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テニスコート上を緊急発進・・・幸せとリスクは隣り合わせ??

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 ジェット機のスクランブル・・・・・「ええっ!」何か大変なことが起こったの??????

 娘との久しぶりのテニスは感動的だった・・・・・「謎が謎を呼ぶ?」

 

 3月25日に娘のTOMOKOさんが約10年間勤続した病院を退職して、新たな「人生の再スタート」を切った。私から「10年間お疲れ様でした。退職したら計画表作らなあかんで!漫然と過ごしていたら結構時間無駄にするからなあ」など取り越し苦労のアドバイスを入れながらメールをした。翌日、娘からメールが来て「昨日は一人では持ち帰れないほどのプレゼントと花をもらい、思わず涙しました。❤❤❤♡♡♡♡幸せもんだ〜」と書いてありました。親としては嬉しいことです。スタッフから慕われ、同僚から慕われて、「一区切りの仕事」を終えたことは、それなりの「意味・意義」があると思う。娘の次のステップへのエネルギーにはなるだろう。

 

 娘が退職するということが分かってから、娘には「時間ができたらテニスしようや、TOMOKOは上手になる素質あるんやから!」と何度も誘っていて、娘も嫌いじゃないので時間を作ってくれた。3月28日に茨木中央コートにコートを確保した。大阪府下で使用できる「オーパスカード」も在職証明書をもらったり、取引銀行に行き証明書を発行してもらって確保したので、コートの確保は容易にできるようになった。28日時間に遅れることもなく施設前で待機していた。ちょっとスポーティーな印象を受けなかったので大丈夫かなあと思ったけど「動きやすい」ことは留意していた様子。まずは、多分久しぶりの「運動」なので、コートを3周走ってもらった。アキレス腱も伸ばす運動を自主的にしていたので「分かってるやん!」と少し安心した。

 

 最初は私が球出しをして、リターンする練習、それから距離を伸ばしてリターンする練習・・・・「ええっ!」上手すぎるやん・・?」「TOMOKO!テニスするのん久しぶりやんなあ?上手過ぎるでえ!」球出しした球が高確率でコート内に返ってくる、かなりのナイスショットで返ってくる、私の立っている場所に返って来る、距離を伸ばすも驚くほどの速さのリターン、直線的なリターンで返って来る。2時間コートを借り切っていて、多分、すぐにバテてしまうやろなあと予測していたが「ちょっとお茶飲むわ!」「足がうまいこと動けへん」と言いながら、その後のボレー練習、サービス練習も笑顔でやり通していた。

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 そんな天気の良い夕方、何とも美しい「夕景」が西側に見え、まだ青空が覗いている時間帯、空に「飛行機雲や!」と思っていたら、何機ものジェット機が西に向けて飛んでいて、それぞれが白い飛行機雲を作りながらすごい速度で飛んでいく光景を見ることができたのです。北朝鮮のミサイル発射や、隣国「韓国」「中国」との関係もギクシャクしているので、まるで重大なことが起こって自衛隊機がスクランブル発進しているような状況に見えてきました。本当に内心「ドキッ」とするような、普段めったに目にすることの無い光景でした。ジェット機が6機も飛行機雲を作りながら西を目指して高速飛行している・・・・・・・・

 

 でも、ジェット機音が聞こえなくなると、もう「テニス」に集中していました。1時間30分は練習に費やし、後の30分は「練習試合」をしてみることにしました。もちろん「ハンディキャップ」がなければ試合が楽しくないので、私はダブルスコート、TOMOKOはシングルスコート、そしてすべてのゲームポイントは「45-15」と2ポイント差をつけてスタートすることで合意。途端に娘のTOMOKOさんの「闘争心」に火が付いたのか「お父さん、そんなええカッコして勝てるん?」と挑発的な言葉も聴かれた。舐めていた。

いや、「まさかのまさか!」という言葉があるとしたら、こんな時に使うんだろうな!何と最初のセットは・・・いや「最初のセット」なんて嘘で、たとえ、どんなハンディキャップをつけても「練習試合」で負けるなんて夢にも思っていなかったのに、中にはラッキーショットもあったが、何と見事にパッシングショットを決められて、何と「6-4」のスコアで負けてしまった。残り12分くらい時間があったので、何とか「親父の名誉回復」のために「第2セット」を開始したが、私の「4-2」のスコアでタイムアップとなった。本当に負けた気分で終わってしまった。もちろん、TOMOKOさんは「面白かったわ!」を連発して大満足した表情をしていた。「また、近いうちにコート取っとくわ!」と言うと「ありがとう、お願いします!」とやる気満々の笑顔を見せてくれていた。

 

 娘との「交流」の機会にはよく一緒に食事をする。テニスの後も、私の行きつけの店を予約していた。テニスの後、TOMOKOさんはバイクでテニスコートに来ていたので、「自宅でシャワーしてから行くわ!」と言っていたので、私は茨木の「極楽湯」で一風呂浴びてから行くことにした。レンタサイクルの定期カードを所持しているので、自転車で走り、初めて茨木店に入店してみて、余りの人の多さにびっくりしたのと、「お湯の温度」が私には低すぎてがっかりしたのと、女性スタッフの対応がとても良くて、採点が微妙に「及第点」でした。

 

 「極楽湯」でさっぱりして、いざ「準備万端」、極楽湯から味彩までは自転車で10分もかからない。「味彩」の暖簾をくぐると8時というのに、お客さんはいなかった。でも、ネタケースには「旨そうなもの」が満載。

生ビールと付き出しでゆっくり待っているとTOMOKOがやってきた。テニスコートからの帰宅時にバイクにトラブルが起こって、明かりは付いていたが「閉店」していたバイク店に声をかけて修理してもらったと話していた。「ラッキーやったな!」、まずは生ビールで乾杯・・・最近、TOMOKOさんは太り気味だから、テニスの後の「ビールと寿司」は父親の願いとは真逆だから「自制」しないといけないけど、私がその両方が好きだからどうにもならない。

 

 私の大好きな「とこぶし煮付け」「きずし」を注文、生ビールから「焼酎」に発展し、顔見知りのお客さんとの交流もあり、ますます盛り上がり酒も進む。お腹もそろそろいっぱいになり、満足度が高まっていた午後10時前頃に、何と息子のYOSHIIが突然店の中に「客」として入ってきて私もTOMOKOさんもびっくり。「何しに来たん?」「ええっ、どうしたん?今日、私らがいること知らんかったんやろ?」・・・TOMOKOさんは訳がわからないままに、弟から「退職したんかいな、お疲れさんやったなあ!」と声をかけられて、「ありがとう」とまた「乾杯」を繰り返し始めた。余程嬉しかったんだと思う。結局、YOSHIIが来て、また1時間以上延長戦になってしまった。かなり「空腹」で駆けつけて、味彩の旨い寿司に久しぶりに感動していた。

 

 11時半までがレンタサイクルの返却時間なので11時10分には「もう帰るよ!」とお土産の寿司を手にして店を出て、俺は自転車で帰り、YOSHIIにはTOMOKOさんの「送り」を頼んで別れた。総持寺から摂津富田まで娘一人で歩いて帰らすには「危惧」を感じる。YOSHIIは「なんでやねん!」と大阪弁で不満を言いながらも「TOMOKO姉ちゃん」には逆らえないのか、ボディーガードを引き受けて摂津富田方面に歩き始めていた。・・・・・・・「安心」して、正雀から二人にメールをした。「YOSHIIよう来てくれたなあ!何できたか、未だに謎やけど???」・・・・・

 

 翌朝、TOMOKOさんからメールが来ていた。「YOSHIIが昨夜現れたんは、オトンが事前にYOSHIIに誘いのメールを入れてたことが判明しました。な〜んも「謎」やなかったっていうことや!」と書かれていました。どうも摂津富田まで送り届ける道中でYOSHIIが白状したようです。次回の練習日は4
月2日にコート確保しました。多分、かなりの上達を期待できます。でも、あのスクランブルのようなジェット機の飛行機雲はなんだったんだろう?
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by taira710 | 2014-03-30 23:26 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

雨は生命の循環生命線・・・雫は「命の凝縮」・・輝きがある!!

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  「雨の下」は雫・・・・・「しずく=raindrop」・・・・雨に魅せられた写真家がいるが、雨がめったに降らない時期には・・・・・その美しさを忘れてしまう。

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  私は小学校の頃から「写真」には興味があった。特に人物と風景を写真に撮ることが好きだった。でも、小学校の遠足の時に、兄の大事な「アサヒペンタックス」の一眼レフ写真機を置き忘れて紛失してから「言い出せなく」なってしまってカメラにのめり込んでしまう事は無くなった。小さいながら「負い目」があったのだと思う。でも、中学でも高校でも「カメラ」を所持して修学旅行に行っていた。兄貴たちがやはり写真に興味が強くあったからだ。家の2階の部屋が「現像」「プリント」のための「暗室」に変身することもあった。とても興味深かった。

 
  写真に撮られることも好きだった。家には【写真アルバム】が本当にたくさんある。ある時期から余りにも写真の枚数が多くなり、アルバムに整理する気も無くなって、今は箱にバラバラに入っている。それに写真を見直した時に、【元通り】にしないので、時代もジャンルも何もかもがバラバラに入ってしまっている。だから・・・写真箱を開けて、眺め始めると「自分の人生」「家内との思い出」「子供との思い出」いろいろ混じり合っていて、時間が経つのを忘れてしまう。

 

  私の家内の写真は本当に少ない。文学少女ゆえの「暴挙」なのか・・・・私と知り合う以前に、和美さんは若い頃の写真は「全部燃やしてしもたわ!」と話していたことを鮮明に覚えている。付き合い始めて早くにその事を知らされたので、和美さんに頼んで残っている写真の数枚を見せてもらって、その中の【1枚】をもらって、通勤定期の中に大事に収納していた。あの頃尋ねた頃があるが「はたち頃」・・20歳の頃の写真に魅了されていた。・・・・ところが、私はその定期入れを本当に大事に使っていたが、定期から証明書カード、銀行カードからショップカードなど、結構定期入れという物は出し入れが多く、ある時「その写真」を探すと、どうしても見つからなくて、きっと何かカードを出し入れするときに裏に張り付いたりして、どこかに落としてしまった可能性しかないことが分かってきた。


 そのことを和美さんに報告した時に、「どうせお父さんはその程度の気持ちしかないから無くしてしもたんやろね!」と冷たく突き放され、「もうあの写真は人にもらった写真やから、二度と手に入らないですからね」と言われて、めちゃくちゃショックを受けたことがあった。・・・・・

 そんな想いが私の心の中に未だに強く残っているが、私の家族はそんなに強く「写真」に対する想いが強いわけではない。家族で食事に行っても私がしきりと写真を撮るので、娘までが「お父さん、そんなに写真ばっかり撮ってどうするのん?」と疑問符を投げかけてくるし、家内の和美さんは「そうやろ、想い出なんて物は心に留めるから想い出になるの・・・・何でもかんでも撮って・・・・」と厭きれた表情で非難気味に言うし、家内の笑顔を撮りたいのに、うまく撮ってほしいという真剣さが全く無いので、大抵は目をつぶっていたり、よそ見したり、笑顔が不足したりしている。それでも、自然な笑顔を撮るように努力している。唯一の救いは息子が比較的ノリが良くて、写真を向けてもそんなに嫌な顔をするわけでもないし、「小道具」を準備してくれるから嬉しい。

