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人生で初めての「愛妻弁当の味」・・どうして今まで食べられなかったのか??

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 愛妻弁当」なんて始めての経験じゃないだろうか!!

   それには「理由」があるが、それにしても「心に染む」嬉しさがある。


 家内の和美さんは「料理」がとても上手だが、今までの結婚生活で家内に「弁当」を作ってもらった記憶がない・・・・というかどこかに消えてしまっている。私が25〜26歳の時に付き合い始めたが、美術館とか五月山とか奈良に遊びに行ったことがあるが「手作り弁当なんか食べたっけ?」と「クエッションマーク」しか出てこない。27歳で病院に就職して、当初から「職員食堂」が完備していて、それ以降35年間看護師として働き続け、摂津市の特別養護老人ホームに勤務した時も、今思い出しても驚くほど美味しい昼食が提供されていた。介助員として働いていた小学校でも「給食」を食べ続けていたし、「愛妻弁当」を持参した記憶はない。ただ、病院勤務時代に1年間ほど「キャベツダイエット」をする気になった時に、自分でも刻んだし、家内が刻んだキャベツを弁当箱いっぱいに詰め込んでくれたのを持参し続けたことがある。その光景は病院職員間でとみに有名になり、今でも「あの時、日垣さんはキャベツばっかり食べてはりましたね!」と言われることがある。

 それにしても「愛妻弁当」なんて嬉しい響きがあるが「縁」が無かった。小学校の時は「給食」があり、あの頃は「クジラ」が給食の食材に使われることが多く、特に臭いが独特で、私はなかなか好きになれなかった。アルマイトの食器に入れられた食事,あの頃の「牛乳」「脱脂粉乳」も美味しく無かったよなあ。和美さんは勿論二人の子供の母親だったから、子供の中学校時代は毎日のように弁当を作っていたように記憶している。弁当箱を子供たちが出し忘れたりしていると、よく怒られていた。私自身は中学校時代はずっと母親に弁当を作ってもらっていたが、ストーブの上で温めたり、空腹感に勝てずに「早昼」をしてみたり、クラスメートとおかずを交換してみたり、いろいろな情景を思い出すが、あんなに美味しく食べた「昼飯」は未だに無いほど鮮明に記憶に残っている。高校時代は学食=学生食堂があり、カレーとラーメンが定番だったりした。今、よく考えてみるとかなりの贅沢をしていたんだ。

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 子供たちは中学時代、高校時代を通じて「弁当」を持参したり、昼食代として「現金」を支給していたように思う。母親の領分だから、幾らくらい渡していたか全然知らないが、高校時代なんて「外食」や「学食」で食事してみたくなったものだ。娘のTOMOKOさんにも間違いなく「弁当」を持参させていたと思うが、あの頃は私も「三交代勤務」ばかりしていたので、本当に日常生活は「変則的」で、子供たちの弁当に関連した記憶やエピソードは見事というくらい持ち合わせていない。

 一昨年の4月から中学校に勤務し始めて、最初は近くのファミリーマートに弁当に購入しに行っていたが、「弁当屋さん」があることを知って申し込んだ。半年間くらい利用させてもらったが、一食360円して、最初は美味しく感じていたが、余りにも「揚げ物」が多く感じられるので、「中学校給食」に切り替えることにした。現在も月に7〜8回利用させてもらっているが、中学校給食にしてはボリュームに欠けるし、メニューに「落差」があり過ぎて、全く満足できない日もあった。有難いことは自分の所持しているPCで当日の朝8時までに申し込めばOKだという簡易さだし、どんなメニューかも検索できるので「自分の食べたい日」のみを予約することができるのが嬉しい。ところが、幾つかの難点があるが、「味が濃すぎる」のがだんだん辛くなってきて、自転車で5分で行ける近隣の「まいどおおきに茨木安威食堂」に行くようになった。

「茨木安威食堂」は炊き立てのご飯におかずを好きなのように選べるので、とても美味しいし満足できるが、外食はそれなりのコストがかかってしまう。ファミリーマートの400円台の弁当は好きな味だが、やはり「野菜類」が少ない。勤務中の間の「昼食」は私にとってはとても重要な「選択肢」だ。そんな時に、「茨木安威食堂」に行った時に、他のお客さんが何やら「カード」のようなものを出して食事しているのが目に入って、その次の機会に尋ねてみた。すると「常連さんカード」なるものがあって、月に5回〜7回茨木安威食堂で食事するようになると最初は「グリーン」次のステップは「ピンク」そして第3 段階は「ホワイト」のカードが渡され、それを全てクリアーすると「常連さんカード」がゲットできる、安威食堂だけの「特別サービス」があることが分かり、140円もの大盛りご飯が「無料」になることを知って、その日から毎日のように通い始めました。

