい」と話すと、誰一人観光客のいない場所で、アンコールワットの隠れた穴場を訪れたりできた。タイのパタヤに遊んだ帰り、バスの中で隣が外国人だった。話しかけるとアメリカ人でタイでビジネスをしているとのこと。バンコクまで2時間以上あったが、お互いの身の上話をしたり「冗談」を言い合ったり、英語で喋り続けていた。自分の才能の中にいろんな種類の英語検定【英検・TOEIC・TOEFL・IELTS・ケンブリッジ検定】では評価できない「出たとこ勝負の英語力」「潜在力」があるように感じられた。

 

その時に「ひらめき」があった。まず、英語力というよりも、外国人と出会ったときに「日本語でどれだけ話したいことがあるか」が会話力の基本・原点だということに気づかされたのです。単語が思い出せずに、いろいろとヒントになるような英単語を口にしていると「○○○じゃないですか!」と話し相手が英語で教えてくれたりします。そんな時に「BINGO!」と声を出すだけで、会話はますます盛り上がります。

 

今も、「英語」の学習は続けています。言葉は「生き物」ですから、「旬の話題」を提供できると、ますます会話に花が咲きます。それは日本人同士で話しているときと一緒です。結局、話題に乏しい人はなかなか外国語能力は向上しません。他人に「何かを伝えたい」という気持ちが強いから、「外国人」とも自然と会話ができるようになるのです。今まで、私の「英語学習の個人史」を紹介してきましたが、このようにすれば、このように考えれば「英語が間違いなく上達できる」というノウハウを紹介しておきたいと思います。相変わらず英会話ブームが続いていますから、「共通した」内容もあるかもしれませんが、まさにスピードラーニングの言葉のようにスピーディーに上達することはなかなか難しいことです。でも、私の推奨する方法では、間違いなく確実にステップアップすることができます。それを次回のブログで紹介しておきたいと思います。

 

Have a good time!    More haste, less speed.   Slow and steady wins the race.

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by taira710 | 2014-01-22 23:40 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)
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人生は旅、仕事も遊びも旅さえも旅気分で楽しもう!!


by PEACENIK平ちゃん
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