 そんな私は、今、改めて「写真」の面白さを感じ始めている。撮りためた写真は私が死んだ後はどうしようが私の知ったこっちゃないが、生きている間は「写真」を盛大楽しみ続けたいと思っている。以前にもブログで表明したことがあるが、「自然のなせる業」は本当に楽しい。先日は夜の12時過ぎにDVDを自転車に20分乗って返却しに行った。真夜中だったが、空には大きな満月があった。その時の雲の形がなんともユニークで、今まで、夜の空を眺めていて満月が何かの「目」に見えたことは無かったが、まるで「片目のオオカミ」の目に見え、時間とともにオオカミが怒っているように見えた時は、残念至極本当に「カメラ」が無いことを悔しがってしまった。

 

  私は「旅行」も好き「グルメ」に「自然観察」、DVDも好きだしスポーツも好き・・・読書も好きだし音楽も好き・・・・・友達とお酒を酌み交わすなんてとりわけ大好き・・・そんな人間が【想い出を記憶に留める】なんてことはできない・・・・・私は「映画俳優」「芸能人」は自分の作品が人生の一部として残されていくので、とても羨ましいなあと思うことがあるが、私も自分の人生を「写真」として切り取ることによって、自己努力によって残して生きたいと思っている。


 そんな折、ある女性と何気ない話をしていて、偶然「写真」の話になって、「私、雫の写真家って方いるでしょう。花や草木に雨が降ってできるあのきらきら光る雫だけを撮り続けている写真家いたはりますよね、あの写真に出てくる雫って本当に綺麗なんですよね。どんなに綺麗な球よりも、もっと均整が取れていて・・・・とても眺めているだけで癒しを感じるんです」と話されたことがとても印象に残っていて、・・・・・・ああそうだ、そう言えば、私もハスやかぼちゃの葉っぱの上にできる「雫の玉」が大好きなことを思い出したのです。



 その一人、写真集「雨の名前」で詩人高橋順子の詩に沿った写真を提供している写真家「佐藤秀明」は、現在「雨の写真家」という異名を持っているが、彼がなぜ「雨」に興味を持ち始めたのか・・・という話が面白い。もう何年も前の話、ある地方に写真を撮りに行った際、雨が降ってきたので、お寺の山門に「雨宿り」していた。偶然撮った1枚の写真、くもの巣の張った電灯の背景には「雨と雨の雫」が光っていた。彼はこのように表現しています。

「緑が生き生きして、全てのものが色鮮やかに見える。それが雨の魅力です。濡れた家の壁とか、息を吹き返した草花とか、雨が降らなかったら気が付かなかったような景色が見えると、たまらなく嬉しいんです。それに雨が降った後は空気が澄んでいて、気持ちも一緒に澄んでいく。爽やかな気持ちになります。」・・・・・・・・分かりますねえ、この感性!!!このたった一度のきっかけから、彼は世界中の雨の写真を撮り続けるのです。ロマンがありますねえ!!!

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 後日、「雫の写真家」の話をしてくださった女性が「これがその雫の写真集なんですよ!」とわざわざ持参してくださったことがあった。・・・じっくり「観賞」させていただいたし、文末にそれぞれの「写真」を撮影した経過が記載されていて、その語り口とも言うべき「文章」がこれまた魅力的だった。その写真家の名前は「津田洋甫」(つだようほ)である。1923年奈良県吉野郡大塔村に生まれ、1945年に日本大学芸術学部を卒業している。写真展「水を讃う」・写真集「木の色・風の音」「四季百樹の詩」で世界的に有名である。

 佐藤秀明にしろ津田洋甫にしろ、共通点は「自然を見つめる目」である。津田洋甫は写真集にこのように記述している。【私が樹木を撮りはじめた端緒は、奈良県大台ケ原の原生林に接したことからである。自然の営みのすごさ、その摂理、輪廻の世界を目の当たりにして、私の生涯のテーマにしようと決意した。・・・・昭和36年のことである。】・・・・・・

 その写真集の中で「素晴らしい言葉」に出会った。多分、今後、出会うこともないと思うので、ここに書き写しておきたいと思う。それは【水五訓】である。

1.自ら潔くして他を動かしむるは、水なり。

2.常に己の進路を求めて止まず、而して尚方円の器に従うは、水なり。

3.自ら潔くして他の汚水を洗い、清濁併せ容るるの雅量あるは、水なり。

4.障害にあい、激しくその勢力を増し、世に光明を与えて尚報いを求めざるは、水なり。

5.洋々として大洋を満たし、発して蒸気となり雲となり、雨となり、雪と変じ、霧と化し,凝っては玲瓏なる鏡となり而してその性を失わざるは、水なり

 【水】のように、まさに自然体で生きることは難しい。しかし、この「水五訓」には人間が正しく潔く生きるための「教訓」が含まれていると感じられる。なかなか人間は、水のように容易には【変身】することは叶わないが、夢を追い続けることで「実現」させる力を持っている。雨の写真家も雫の写真家も「自然」をお手本としながら、自然に学びながら、自然と共生するような人生を選んでいる。さらに「隠遁」するのではなく、汚濁を洗い清めるような「社会性」も併せ持つことが必要だと読み取れる。実に奥が深い言葉である。出展は定かではないとされている。

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by taira710 | 2014-03-29 22:56 | 人生こそ旅の連続!! | Comments(0)

春は「桜」だけではなく。個性豊かな花が咲く季節・・・・

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 60代になって3度目の「春休み」・・・・・バラエティーに富んだ春休みが始まっている!

 「春休みの思い出」をいっぱい作ろう!!!

 

 62歳で長年勤務した精神科病院を退職して、ハローワークに通所して「失業保険」を受給、余りの金額の多さに驚くと共に、働ける健康があるのに「働いていない」不健康さに嫌気が差して11ヶ月間受給できるのに5ヶ月で就活を終了、特別養護老人ホームに11ヶ月勤務、余りのハードさに呆れていて、このままでは「医療事故・看護事故」に遭遇しかねないと思い、再び、ハローワーク通いを始めたが、2回目の通所で「介助員」という小学校での勤務職種があることを初めて知り、応募すると「採用」が決定した。

 

 やはり「看護師資格」「救急救命士資格」が大きな意味を持っていたことを改めて感じている。今まで小学校2校、中学校1校での支援学級の介助員という仕事を継続してきて、ここ数年の傾向として「発達障害」「知的障害」「病弱学級」に属する子供たちが「増加」傾向にあるということと、ご両親が自分の子供を「支援学校」ではなく「普通学校」での就学を希望されている傾向が強いと感じている。私は「ハンディキャップを抱えた子供たち」がいることを普段の学校生活で、その「存在」を感じることは絶対に必要だと思っているので、支援学級の仕事は大変になるが、日本の差別意識のない未来を作り上げるためには、大いに「包容力」を持って受け入れるべきだと思っている。

 

 3月17日に校長先生から書類を渡されて中身を確認すると、「平成26年度配置校」についての通達で、まずは半年間の採用が決定した。それまでに既に「家族旅行」の計画を立てていて、ホテル・旅館「空室」ゼロの京都市内から少し離れた「宇治」の民宿を確保できたので,楽しく実行できた。(別ブログ参照)居酒屋「櫻バー」での宴の席で、息子が最初の一声をあげてくれて、家族全員が私の採用継続を大いに喜んでくれた。私も継続を希望していたのでうれしい限りである。ただ、不安は「夏期間のプール介助」である。昨年、頻繁にプール介助に入って、全身が紫外線のためにやけどのようになり、翌朝の疲労感は尋常ではなかった。今年、同様のシフトをこなすにはしんどすぎる。支援学級の生徒さんも増えるので、ぜひ、若い体力のある介助員の方が配置されることを大いに期待しているところである。さらに「自立活動」の枠が増えそうで、新年度の計画として「農園作業」も必要とされるようで、現在、土壌改良作業に従事しているところである。

 

 3月24日は「修了式」だった。もう、3年生は卒業し、この4月から、1年生は2年生に、2年生は3年生になる。でも、正直、その自覚がない生徒が多すぎるように思う。先生達に大声を出させなければならない状況が余りにも多く、「自主性」を尊重する対応をしてこられているのを感じるが、未だに育っていない。悪影響を及ぼす自覚のない生徒・・・・いわゆる「問題児」と呼んでいいのか分からないが、年々増加傾向になってきているように感じる。「体罰禁止」は明らかに「先生」から「必要不可欠の権威」さえも奪ってしまっている。体育の時間に教師に「浣腸」をするような生徒がいるんだから・・・・時代は間違った方向に進んでいる。

 

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 「人間」だけが「言語」を操る。・・・・しかし、「言語」は道具のひとつで、それを「適切に使う」ソフトをインプットすることが必要である。それは厳しさを伴った「しつけ」であり「社会性教育」である。にもかかわらず「言語」だけで「しつけ」「社会性教育」をしようとするから「無理」が生じる。「ソフト」がインプットされないのに、どうして「正しい言葉遣い」ができるはずもない。今の教育界は「理念」ではなく、モンスターピアレンツの陰の力によって、歪んだ形で「成立」しているのではと錯覚することさえある。できの悪い生徒の影響力は尋常ではないほど強い。両親も舐められ、先生も舐められ、世の大人も舐められいるような社会が健全な「社会」として機能するはずがない。昔は「私の子供を叱ってくださってありがとうございました」という言葉が社会教育の「必要性」として承認されていた。今、他人の子供を勝手に叱ると親から「反撃」が来る。親と子供双方の「成長」が止まっている時代である。

 

 25日は新年度からの「支援学級」の準備のために「ボランティア」に学校に登校して、教室準備などに協力した。支援担当の先生にとても喜んでもらえて良かった。支援学級はチームワークと「報連相」の徹底がすべてを決めていく。協力できることは積極的にしていきたいが「無理」をすると、私の中の「意欲」に支障を来たす。その加減は「自分」で作っていくしかない。

 

 学校関係に勤務するようになって、本当によく子供たちに声を掛けられる。こけはとても嬉しいことである。不思議に元気をもらえてしまう。先日も学校帰りに安威川沿いに自転車を走らせていた。後ろから3人の子供たちが自転車に乗って通り過ぎようとしていた。その3人の中に私の顔見知りがいた。平成24年度に勤務していたM小学校の当時5年生だったT・KOUTA君だった。彼のフルネームを言って呼びかけると、めちゃくちゃ嬉しそうな表情を見せて「平ちゃんや!みんな、平ちゃんや、知ってるやろ!」と興奮気味に私の名前を繰り返し呼んでくれて「平ちゃん、僕の名前覚えてくれてたん。嬉しいわ!」と言ってくれていた。前日に小学校の卒業式があって、今年から中学生、ソフトボールクラブで大活躍していたKOUTAを思い出す。春休みを利用して自転車で「冒険旅行」をしているらしかった。お互いに「またなあ!」と言いながら笑顔で分かれた。そんなことが度々ある。子供たちに「愛される存在」として覚えられることは本当に価値がある。

 

 25日の夕方、中央コートでのテニスが予定されていた。今年卒業したYUちゃんとLINEしていると「おとこ3人連れて行きます!」とメールが来た。6時過ぎに4人のメンバーがやってきた。皆、中学校の「ソフトテニス」で活躍したメンバーである。パワーは間違いなくあるが、ソフトテニスから「硬式テニス」への切り替えは、これはなかなか難しい。私は難なく「ソフトテニス」はできるが、ラケットの裏面を使用しての「バックハンド」はさすがに難しいと感じる。2時間の交流はなかなか楽しかった。ただ、やはりボールの感触、ラケットの感触が違いすぎるのか「ダブルホールト」と「アンフォースドエラー」が尋常なく多かった。そりゃ、硬式テニスを1〜2回しか練習していなければ、それは無理な話、でも、3ヵ月後にはきっと「対戦」できないほど強力なサーブとストロークで攻撃されるに違いないと予想している。ソフトテニスの上級者なので間違いなく上達するに違いない。また、仲間として顔を出してくれると嬉しい。

 

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 今後、娘のTOMOKOさんとのテニス教室と夕食、ミラクル&ラブテニスメンバーとの交流、看護学校の教え子家族の新居に招かれての「食事会」など予定が満載である。そして、家内の和美さんが春休みを利用して、お母さんとの交流・親孝行目的で「宇和島」に3泊4日で帰省する。しばしの「単身生活」も始まる。今年の春休みはもうひとつ「予定」していることがある。それは【近畿県内の大木・巨木をたずねての旅】である。第1回目は3月31日に予定している。

 

 「春休み」・・・・何とも嬉しい響きのある【言葉】である。66歳にして、未だに学校で「介助員」として子供たちと直接接する仕事ができて、それでいて「春休み」という2週間もの休暇が何の要求もすることなくもらえて、4月から気持ちを【リセット】して仕事を再開できる。「SPRING VOCATION」やりたいことはいっぱいある。また、新たに仕事尽くめの日が続くことは間違いがない。頑張るぞ!!!

 

 最後に・・・春休みに私の【恋の思い出】は残念ながら無い。でも、松任谷由美の歌に「最後の春休み」という歌があって、ひとりの目立たない女の子が、春休みに忘れ物を教室に取りに行って、ひっそりとした廊下・教室を歩き片思いの男子生徒のことを思い出し、彼の座っていた椅子に腰掛け、頬杖をついて、「もうすぐ別の道を歩き、思い出してもくれないの・・・」と切ない心の内を歌っている。・・・・・・いいね、【恋】は!

 

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by taira710 | 2014-03-27 12:29 | 人生こそ旅の連続!! | Comments(0)

「23」歳の時、私は難波地下街の飲み屋のバイトをしていた・・

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23」という数字に何故か執着してしまう男の人生・・・・

数字はただの「数字」なのか、計測的意味合いを常に持っているものなのか?

 

 私は「数字」に対するジンクス・執着を特に強く持っている人間ではないが、「ある数字」が常に「ある意味」を持っているに違いないと「妄想」してしまう「数字パラノイア」的にはなりたくないと思う。でも、私は長年「宝くじ」を購入し続けているし、「ロト6」「ナンバーズ4」には関心が強く、かって私がナンバーズ4に関連して「作成」した【数字統計学】の類の一覧表は、現在でもとても「威力」のある存在・表に違いないと確信している。それほど「4桁の数字」と1から43までの数字の中の6個の数字の組み合わせにかなり執着した時期があった。「分散」と「収束」という考え方から言えば、「数字は予測できる」と思っている。

 

 実は、この数字に関するブログを書こうと思ったきっかけは至極単純である。といってもレンタルビデオ店Geoの棚を【何か面白いDVDないかなあ】と思いながら、偶然目に入った「23」という数字が私を意味なく惹きつけてしまってレンタルしてしまったからと、もうひとつ大きな理由は、その映画の主役を、あの「マスク」などで有名なアメリカの名優「ジム・キャリー」が担っていたからである。

 

 実は最近、DVDを観賞していて、途中で寝入ってしまうことが続いている。すぐに眠たくなってしまう。つい最近まで原語音声と「英語字幕」でよく観ていたが、もうストーリーの把握についていけなくて、この頃は【日本語音声】と「英語字幕」で観賞することが多くなってきている。ところがそれでも途中で寝入ってしまうので、サスペンス調の内容の場合、何がなんだか分からなくなることもあるが、ストーリーに「空白」ができてしまって、「低級映画」にしか思えないインパクトしか残さないという悲惨なことが続いている。ところが、実はこの「23」というDVDに関しては不思議なことが起こった。私は訳が分からないまま「エンディングロール」が流れていて、夢うつつで「停止」ボタンを押したつもりで、また寝入ってしまった。・・・・

 

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 目が覚めて、無意識にテレビの電源を入れた時に、その「23」というDVDが誤って「再生」され続けていて、-・・・多分、ビデオの再生のスイッチが私の寝相が悪いので「最初から再生」するように信号が送られたのだと思う。まさに丁度、私が寝入って「観ていなかった部分」を再生し始めたのです。寝起きにもかかわらず、その「クライマックス」というべき「精神科医」と「主人公」との会話を契機に、どんどんと急ピッチに話が展開していき、「23」という数字の持つ意味が明らかにされていくのですが・・・・これが実に面白く興味深い内容だったのです。うたたね状態で観賞していた時とは比較にならないほど面白くストーリーの展開にのめり込んでいったのです。

 

 簡単なあらすじは・・・野犬捕獲員のウォルターは愛する妻と息子の家庭の主として幸せな生活を送っています。ところが、ある日、妻が古本屋の一角に置いてあった真っ赤な表紙の一冊の本を購入してきます。表題は「ナンバー23」・・・その本を主人公が読み始め、まさにその内容が自分の過去の実人生と重なり合うことに驚き、パート1章からパート22章まで読み進めていきます。精神科医は「数字はどのようにでも解釈できます。人間の染色体数は46、男23、女23」「ユークリッドの幾何学には23項目の定義があります」など「23」にまつわる話を続けます。・・・・・ところが、その赤い表紙の本の謎の著者はその本の中に「暗号」のようなメッセージを残していたのです。その本の23ページ毎の23文字毎の「言葉」を並べると、ひとつの文章が浮かび上がることに気づいたのです。・・・その後の息も付かせぬ展開・・・結末は多分誰も予想できないと思います。

 

 「数字」に特別な執着がある人にとってはかなり面白いサスペンスだと思いますが、感動の余韻があるわけでもなく、私は「B級映画」としてしか評価できなかったです。でも、興味は「数字」です。以前にも1〜9までの好きな数字を「4個」選んで、「加減乗除」して「10」という数字を何通り導き出せるか、このブログでも紹介したことがありますが、数字には「緊迫感」がそれほどないのです。ただ、自転車通勤していても信号待ちしている自動車やトラックのナンバープレートの4桁の数字が「ナンバーズ4」の当たり番号に違いないとふと思ってしまうような、一過性の「数字パラノイア」の症状が時折発現しているのを感じることがあります。

 

 やはりこだわりがあるのは「13」くらいかなあ。「7」「4」「9」・・・・特にどの数字も印象が強くないですね。でも、人の乗っている車のナンバープレートは不思議に印象に残ります。「7777」なんて数字もみたことがありますし「4979」(よく泣く)「6464」(無視無視)なんて数字と出会うと笑ってしまう自分がいることに気づきます。知人の携帯番号も語呂合わせ大好きです。今、ここに紹介していたずら電話がされて迷惑をかけると大変ですので、それは紹介できないですが・・・・・語呂合わせはとても記憶に残ります。

 

 「終末論」が大流行する時期は「数字」が世間を飛び交います。さまざまな世の中の事象が、その事件・事象が発生した日付を「象徴的」に残していきます。確かに「風化」させてしまうことで、人間が本来伝承し守り続けいかなければならない「生きる知恵」が失われてしまうことは悲しいことです。常にフィードバックさせながら「同じ過ちを繰り返さない」という学びの姿勢を堅持していくことは、人間として引き受けなくてはならないことだと思います。50億年というような目もくらむような長い人類の歴史から考えれば、西暦でも平成でも・・・・「その日付」には本当に「意味があるの」と思うこともあるが、やはり「四季の変化」の繰り返しの中で、「1年」という繰り返しは「実感」しているように感じている。

 

 1年365日、閏年もあり・・・1年の重みは年を重ねるほどに「重さ・貴重さ」をひしひしと感じている。今の私は、「病に臥すおのれ」にならないために、日々努力はしていないが、そのようになることの「恐れ」を強く抱いている。だから、私にとっての大事で意味のある数字は「1日1日を充実した日に!」という言葉通り「1」が私にとっては意味のある「数字」と言えるかもしれない。

 

 今、興味ある数字といえば、私より年上の人たちの「生き様」です。102歳でボーリングでストライクを出すことのできるおじいちゃん、「○○歳で〜しているおばあちゃん」・・・いろんな長寿の人たちの生き様、健康で他人に迷惑をかけず、自己実現をしている人たちの生き方に学ぶことが多い。そんな時、自分の今の年齢との「差」を引き算してしまう。102-66=36  今後の36年間の人生なんてもはや考えられないし、家内の和美さんは「102歳」という数字を耳にして、「そんなに長生きしたら若い人たちに迷惑やわ!」と言い切ってしまう。家内のお母さんは現在93歳でご健在であるが、「宇和島」という地域性の関係で、身近に子供たちがいるわけでもないし、孫たちが遊びによってくれるわけでもないので、家内に言わせると「寂しい人生やと思うわ!」と実母にしみじみと共感している。

 

 「23」という数字に始まり、「4桁の数字」を徘徊し、行き着くところ「1」であることを自覚した今、人生はいつでも「リセット」できるし「リスタート」できるし、全く新しい世界に挑戦し「新規スタート」することもできるのが「人生の楽しみ」であることを再認識している。この春休みはゆっくりのんびりと過ごし、4月からの新1年生を迎えての「仕事」に全力投球したいと思っている。今年の夏休みは、また「楽しいプランニング」をしている。先日の家族旅行の際に「今年の夏は大木に抱かれる旅をしたいと思ってるねん!」と家内に話し、こんな調子で大木に抱きつきたいねんと家内相手に実演すると・・・・・息子が苦笑いしながら呆れるような表情をして見上げていた。

 

大木・巨木にも「年輪」という数字が刻まれている。「数字」は楽しんでこそ「意味」がある「概念」だと思う。これからも「数字」を楽しみ、「数字」から学び、「数字」に夢を思い描きながら、終止符が人生に打たれるまで・・・・精一杯人生を生きたいと思っている。明日、その命が絶えることになっても「悔い」が残らないように・・・・・・・・

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by taira710 | 2014-03-26 22:24 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

旅嫌いの家内も同行・・・家族旅行は盛り上がりました!!!

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 宇治「亀石樓」は何とも風情があって静かな民宿・・・・・・・

家族旅行の穴場は居酒屋「桜バー」・・・・・何とも有意義な家族旅行でした!!!

 

 朝、正雀の空は快晴、今日から1泊の京都・宇治への家族旅行・・・・娘のTOMOKOさんが夜勤明けということで集合時間を京都駅1時にした。あちこち観光名所を動き回る家族旅行は決して楽しくない。のんびりゆったりへにぁって感じで過ごしたい。息子のYOSHIIは日程に合わせて休みを取ってくれたし、「車」を出してくれるとのこと。予定通り家族4人が午後1時に京都駅に全員集合。昼食は「伊勢丹」の11階の「かつくら」という店でとんかつを食べることに・・・・「かつくら御膳」はとんかつにエビフライがセットになっていて豪勢だ・・・・連休の土曜日の1時過ぎといったら「行列」ができないわけはないが、タイミングよくスムースに席につけた。4人とも同じものを注文、ご飯とキャベツ食べ放題・・ゴマを擦って、自分でソースを調合できる・・エビフライとタルタルソースの旨いこと・・・・15分後にはもう満腹状態だった。

 

 息子は「買物がしたい」と希望して1時間半のフリータイムを設定、私と家内とTOMOKOさんは、美術館「えき」で開催されていた「日本の創作人形作家たち展」を覗いてみた。ICOCAで支払うと200円も値引きしてくれるからびっくり。勿論、創作人形といえば「与 勇輝」だ・・・・・旅先の河口湖の近くにも美術館があってとても感動させてもらった記憶があるが、昭和時代を生きてきた人間にとっては「郷愁のリアル」を感じさせてもらえる。その他「岩切映幹子:可愛い二匹」、「森小夜子:祈りの旅」、「高橋まゆみ:粉雪」など写真撮影禁止なので紹介できないが、それは才能豊かな人形作家150人近くが出品している。3人3様の感性で楽しめた素敵な時間だった。

 

 YOSHIIは「スタバのコーヒーの注文」を3人に聞いて買物に行ったので、約束の時間にヨドバシカメラの前で待っていたが、なかなか時間通りにこない・・・その待ち合わせ場所の10メートル先にスタバがあったので「もう、ここでコーヒーを飲みながら待っていようや!」ということになったが、まさか、それが裏目にでるとは思っていなかった。確かに「スタバ」はあちこちにある。まあ、いいや・・・熱々のコーヒーが冷めてしまうが・・・

 

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 京都駅から「宇治」までは快適だった。ほとんど渋滞なし。3連休の中日だというのにありがたいことだ!私は「車での旅行」はそんなに好きではない。高速道路のフェンスは景色を眺めるのに邪魔だし、前方に注意していないと心配という緊張感が常に付きまとうし、渋滞なんかに巻き込まれたら「悲惨!」・「時間を返せ!」と言いたくなってしまう。でも、地道を走りながらの短時間の目的地までの移動は「旅の気分」も少しは楽しめるし会話も弾みストレスもほとんど無かった。ナビは「電話番号入力」をしたので、おおよその場所には近づいてくれたが、2Kmは離れていたから笑ってしまった。私が4日前に予約した民宿「亀石桜」は何とも雰囲気のある日本風家屋の建物だった。チェックインの際に「外食予定しているので、帰りは遅くなりますが大丈夫ですか?」と仲居さんにお尋ねすると「どうぞ、ごゆっくり!」との返事で安心し、「ここは、あのパナソニックの創業者の松下幸之助さんの別荘だったんですよ!」と教えられて・・・・びっくり!

 

 部屋の名前は「喜撰」・・・高級茶葉の「喜撰」であり、あの百人一首「喜撰法師」の【わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうじ山と人はいふなり】であり、「太平の眠りを覚ます 上喜撰 たったしはいで 夜も眠れず」と詠んだ黒船によるペリー提督来訪である。扉を開けると、もう部屋の窓から「宇治川」の流れが見え、山に沈もうとしている太陽の光がたたみの部屋に差し込んでいる。・・・・何とも風情のあるロケーションである。昼食でかなり満腹になっていたので、一度予約満員で断られていた、かっての馴染みの店、清水五条にある居酒屋「桜バー」に再度予約のTELを入れると何とかセーフ・・・・それまでお風呂に入ったり、相撲観戦を楽しんだり、まさにのんびりして過ごす。TOMOKOさんが風呂から戻ってきて「温泉やないけど、ここのお風呂の温度、最適やわ!」と感嘆の声を出しながら戻ってきた・・・・【鶴竜】の優勝が確定して、さて、風呂でも入るか!と・・・「浴槽」に体を入れて・・・・「最適温度や!」と私も感嘆の声をあげてしまった。・・・7時32分の電車に乗るよ!と宣言していたが・・・・家内もTOMOKOさんも「近場でええのんちゃうん!」と30分もかけて行くことにも交通費を使うことにもノリが悪くなってきた・・これはイカンイカン!・・・・今宵、予約した店は、もう「最も行きたい店だし、何とか予約が取れたので」譲るわけにはいかない。YOSHIIも「居酒屋に行って、待たされるん嫌やで!」と言い出す。ヤバイ、ヤバイ!・・・何とかあすこまで行かないと・・・・・

 

 「さあ、行こか!」と夜の宇治を散策しながら、京阪宇治駅に着くがYOSHIIがなかなか来ない。ぎりぎりに乗車して「中国人が券売機の前で困ってたけど、急いでるからごめん!と断っててん!」と言って、「こんな時、中国語でどない言ったらええのん?」と母親に尋ねると、流暢な中国語で「○×△・・・」と喋っている。大した女やわ!中書島で乗り換え、清水五条で下車・・・確かに4人の交通費もバカにならない。本当にこの店に行くのは久しぶりである。病院勤務時代の友人と「秘密の穴場」として活用していた。嬉しいことに店について私の顔を覚えてくれていたようで、直ぐにテーブル席の準備をし始めてくれる。掘りごたつ式の個室様の座敷部屋は何とも落ち着くし、七味などの調味料の置き場が後ろに作ってある。小窓を開ければ注文もできる粋な造りになっている。

 

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 「三月二十二日」の日付の書かれた和紙に書かれたお品書きは、期待通りの品数の多さである。待ち時間も少なく、料理の種類も多く、御酒を燗してもらったが、これがまた「辛口!」でグー・・注文は「ニンジン葉のおしたし」「小松菜の辛し和え」を前菜風に食し、「造りの盛り合わせ」「汲み上げゆば」「きずし」とゆっくり注文・・・・・「ニンジン葉」「小松菜」の素材を生かした味に軽い感動を覚え、「造りの盛り合わせ」の豪華さに唸り、「汲み上げゆば」のユニークさに・・・そして酒のうまさとフィットして、家族3人が褒め始めてくれる・・・嬉しい瞬間である。連れてきた甲斐があるというもの。酒が旨いと食欲はますますエスカレート、「ナスの鶏ミンチのくずあんかけ」「和牛バラのあぶり焼き」「和牛レバーのタレ焼き」「冷製アスパラサラダ」「イカのてっぱい」「若竹煮」・・・・・どのお皿・器もボリュームがある。私たちの家族は「飲んだ後は、シメには麺類」と決まっている。食べて・・飲んで・・・喋って・・笑って・・・怒られて・・「すうどん」と「あんかけうどん」を食し・・・・家内の和美さんも、外食で久しぶりにかなりお酒を飲んでいた。家族4人の交流はとてもとても意義があった。何とも家族を驚かせたのが、支払いの値段である。YOSHIIは後輩・先輩の付き合いで「旨い店」はよく知っている。その息子が値段を聞いてびっくりしていた。何と4人で11時30分過ぎまで飲んでいて¥17300円・・・ひとり5000円にもならない。私たちが談笑している間、ひっきりなしに来客があるし、電話のベルも鳴る。ラストオーダー0時30分とのこと。

 

 その夜、民宿にたどり着いたときは0時を過ぎていた。ローソンで「部屋での二次会用」のビールなども購入してきたが、さすがに満腹で・・お酒も足りていて・・・・歯磨きをして就眠・・・・・朝食の時間は7時30分にお願いしていた。1泊朝食付きで7000円、素泊まり6000円だから朝食は1000円もする。でも、民宿では「味噌汁」が欲しい。そんなに特徴ある朝食ではないがシンプルでOK。予約電話を入れたときの仲居さんの「飯田さん」ともお話ができた。お互いに「お若いですね!」と褒めあって楽しい会話ができた。

 

 朝風呂に入れなかったのが残念だったが、民宿の中はどこも明るく清潔で、スタッフの皆さんも優しくてとても気持ちがよかった。10時チェックアウトの際も丁寧に挨拶してくださった。車は民宿の駐車場に置いておく許可も確認して、ゆっくり「宇治」を散策・・・・琴坂を登ると「興聖寺」があり、春を感じさせる「ウグイス」の清らかな鳴き声が響き、樹に止まっている「ウグイス」をカメラに収める。朝霧橋を渡り、「橘島」「塔の島」そこに宇治の鵜飼の「鵜」のケージがあったが、TOMOKOさんに尋ねてみた。「TOMOKOが鵜に生まれたらどうする?」即座に「絶対に魚取ったらへんねん!」と全否定して大爆笑・・・こんなに食べることに興味のある娘が、喉から奥に食べ物を入れられないなんて・・・そりゃ、そうだろう!

 

 「宇治の平等院」までの散策道は「お茶屋さん」なども多く楽しいコースだった。正式な一般公開は4月1日からだったが、嬉しいことに工事中の平等院や「鳳凰堂」を観覧することができた。もう20年以上前に訪れたことがあるが、「黄色の絨毯の上に立つイチョウの大木」は探しきれなかった。鳳凰堂の内部には「国宝」が数多く陳列されていたが、前日の「ご馳走尽くめ」は疲労感を早める。美味しそうな「茶そば」や「抹茶」も飲みたい気持ちも抑えて・・・車で「長岡天神」まで送ってもらうことにした。長岡京の「蕎麦屋」を今回の家族旅行の「シメ」として提案・・・・・そして1時前には到着・・・・・ところが、なかなか「蕎麦屋」が見つからない・・・・長岡天神付近には蕎麦屋の名店があったはず、ネット検索するが車で走行していると現在地がどこかよく分からず「阪急そば」も満員で、結局「王将」で餃子など中華料理で打ち上げ・・・・・・

楽しかったなあ、みんな、また、交流しようぜ!

 

 3時前に帰宅し、私は「アルトサックス」のレッスンに出かけました。音符の長さのとおりに演奏することの難しさを教わりました。東先生には「煎茶」のお土産を喜んでいただけました。

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by taira710 | 2014-03-24 23:14 | 人生こそ旅の連続!! | Comments(0)

「週末落涙」・・私はよく泣く・・・それは自然体の生き方!!!

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 週末落涙」の効用とは・・・・・よく泣く俺は【涙】には不自由していない・・・・・・

 「涙にはいくつもの思い出がある・・・・・・」喜怒哀楽のバランスの必要性・・・・

 

 

先日、テレビを何気なく観ていたら、身体のでかいラグビーの選手が涙を流して泣いている・・・「う~ん?なんや、試合に負けたんか?」と思っていたが・・・どうも違う。解説者が「ラグビーはとても激しいスポーツですから、試合前というのは過緊張状態にあるんです。そのまま試合に出ると身体がガチガチで全く試合にならないことが多いんです」・・「だから、涙を流すことによって過緊張を解いてしまうんです」と言っていた。試合直前に何か絶対に泣いてしまうような「素材」を選手に観賞させて、泣かせるらしい???更に番組の中で【週末落涙】という言葉を始めて耳にしたが、「週末に感動して涙の出るような物語に触れて、涙を流すと、それまでの1週間に貯まりたまったストレスを涙と一緒に流すことができるんです」と話されていた。「週末落涙」・・・なるほど

 

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私が今まで【その効用】に気づかずに自然と実行してきたことに近い。これまでのブログでも書いてきたが、私はDVDによる「映画鑑賞」は尋常で無いほど好きである。最近はさすがに次々と【新作】が出てくるので、知らないDVD、観た事の無いDVDが多いが、20年以上前は「TSUTAYA」や近隣にあったDVD屋に行っても「見たい作品」を探すのに苦労する時があったくらいである。それ程「観尽くす」ほど見ていた時期があった。その後、暫くブランクの時期があったりして、最近は嬉しいことに「あれも見たい・これも観たい」という状況が続いているので嬉しい限りである。それでも、「愚作」「低級品」に出会うと辛い・・・というか、もう面白くないと思ったら「早回し」をして、【本当に面白くない作品】かどうか【点検作業】を終えて返却している。もう、題名は忘れてしまったけれど、最初は全く面白くなかったけれど、暫く【我慢】して観ていると、めちゃくちゃ面白い展開なった映画もたまにあるから、「点検」は必要である。

 

そんな中で、心の底から【感動】させてもらる作品に出会うと本当に「得をした」気分になれるし、少し【余韻】が残りすぎて「妄想気分」や「創作気分」が続いて寝づらいこともあるが、感動する作品を観れば観るほど、【その続き】をどうしても観てみたいという気持ちが強く働き、自分の「想像の世界」で続きの【脚本】を書き上げたりしていることもある。【感動】と言っても、私には幾つかの【種類】に分類できるように感じているが、どのような分類が適切なのかよく分からないが、とりあえず、今回はこのように分類しておきたいと思う。

 

A流感動(動的感動)➔スリリングでサスペンスチックなストーリー、「戦う存在」が登場して、何かを成し遂げる。「成功体験」がテーマになっている。

S流感動(静的感動)➔病気・貧困・差別・障害など様々なハンディキャップに打ち勝って、自分の人生を切り開いていくような、人間の内面を主に描いている。

N流感動(自然感動)⇒人間を取り巻く自然の姿、動物の世界の中に存在している大きな感動。

C流感動(創作的感動)⇒人間がこの世に「想像力・創造力」で生み出す新しい世界に心打たれる。 てな感じですかね。勿論、感動の種類は「重複」します。

 

でも、先日の○○中学校での卒業式で多くの女子生徒たちが涙を流していましたが、男子生徒はちらほら10名程度でした。私も中学校の卒業式で「涙」を流したなんて記憶がありませんし、中学生活は本当に遊びまくっていましたから・・・「高校」に進学することが楽しみで悲しくも寂しくもなかったですね。でも、いろんなことに「感動する心」は育まれていたように思います。

 

最近とみに思うのですが、最近の若者の引き起こす「犯罪・事件」は本当にむかつくものが多すぎます。保育士の真似をして「幼児」を虐待死させる。無差別殺人をして「ネット万歳」と叫ぶバカ、中学生女子を刺殺する高校生、ストーカー殺人・・・・みんな、この世に生まれたときには「未来」があったはずなのに、本人自らが人間として最低の生き方を選択する・・・・人を殺した人間が「更生」などできるはずがない。「殺人」を犯したという過去はどのように更生したところで消えるものでもないし、殺された人は生き返らない。この人たちの表情をテレビの報道で観ていると、「喜怒哀楽」の感情のバランスが取れていない人達だと即座に感じてしまう。表情に生気がなく、「人間的な感動体験」を全く経験していなくて、「感動の涙」を流した人間であるとは感じ取れない人達が全員である。ネット社会の闇の部分ばかりにアクセスし、いつも同じパターンの「刺激」に快感を覚え、前述した様々な種類の「感動」に接して、日々「涙」を流す体験をしていないことが分かります。余りにも寂しい人間が「量産」され始めています。

 

涙を流すことは決して恥ずかしいことではない・・・・という言葉で、今の若者たちに「涙」をもっと流せって言ってみたかったのに、どうも様子が違う。ゲームで培われるものは、擬似成功体験ばかりである。失敗して「悔しい」と思うだけで、「感動」して涙を流すという、とても人間的な側面が余りにも少なすぎる。RPG(ロールプレイングゲーム)にしても、疑似体験と言っているが「自然の風」があり「自然の香り」があるわけでもないし、常にリセットできて「良いとこどり」ばかりをして、最終ステージに到達する。ゲームで味わう「苦労」なんてものは社会で必要とされる「苦労」とは全く異質・異次元のもので、そのようなゲーム体験をいくら蓄積しても「豊かな包容力のある人間性」が構築できるはずもない。

 

もう、その映画作品を観て何年も経っているが、未だに「あの映画は良かったなあ!」と思っている作品が何本かある。その作品を紹介してみたいと思うが、私のブログをそのような犯罪予備軍の若者が見ているはずもないが、ひとつの「警鐘」として書き残しておきたいと思う。私自身もそうであるが、人間とは気ままな生き物で、1年間365日、常に同じ精神状態で生活しているとは限らない。この年になっても、まだまだ「不惑」の年ではない。時によっては「刺激的な作品」を求めたり、「エロティックな作品」を求めたり、そして「ほのぼのする作品」「ホッとする作品」・・そして「感動作品」を求めたりするものだから、押し付けするつもりはさらさらない。でも、「時間があって、近くにレンタルビデオ屋があって、感動して涙を流してみたい!」と思われる時は是非観てもらいたい作品リストを「7作品」リストアップしておきたい。作品の名前しか挙げないですが、是非、ネット検索して「興味をそそる作品かどうか」確かめてみてください。間違いなく涙を流していただけると確信しています。

 

1.「ナイロビの蜂」2005年  2.「題名のない子守唄」2007年 3.「奇跡のシンフォニー」2008

4.「愛する人」2011年    5.「扉をたたく人」2009年   6.「最強のふたり」2012

7.「ヒア・アフター」2011

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  2005年以前の作品にも多くの感動作品がありました。全感動作品を紹介したいけど、そこはグッと我慢して、少なくとも若い人達が生まれてから以降の作品に絞っています。若者のみんな、もう「ゲーム」はたまにするようにして、周りの若者たちとの人間関係を大事にして、感動的な映画や演劇・芸術などを鑑賞して、いろんなスポーツや趣味に興じて・・・そして「感動の涙」を流す体験を増やしていきましょう。人を殺して涙を流さない人間と、この地球上に同居しているなんてとてもとても嫌なことです。喜びの涙はとても素晴らしいことです、そして、怒りの涙もあるでしょう・・・今の世の中、格差社会で政治家も全く信用できないし泣きたくなるよなあ。悲しいこと・哀しいことはいっぱいあるけど・・・それは「感動できないこと」ばかりで涙もでないよなあ・・・・楽しいことは人それぞれ・・・何を楽しく感じるか、これが一番厄介な感情なのかもしれないなあ。「人を殺して楽しい」なんてありえない。「もっと楽しく!」とエールを送ると、「幸せそうに見える奴なら誰でも良かった!」と殺意を芽生えさす・・・・どう考えても「理解」できない。でも、はっきり言っておくが「責任能力」がないわけではない。ちゃんと自分の犯した「罪」に対する責任は果たしてもらわないと「人間」が迷惑をするんです。

 

 生育歴に「問題」があるから、このような人間が形成されるんだという「弁護論」・・・・・「愛情」を注がれて育っていないから、こんな人間にならざるを得なかったんだ・・・・本当にこの【理屈】正しいのかなあ。自分の「人間性」に自分が責任を持たなかったら・・・「人間」を止めれば良いんだよね。言いすぎだとは分かるけど、少なくとも今の時代、自分の生きている周りには必ず「人間性豊かな人」がいるんです。目先の「快楽」を求めすぎず、「人間を信頼」することを忘れず、自分の「人間性を磨く」努力を怠らず、そして「涙」を流す【感動】を日々求めるような人生を、若者たちには是非歩んでほしいと、心から願いたいですね。

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by taira710 | 2014-03-21 14:11 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

15歳の少女からこんなにも沢山のものを学べるなんて・・・!!

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 アンネ・フランク」は日記だけじゃなくて、「童話」も書いているんです!

彼女の人生から何も学べない人間がいるなんて・・・・情け無い時代だ!!!

 

 「アンネ・フランク」の15歳の少女の苛酷な人生は、きっと今の飽食の日本に生きている若い人たちには【正しく】理解できないのではないかと思うことがある。2年1ヶ月の期間、ナチの【ユダヤ人狩り】に怯え、家族以外の人間とも「隠れ家」に住み続け、結局、終戦の直前に【密告】され、ナチの強制収容所に移送され、3歳年上の姉の後を追うように「チフス」に罹り死亡せざるをえなかったという一人の少女の悲惨な人生を著した世界を・・・・何故、破り捨てるような行為に出なければならなかったのか。・・・こんな人間はこの世にたった一人きりで十分である。

 

 多分「無知」からスタートしているんだろうと思う。インターネットの【捏造】された情報は本当に酷い。少なくとも真面目に勉強してこなかった人間は、そのような「捏造された悪意のある情報」に容易に左右され、まるで「洗脳」されたかのように、その情報が真実だと思い込んでしまう。現在、公に出版されているアンネ・フランクに関する書籍は「真実」が描かれていると・・・信じたい。小学館から出版されている【写真でつづるアンネの青春記録-アンネのアルバム】と【完訳・アンネの童話集】(木島和子:訳)の2冊を最近読んで、何十年ぶりにアンネ・フランクの書物に触れて、改めて感じたことをいろいろと書き連ねたいと思っている。

 

 「私はどのようなことがあっても人間の善を信じたい」「戦争が終わったら、この世界と人類のために働きたい」という言葉を残している前向きな少女、いつも周囲を巻き込んでおてんばだったユニークな少女、本が大好きで好奇心旺盛な少女、お喋りが大好きで「アヒルのがあがあおばさん」というニックネームを担任の先生に付けられたりしていた少女・・・・そんな彼女が何故に「隠れ家」に住み続けなければならなかったのか?

 

アンネ・フランクは1929年6月12日ドイツのフランクフルトで生まれています。父はドイツ系ユダヤ人で銀行員、代々裕福な家庭に育っています。まるでお城のような大邸宅に住んでいた時代があります。ところが、不幸な運命は、その彼女の誕生から4年後、1933年1月にヒットラーがドイツの首相になり、ゲルマン民族至上主義を掲げて「ユダヤ人狩り」を始めたことから始まるのです。父親のオットーはドイツ陸軍の中尉を経験していたし、情報も収集していたので、ただならぬ事態を予期していました。スイスに逃げるにしても【ドイツ軍の警戒網】を突破することは無理に違いないと判断して、オランダのアムステルダム市内に【隠れ家】を作り、そこで終戦を待つという選択をしたのです。かなり事前に準備されていたし、周囲には「信頼できる人たち、隠れ家生活を支え続けてくれた人達」がいて、その隠れ家生活は何と2年1ヶ月も継続されたのです。

 

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 1940年5月、ドイツナチスがオランダに侵攻し、街中で【ユダヤ人狩り】が始まったのです。窓のすき間からその雰囲気・様子を目の当たりにすると、もはや「恐怖」以外のものを感じないのじゃないのかなあと思います。4階建ての建物の3階・4階に住み続け、物音を立てないように最新の注意を払い、外出も全くできないのです。そんな「閉塞状況」を救ってくれたのが、お父さんが買ってくれた「日記」を書き続けることと、【童話】づくりという想像の世界を広げていく作業・楽しみだったのです。大抵の人達は「日記」については知っていると思います。もうひとつ「童話作家」としての未来、14歳~15歳で「このレベル」の作品、それも好奇心いっぱい「愛」があり、ストーリーとしても楽しく、「アンネ・フランク」が本当に大人になっていれば「人類の平和」の為に、本当に貢献される仕事をされていたように思います。たった数ヶ月の違いで、そして「心の無い密告者」の存在の為に、失ってしまった1/600万人の「存在」は余りにも大きかったのではと悔しさが溢れ出てきます。

 

 ユダヤ人ならびにユダヤ教信者の全ての公職からの【追放】、そしてユダヤ人への物品・食料の販売禁止・・こんな「恐ろしい世界」を作り上げることにどれだけの人間が協力してしまったことか・・・「ゲシュタポ」という秘密警察の存在は、人間を極度の「人間不信」に陥らせるのです。「恐怖」による支配そのものです。

アンネ・フランクはゲシュタポに捕らえられ、愛する父母と引き離され「ベルゲン・ベルゼン収容所」に移送され、劣悪な収容所環境で「チフス」に罹患し、1945年3月31日15歳10ヶ月で死亡するのです。その僅か【1ヵ月後】に元凶のヒットラーが自殺するのです。その年の8月15日に【日本】も降伏するのです。

 

 秘密警察が隠れ家に踏み込んできた時、父親のオットーはアンネから頼まれて、彼女の日記やノートを大事にカバンに保管していたのですが、ゲシュタポはそのカバンを逆さまにして、中から日記帳やノートが出てきた時に「金目のものが無い」ことにがっかりして、床に散乱させたまま、オットー一家を連行してしまったのです。その際に、アンネが日記やノートに駆け寄っていたら、ゲシュタポは「ナチの犯罪的行為を告発」する力を持っていた【日記】などを間違いなく押収し、焼き払っていたように思います。日記は1944年8月1日で途切れてしまっています。8月4日に秘密警察がやってくるまで、アンネは本当に信じられないような【恐怖】におののいていたんだと思います。

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 フランク一家を献身的にサポートし続けていた秘書の「ミープ・ヘンク夫人」とタイピスト「リース」さんたち、そしてミープ夫人はフランク一家が逮捕された日の夕方、その隠れ家を訪れ、床に散乱した「日記・ノート」を大事に保管し続けていたのです。そして、本人の【アンネ・フランク】は死んでしまっていたのですが、オットー・フランクが収容所から【帰還】した時、その「日記・ノート」を手渡したのです。そして、1947年、私がこの世に生まれた年に、遥か遠くオランダでアンネの日記「裏の家」という題で初版2000部が出版されたのです。

 

 「ゲシュタポに見つかったら殺される!」と感じながら、日々を生き続けた少女が、尚も「夢」と【希望】を思い描いていた・・・・ 私は、つい先日、〇〇中学校卒業して行った129名もの中学3年生を見送りました。その子供たちの事を考えながら、同じ中学生の2年1ヶ月という間、【ユダヤ人狩り】に恐怖に覚えながらも【隠れ家生活】の中で、日記を書き続けたり、さらに「童話」という創作の世界へのエネルギーを持ち合わせていた「この少女」への敬意を禁じえません。普通の日本ならば「義務教育」の重要な時代です。

 

 私は、【アンネの著作】を引きちぎった・破った人間に対して「情けなくて呆れてしまっている」というのが正直な気持ちですが、結局、私もその一人になったのですが、マスコミがこの事件を取り上げて、国際的にも注目を浴びることによって、改めて、今、この時期に「アンネ・フランクへの著作」に関する注目が集まって、まだ読んだことの無い若い人たちに読んでもらえる機会になって欲しいと思っていますし、「戦争」がいかに悲しい事なのかを、改めて「自覚」してもらうためには「最適の教材」ではないかと思っています。私も、この年になって、アンネ・フランクの15歳の少女の書いた「童話」に感動してしまっています。

 

 「妖精」という題名の素晴らしい「童話」の一部を紹介しておきたいと思います。

「エレンはたとえひとりぼっちになったとしても、自分の人生をすばらしいものにできることを悟ったのです。それと、人は自分がたとえ、どんなに貧しくても、なお人に有形無形のプレゼントができるということも。エレンが年老いた妖精となり、天寿を全うして亡くなったときから、この地上には悩みや悲しみがふえました。けれども、エレンの心は、愛は消え去ったわけではありません。人々が眠りにつくとき、彼女はみんなに安らかな夢を与えに、天国からもどってきます・・・・・・・」   (1944年5月12日創作)

 

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by taira710 | 2014-03-17 19:55 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

卒業式の雰囲気は、何故か【鼓舞】してくれるものがある!!

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 Congratulation!卒業おめでとう!」まだまだ中学校を卒業したばかり・・・

  貴女方の・・君たちの未来には、まだまだ【可能性】が無限に広がっていますよ!!!

 

 

 今日は〇〇中学校の卒業式である。少し雲はあるが、午後はかなり青空と太陽が出て天気が良くなった。昨日は、その「卒業式の最終予行演習」が本番並みに実施された。その後、支援学級の教室で作業をしていると、毎朝、校門前で笑顔で挨拶してくれる3年生の女子3人組がやってきて「平先生、アルバムにメッセージ書いてください!」と頼まれてしまった。「ええっ、オレが!」と戸惑いながら目の前には何と三冊もの【卒業アルバム】の最後の「色紙」のページが開けられている。クラスメートのメッセージが所狭しと書いてあって、ちょっと「場違い」というか変な気持ちになっていたが、三人の表情が朝と一緒で、とてもにこやかで「字汚いけど我慢してな!」と言いながら、それぞれの生徒に向けてのメッセージを書いた。

 

 その前の時も、3人の内ひとりが【デジカメ】を持参していて、朝、校門の前で「先生、一緒に写真撮ってください!」と言われた。中学生の女子生徒に頼まれて「断る」理由が思いつかない。二人ずつ撮り合いっこして、私も自然な笑顔でカメラに収まった。その写真を私も欲しくて、アルバムにメッセージを書きながら「この間の写真、先生にも送ってほしいんやけど!」と依頼すると「先生、携帯持ってるん?」・・・「ええっ、スマホ持ってるやん!」「先生、LINEってしてる?」「してるよ!」と言い、スマホアドレスと電話番号を記入したメモを渡して、写真の送付を依頼した。

 

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 ところが、学校を退勤して電車に乗っているときにスマホに何かが着信した。何と、AYAKAさんからのラインメッセージである。メールにはMAYUさんとYUさんからも着信していた。

お願い事をしていたし、3人ともとっても良い子で好感度が三重マルなので「返信」をはじめると、次々とLINEに3人からメールが着信して、ほとんど1時間半に渡ってメールのやり取りをしていた。それも3人同時だからメールを打つのも大変だった。LINEはまさに【リアルタイム】の文字による会話だから「文字入力」は大忙しだった。

 

 家内にその話をすると「何でやのん?」と疑問を持たれたが、私にも良くわからないが、朝の挨拶の時はいつも「冗談」みたいに言っていたし、3人の反応がすこぶる良くて、私も3人との交流が楽しかった。今日(卒業式当日)を最後に、もう明日の朝から彼女たちの笑顔に触れる機会は無くなってしまった。でも、3人は別々の高校に進学しても、きっと仲の良い友達関係を続けてくれそうだし、3人とも別々に私にメールをくれていたので、何かの折にメールをしたりして【交流】が続くかもしれない。

 

 【卒業式】は中学3年間の集約だから、やはり「厳粛」に執り行うことが最適であると思う。9時前から次々と保護者に方々が来校、体育館の前には「祝電」のボード、そして体育館の中には美術の時間に作成された【3年生の自画像】が掲示されていた。いや、中学3年生ってこんなに「才能豊か」なのって、本当に驚いてしまうほど上手だし、3年間の思い出なども表現されている。すぎの子学級の3年生の作品の完成品を目の当たりにしたが、YUUKIは「闘う人」INOCHIは「チャレンジ」、NAGAREは「将来の夢・運転士」である。それぞれの作品は3人とも前向きで、ワンステップ飛躍しようとする気構えが感じられた。特に、NAGAREはかなり小さい頃からの夢らしいが、最初はJRとか「タンゴ鉄道」への就職を希望していたようだが、東北大震災の状況に触れて、先日、3年ぶりに全面開通した【三陸鉄道の運転士】という夢に向かって歩き出している。

 

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 3人の女子生徒たち、AYAKAは【創作部】、「ユニコーンと夢の世界」という題名だが、一角獣のユニコーンが2頭、色違いで描かれていて、その横に自分の自画像が描かれている。とても明るい性格だが、内面は極めてナイーブなのかもしれない。MAYUはバレーボール部で下級生に慕われていた3年生、自画像の題名は「受験テトリス」・・・彼女は高槻市の名門公立高校に合格しているが、「受験勉強中」は大変なストレスがあったのだろう。数学・英語・国語などの受験科目がゲーム「テトリス」のように頭の中に上手く納まっていってくれないと「クリアー」できない・・・という【不安】を表現しているのがリアルに分かるように構成している。YUは3年間ソフトテニス部で過ごしている。彼女も下級生から慕われている。「3年間のテニス部の思い出」には、それぞれの「一瞬」が表現力豊かに描かれている。彼女にとっては「チームの和」がきっと何よりも大事って伝えたかったのだろう。

 

 卒業式に3年生が歌った歌は「桜舞う頃~僕達のLast Song」「桜ノ雨」そして、締めくくりは「証(あかし)」だった。何と心に響かせる男女のハーモニーだったことか。その中の私の好きになったフレーズを、ここに書き残しておこう。

 

 「幼かった僕も大人になる 本当の優しさを知ったから」

 「君に会えてよかった この想い いつまでも」       桜舞う頃~

 「土ぼこり上げ競った校庭 窮屈で着くずした制服 机の上に書いた落書き どれもこれも僕らの証」                         桜ノ雨~

 「傷つけ合っては 何度も許しあえたこと 代わりなき僕らの証になるだろう」

                              証~

                                                                                                                                 

 卒業生129名の内、何人かは欠席が見られたが、一人ずつ担任の先生が名前を読み上げ、【卒業証書】が校長先生から手渡された。そして「送辞」が読まれ、それぞれのクラスから主な代表が選ばれ「答辞」を読んだ。前日の予行演習は出だしだけだったが、本番で8人の読んだ内容は本当に素晴らしかった。【苦しかったこと】「辛かったこと」【思い通りにならなかったこと】「病気になってしまったこと」いろいろ忘れられない記憶がいっぱい・・そして、同じくらい、それ以上に「嬉しかったこと」「友達に助けられたこと」「先生への感謝」「親への感謝」・・壇上はすすり泣きの声で溢れていた。

 

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11時30分から【卒業式を終えた3年生】はクラスでの最後の時間を過ごし、校門前に続く保護者・下級生・先生方の作る「最後の花道」を歩き、吹奏楽部の調べに合わせるかのように、校門を出て行った。その後、学校のあちこちで、クラブメンバーとの別れや先生方との別れがあった。私もAYAKAから「ヒガ兄(ひがにい)」と呼ばれて、一緒に写真に収まった。「ヒガニイ(日垣の兄さん)」とはまた予想外の嬉しい名前である。クラブを卒業していく3年生と残された下級生との交流は本当に涙と笑いと笑顔に溢れ、本当に良い卒業式だったなあと思わせてくれた。

 

 生徒たちがまだまだ沢山名残を惜しむように校舎内にいたが、最後に職員室で3年生の学年主任の先生から挨拶があり、校長先生からも挨拶があった。【1年生のときはどうなるかと心配したが、3年間でよく成長してくれたもんです!】と感慨深げに言われた一言が、1年時を知らない私にも十分に伝わる内容だった。

 

 まだ採用の是非は分からないが、私は【介助員】としての仕事を続けたいと思っている。支援学級は3年生3人が卒業し、4月からは2年生が4人、3年生が2人、そして新1年生が6人・・という新しい体制である。今の1年生のままでは下級生の手本にはならないが、また、この1年後には【大きな成長】を期待したい。また、来年も桜の花びらが舞う頃、桜の雨が降る頃、3年生が卒業していく。私もどこかの「学校」に入学して、そして卒業したいと思っている。卒後教育も大事だか、人生、いつでもリセットして、新しい分野に挑戦するのも面白そうに感じられる。

 

 AYAKAMAYUYUの3人ありがとう、君たちの周りには「友達の輪」ができる。

 INOCHINAGAREYUUKI・・・・・高校でも自分を発揮して頑張れよ!!

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by taira710 | 2014-03-14 20:53 | 人生こそ旅の連続!! | Comments(0)

納税の義務・・・・・勤労もしてるし・・教育もしてるよ・・・

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 国民の「三大義務」と「三大権利」を考えてみよう!

    【確定申告】をわざわざ有休取得までして行ったのに・・・・・ああ、【これは悲劇だ!】権利と義務のバランス

 

 3月12日はわざわざ「有休」取得してまで、日本国民の三大義務の一つ「納税の義務」を果たすために、わざわざ吹田税務署まで【確定申告】しに行った。実は以前からわざわざ出向くのが大変なので【e-Tax】に切り替えたくて、毎年、e-Taxの手続きの為に国税庁のホームページを開くが、二つの手続きが必要で、その手続きの内の一つ「カードリーダーの購入と設置」が必要とされているので・・・・とてもムカついてしまって、手続きを未だにしないでいる。いつまで【国税庁】はカードリーダーの購入を「納税の義務」のために義務し続けるのか、とても「問題」な事象だと思っている。

 

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 ところで、私はもう66歳と8ヶ月生きてきて、今の自民党政府に共感できる部分もないし、省庁の官僚連中の過分な給与の為に【納税】をしていると思うと、本当に腹立たしくて「拒否」したくなる気持ちにもなるが、実際に「生活保護」にしろ「障害年金」にしろ「復興予算」にしろ、国の施策として、どうしても実施してもらいたい課題もあるので、私の「納税」はその目的のための納税ですよ!と語気を強めながら、毎年確定申告をしに行っている。でも、今回は、朝目覚めてからすっきりと進行しなかった。実は「公的年金等の源泉徴収表」「生命保険控除証明書」は大事に事前に揃えていたのに、どうしても肝心の「給与所得の源泉徴収表」が【定位置】から見つからず、結局、茨木市役所の【会計室】までわざわざ出向き再発行してもらった。印鑑と書類記入だけで「手数料」は不要だったが、時間と交通費の無駄使いだった。

 

 それから、郵便局で「必要納税金額」を「5万円」までと予測して、現金を準備して吹田税務署まで出かけた。税務署はとても空いていて、これは手続きが【簡単だ!】と安心して【書類作成】を推し進めたが、私の場合「給与所得」「公的年金」「社会保険料」「生命保険料」「配偶者控除」「基礎控除」と記入する場所が限られているし、この程度は「記入」できると確信して、税務署内で書類記入を始めたが、どうしても「雑収入」の項目の「金額」が去年準備した「各種書類」からの出所が分からない???数字のことだから、「推測」で記入するわけにはいかないし、訳のわからない「金額」は確認しておかないといけない。結局、「すいたサンクス」の4階の特設会場に移動せざるを得なかった。税務署では「サポートはできませんので!」と念押しをされていたので致し方なかった。その会場に上がってみて【仰天】してしまった。もう「行列のできる~」どころの話ではない。ものすごい列である。・・・・・これは【ダメだ!】と思い周囲を見回すと【ご自分でe-Taxの入力をされる方のコーナー】があった。そのコーナーだけは10人程度しか並んでいない。

 

 何とかなるだろうと思って、そのコーナーに並んで10分ほどで自分の番が来た。必要書類を渡すと、「これとこれでOKです」と書類を整理してくれた。パソコン入力はうっかり「老眼鏡」を持参し忘れていて大変だったが、まあPC入力は慣れているので、すこしアドバイスをもらい「入力完了」した。・・・・・その後がビックリである。「5万円」以内と予測して準備して行ったが、【所得税及び復興特別所得税】が¥57100円と算出されて・・・・・・「う~ん!」と唸ってしまった。一生懸命働いて・・・「こんなに納税が必要だとは!」ところが、もう時間は4時半を過ぎてしまっていた。それに【特設会場】には納税の窓口が無かった。3月17日までに納税を完了しなければ、また「滞納金」が追加される。・・・・ああ、まるで江戸時代の「年貢の取立て」のどこが違うんだと思ってしまう。

 

 朝食にごはんと鮭の切り身と切り干し大根を頂いて、それっきり食事をしていなかったので【空腹感】も頂点に達していた。でも、夕食の時間までそんなに時間もない。自転車で空腹を我慢しながら自宅に帰り、まず缶ビールで喉を潤し、家内が酒のアテに出してくれた「切り干し大根」と私が帰りに買った「牛角のキムチ」で一息つかせてもらい・・・・納税金額で「家内」に不満を述べた。「ほんまにムカつくで・・・なんぼやと思う!!!」・・・・家内の和美さんは「いつまでもグチグチ言わないよ!・・・折角、頑張って働いてるからやね・・と褒めてあげたんだから」「働けるってことは健康な証拠だし、働ける人がちゃんと納税することで世の中の困っている人たちも少しは幸せに生きていけるんやから・・・納税額のことでグチグチ言わないの!値打ちが下がるよ!」とダメ押しをされてしまった。・・・・・「う~ん、分かるけど・・ムカつくねんなあ!」・・でも、正論には太刀打ちできない。その後は美味しく夕食を頂けた。

 

 いやしかし、今回のブログの表題に書き入れたが・・・・よく国民の「三大義務」とか「三大権利」とか言うけど、本当に正しく知っている人はどれくらい日本人にいるんだろう・・・と疑問に思ってしまった。そもそも【義務】と決めたのは誰で【権利】と決めたのは誰なんだろう??1947年5月3日、私はほぼその2ヵ月後にこの世に生れ落ちることになるが、その日は「日本国憲法」が施行された日である。2014年3月13日現在まで、この素晴らしい【日本国憲法】は何人たりとも[改正]してはいない。それ程[重み]があり、日本国が今まで「平和主義」を貫き続けてこれた「根幹」でもある。その日本国憲法の第30条に「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」と記載されていて、第84条には「あらたに租税を課し,又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」として、国民主権のもとに税の法律は定められていると言えます。でも「復興所得税」という新税、「消費税8%」という税率アップに関して「国民主権」の意思は反映されているのでしょうか?

 

 日本は今年西暦2014年だから、「税金・租税」の歴史はどんなものだったんだろう・・・・多分、皆さんは時代劇の主題で「苛酷な年貢の取立てに苦しむ農民たち」「お代官様、これ以上払えねえだ!」と懇願する農民の姿の印象を受けているが、大体「士農工商」の階級社会、あるいはそれに類した「封建社会」が続いていたので、当時の所謂「庶民」は農民にしろ町人にしろ商人にしろ、かなり厳しく「租税」「年貢」の徴収をされていたんだろうと十分に想像ができる。まあ、いずれにしろ日本の歴史は時の「権力者」「支配者」「幕府」によって、かなり厳しく取り立てられていて、全収穫の40~50%の「米・穀物」だったり「労役」だったり[兵役]だったりしている。奈良時代には「宮中警護」に担ぎ出されたりしていたから、驚いてしまう。つまり、いずれにしろ「庶民」は憲法で「国民」に昇格したところで、所詮「貢物をしなけれぱならない」身分なのだろう。

 

 ただ、時代と共に【大きな変化】は納税が「為政者への貢物」という意味合いだけではなく、「国民の社会保障」あるいは「環境整備・国土強靭化計画」のように「国民自体」に還元されていく要素が確実に増えていることである。ただ「防衛費」「軍備」「武器輸出」に関連した分野への流用は硬くお断りしたい。

 

 話は振り出しに戻したいが、国民の三大義務とは「勤労の義務」「子供に教育を受けさせる義務」そして【納税の義務】である。権利があれば義務を伴うが・・・その「三大権利」とは「生存権」「参政権」「教育を受ける権利」である。日本は「義務教育制度」が整備され【識字率】が他国と比べて本当に高いので「教育」は徹底されているが、この「参政権」=【選挙権】を確保するために先人たちがどれだけ努力してきたことさえ知らずに、毎年のように行われているという印象のある「日本の選挙」の【投票率】が余りにも低い現実は嘆かわしいことである。「女性参政権」もしかり・・・・

 

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 人間は「権利」を与えられるといとも簡単に【至極当然】「当たり前」と思い込む生き物のようである。江戸幕府の時代に【選挙制度】など有ろうはずも無い。1878年(明治11年)に初の地方場会選挙が実施され、1889年に満25歳以上の男性で、直接国税15円以上を納めている者に選挙権が付与された。明らかにそれ相応の納税をしていることが条件という【制限選挙】だった。【納税条件】が撤廃されたのは、1925年(大正14年)のことで、やっと日本が敗戦した後、1945年(昭和20年)にGHQの指導で満20歳以上の男女に選挙権が付与されたのである。それまでの過程で「楠瀬喜多」「平塚らいてう」「市川房江」などの活躍を忘れてはならない。今年が2014年だから、女性の参政権が認められてから1世紀にも満たない僅か69年しか経過していないのである。世界中の国々を見渡しても、1920年にアメリカ合衆国、1928年にイギリス、1945年フランス・イタリア、1948年韓国、1949年中国といった調子である。サウジアラビアとバチカン市国は現在も本質的に「女性参政権」を認めていない。民主主義の国アメリカ合衆国でさえ、1910年代は【婦人参政権】の獲得を目指して女性を中心とする市民運動が続いていたのである。

 

 昨今、「権利」と「義務」のバランスがとても悪い時代になってきている。何でもかんでも「訴訟」する時代は、裏返せば「自己責任性」の放棄でもある。【イジメ】問題でも学校や教育委員会を訴える前に、「親」として「子供の教育」に関してどれだけエネルギーを払ってきたのかを明らかにして欲しいと思うことがある。【これだけやっても解決しなかった】という親側の努力・・・「イジメに気づかなかったから・・・学校に責任転嫁する」・・・これって教育的効果がある大人の対応とは思えない。

 

 何事にも「歴史」がある。「歴史」から学ぶことなくして「権利」だけを主張するのは間違っている。日本にも「敗戦」という歴史がある。その敗戦国日本が、軍備を増強して【国防軍】に昇格させて、【集団的自衛権】で他国と戦争ができるように準備している。特別秘密保護法で「公安警察」のような存在を復活させようとしている気配を感じる。「歴史」から学ぶこと知らない人間は、考え方が「帝国主義的」「軍国主義的」だ。このような輩が政治に携わるので、いつまでも人類は同じ過ちを繰り返すのだ。オレはきっちりと納税している。選挙権もあれば「発言権」もある。

 

「正道を歩きなさい!日本国、国を良くする三種の神器とは・・教育・平和主義・良識ある表現の自由です」

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by taira710 | 2014-03-13 20:28 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

ラッキードラゴンの目には【涙】が見える・・・悲しすぎる人間の愚行!!!

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 ラッキードラゴン「第5福竜丸の記憶」を初めて耳にして、そして「怒り」が・・・・・・・

 人間の身勝手さ・独善さ・偏見の塊・・・・・・・そして「犠牲的精神」

 

 先日のS学園での吹奏楽「ウイングコンサート」のブログで、「もう1曲とても心に残った曲」に出会ったことを書いていたが、紙面の都合で紹介できなかった。今日はその曲「ラッキードラゴン」(第5福竜丸の記憶)について書いてみたいと思っている。私はもうかなり以前から「原子力発電」には反対の意思を持っていた。「放射性廃棄物」というものをコントロールできない限りは・・・・永遠にできるはずも無いが・・・人間は【制御】できないものを取り扱い始めると、必ず「不測の事態」が発生し、結果、人類を滅亡に導くような事態が生じることを懸念し続けている。他に代替物が無ければ致し方ないが、人間は様々な自然エネルギーを上手に利用してきている。自然との共存を目指す「エネルギー革命」を目標とすべきだと思っている。

 

 だから「原子力」「原爆」「水爆」「核実験」・・・【非核三原則】などいろんなことに関心を持ち続けているが、どうも昨今の安倍政権の動きを観ていると、「うさんくささ」と共に「脅威」を感じてしまう。「第5福竜丸」の事件のことは、1954年3月1日のことだから、私はまだ6歳、愛日小学校の1年坊主だったから、その当時は全く記憶に残っていないし、かなり馬鹿な子供だったから、まさかそんなことに関心は示さなかったと思う。ただ、かなり早期にその【話題】に触れた思いがある。もう太平洋戦争も終結していた後のことだが、アメリカ軍の「水爆実験」によって発生した多量の放射性降下物(死の灰)が航海中だった遠洋マグロ漁船「第5福竜丸」とその乗組員たち23名に降り注いだ。この時、アメリカ軍の指定した【危険水域】は余りにも威力を過小評価していたため狭く、その後明らかにされたが、この醜悪な水爆実験で被爆した漁船は数百隻に及び、被爆者も2万名を越えていたと言われている。この事件に関して知ったとき、「何で大国は、こんな小さな地球上で放射能を撒き散らすような核実験を繰り返すんだ!」と自分の内側から湧き上がる「憤り・怒り」を感じていた。

 

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 その頃は「アメリカとソ連」「自由主義陣営と共産・社会主義陣営」との【冷戦】の時代だった。しかし、冷戦状態を引き起こしたのは一握りの「権力者たち」であることは自明の理だった。広島・長崎に原爆を投下して、あれだけの無残な犠牲者を作り出しているのに、更に反省のかけらも無く「核実験」を繰り返す当時のアメリカの政権と軍部の「思考回路」に対して、人間はいったいどこまで残酷になれるものなのか・・・と絶望的な気持ちにもなったことがあった。事実、アメリカ政府と日本政府は「反核運動」「反米運動」が拡大することを恐れ、補償交渉を急ぎ・・・結果「賠償金」ではなく「アメリカ政府の好意による見舞金」の支払いで決着しようとした。何とも「あきれた」両国の政治屋の考え方・思考回路である。

 

 歴史は深い・・・・「第5福竜丸」の前身はカツオ漁船の「第7事代丸」(ことしろまる)は私がこの世に生まれた1947年に建造されている。その後静岡県焼津で「マグロ漁船」に改造され、名前も「第5福竜丸」となっている。太平洋上で被爆したので、焼津に帰港した時は3月14日で被爆してから13日間も経過していた。静岡大学の研究員により検査されたが、「すさまじい放射能」が検出され、第5福竜丸は鉄条網の張られた場所に長期間隔離され、その後放射能除去作業が行われ、東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」として千葉県館山港で就航している。1967年に老朽化により廃船となり、埋立地【夢の島】に廃棄されたが、保存運動が起こり、夢の島公園に【永久保存】されている。

 

 「ラッキードラゴン」という曲名にはかなりのインパクトがある。船名の「福」と「竜」からその「記憶」を【曲】の中に凝縮させようとした作曲者&オーボエ奏者「福島弘和」のモチベーションはどこが「起点」となっていたのか、とても興味がある。1971年生まれだから現在43歳、熟年だ。2010年に吹奏楽部門のアカデミー賞を受賞されているからかなりの実力者ということだ。どのような「媒体」で、福島和弘が【第5福竜丸】に接したのか分からないが、アメリカの物理学者ラルフ・ラップが第5福竜丸についての記事を発表したときに「ベン・シャーン」が「挿し絵」を描いたが、その際に「Lucky Dragon Series」として連作にした。1959年に新藤兼人が監督した映画「第5福竜丸」が公開され、日本人にとって【第5福竜丸事件】は原爆投下と同様の悲劇性を感じた。そして、50経過して、【アーサー・ビナード】がベン・シャーンの絵に【詩】をつけ、絵本にした。それが【ラッキードラゴン・第5福竜丸の記憶】だ。このアメリカ軍の許すことのできない所業は【語り継がれ】【訴え続けられ】今に至っている。ベン・シャーンは主人公、第5福竜丸の無線長だった【久保山愛吉】に対して詞を贈っている。

 

 「放射能病で死亡した無線長は、あなたや私と同じ、ひとりの人間だった・・・・・亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ」

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 詩人のアーサー・ビナードは何ともユニークな人物である。今回、ラッキー・ドラゴンのことを調べていて、とても知りたくなってしまった人物の一人である。【詩】は焼津漁港とその周囲の当たり前の日常と美しい情景を言葉で描いている。・・・・・そして、出航し「いきなり 西の空が まっ赤に もえた」悲劇に出会う瞬間、そして、その後も続いた「核実験」という人間の引き起こす【愚行】「蛮行」・・もうあきれ果ててしまう。全く自分が「核」の脅威の外にいると思っているのか、それとも、攻めて来られたら【全人類巻き添えにしてやる!】という狂信的臆病者なのか・・・・

 

 作曲者の福島和弘は「吹奏楽のプロ」である。その彼が絵本「ラッキードラゴン-第5福竜丸」に出会って、自らの内部から噴出すような「怒りと悲しみ」が作曲のモチベーションになったように推測している。何と理不尽に死に至るレベルの放射能を浴びせられて、その人たちの「心の全て」を木管楽器のオーボエやクラリネットで奏で、「巨大な爆発」と「閃光」をどのように表現するか・・・・吹奏楽に使用される「楽器」の全てに「怒り」と「祈り」に託すように仕上げているように感じられた。

 

 私の中では【吹奏楽】は「星条旗よ永遠なれ!」であり「双頭の鷲の旗の下に」であり、「ラデッキー行進曲」だった。高校生の時にLP版の「マーチング特集」を購入したこともあるくらい「吹奏楽」はワクワクするものだと長い間思っていたが、ここ数年、自分がアルトサックスを習い始めたこともあって、改めて「吹奏楽」に興味を持ち始めた。もうひとつ大きな動機のひとつに勤務先の〇〇中学校の吹奏楽部のメンバーの練習姿を毎日のように見ていると、本当にすごい努力の過程が必要なんだなあと思わせられるし、「中学校」レベルでも、校内での演奏会などは本当に素晴らしく、「吹奏楽の世界」にこれからももっともっと魅了されていく予感を持っている。

 

 息子のお陰で、また新しい世界が切り開かれたようなワクワクした気持ちになっている。前回のブログで紹介させていただいた「中国の不思議な役人」という曲、そして、今回の「ラッキードラゴン」は今までの「吹奏楽」の私のイメージを根底から覆すに十分な迫力があった。また、いろんな機会に訪れてみたいと思っている。

 

 「ラッキードラゴン・第5福竜丸の記憶」はベン・シャーンがその悲劇を描き残していかなければならないと感じ、その絵を見た「アーサー・ビナード」はその絵本に【詩】を織り込み、福島和弘はその絵本の世界に「曲」を付け「ラッキードラゴン」を作曲した。その流れを全国の吹奏楽部の若者たちが感じ取り、自分たちの演奏したい曲目の一つに【選曲】していく。そして、その「志」は同じく福島原発事故の被害に苦しむ人達への「カンパ」活動への心に繋がって行く。

  これが「戦いの鎖」だと思う。一人ではなかなかできないことが多いが、多くの仲間が集まって、目標を一つにすれば、見事な「演奏」を披露することができるのと同様に、聴衆の人々に様々な「メッセージ」を伝えることにも成功していた。これからも・・・・「安らぎのある平和」を目指して、心ある人たちが「反原発」「核の廃絶」「不戦」のメッセージを伝えていって欲しいと心から願っている。

 

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by taira710 | 2014-03-11 22:59 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)
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人生は旅、仕事も遊びも旅さえも旅気分で楽しもう!!


by PEACENIK平ちゃん
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