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ところが、それまで支援の教室で食事していたのに、全く食事する頻度が少なくなって、担任の先生から「日垣さんはいざという時に必要な先生ですから、昼の時間もできるだけ学校内にいるようにしてくださいね」と注意を受けた。まあ「職域」を離れることは上司への報告を必要とするが、確かに「救急救命士としての待機要員」としての位置づけもあるので仰ることはその通り。でも、やっとゲットした「常連様カード」は継続して維持していきたい。1ヶ月に7回は「安威食堂」に行かないと「権利」は消失してしまい、また最初からステップを上がって行かなければならない。

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「ご飯は無料になるけれど、学校で食事しないとあかんねん・・」なんて話をしていて、「和美、悪いけど弁当作ってくれへんかな」「月に7回はご飯はいらんねんけど、おかずだけは欲しいねん!」・・「何ややこしいこと言うてんのん!!」とちょっと不機嫌だったが、「カレンダーにちゃんと書いといてよ!」と言って、その翌日から「愛妻弁当」を作ってくれることになった。ところが、これがもう驚きだ。子供たちのお弁当作りと一緒なのか、いつも野菜がどこかに入っていて、繊維性の食材もあるし、肉類もある。バランスが最高で、あと「炊き立てのご飯」があれば最高だ!

ところが、安威食堂は「炊きたてご飯」は無料だけれど、幾らなんでも「無料のご飯」だけをもらって帰るわけにはいかない。お店もたくさんの従業員を雇って良心的に店の経営をしている。でも、和美さんがおかずを準備してくれるから、おかずをたくさん購入すると高くついて仕方がない。せめて300円までに抑えないと・・・じゃこ入りとか紅しょうがいりの「玉子焼き」がこれまた旨い。183円だ。本心はこれだけで十分なのだが、一番安い「おかず」が「108円」で食べられる。つい「豆腐のポテトサラダ風」とか「ひじき煮」とか「金平ごぼう」とかを購入してしまう。それで合わせて「291円」だ。和美さんは「お昼は簡単でいいのよ!働いている時間帯は食事なんて二の次でいいのよ!」なんて言う。和美さんは若い頃は養護施設に「住み込み」で働いていて、始終子供たちが回りにいて、昼食なんて「何とか食べられればいい」という環境で生きてきたから、ストイックな生き方はいつも平気だ。

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それにしても、何で俺は「愛妻弁当」に縁がなかったのか?確かに職場では充実した食事環境で生き続けて来ているし、付き合い始めていろんな所に行った記憶があるのに、何故なんだろう?和美さんに尋ねてやっとその謎が解けた。「お父さんはね若い頃から外食するのが大好きだったの。それにあの頃は私はMITSUCHANと一緒に文化住宅に住んでいたから、お弁当なんて作ってたらおかしく思われるでしょう」・・・なるほど理由があったんだ。でも、今まで本当にそんな「事実」に気づいていなくて、いろんな事柄が重なって和美さんに「愛妻弁当」を作ってもらえる機会を得た。

なんか本当に幸せで嬉しい気分だ。ただ、和美さんの状況を見ていると、夕方、私たちの「夕食の準備」をして食べ終わると洗い物の後片付けをして、それからまた私の「お弁当」の準備をしている姿を見ていると、ほんのちょっとだけ「申し訳ないなあ」なんて気持ちになることがある。和美さんもまさか74歳になって主人のために「弁当」を作るなんてことになるとは・・きっと「青天の霹靂」だろう。でも、私が67歳にもなっても週5日間働き続けていることに対しては「評価」してくれているようだ。もう1年、中学校には「契約継続希望」を出しているが、和美さんはきっと応援してくれると思う。学校での楽しみが増えたことは嬉しい。
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子供たちも


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by taira710 | 2015-01-29 14:30 | 人生にはさまざまのテーマがある! | Comments(0)

オノマトペなんて大昔からあったのに・・・・なぜ、今、注目するのか!

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 onomatopee(オノマトペ)が大流行の兆し!!!

    擬音語・擬態語が流行するのは、きっと時代背景の反映???


 
先日テレビを観ていたら、あるニューフェイスの芸人2人組が紹介されていて、彼らが口にする不思議な言葉「ラッスンゴレライ」というリズムネタが取り上げられていた。コンビの名前は「8.6秒バズーカー」・・でも、何一つ面白くない。昨年の流行語大賞に選ばれた「ダメよ、ダメダメ」と同様にこんな言葉が笑いを作り出したり、ラッスンゴレライというような訳のわからない言葉を「流行」させようとしている芸人の下心が「笑いの本質」とは程遠いところにあるので、この「笑いのセンス」はある意味「資質」のようなもので、「教育」「訓練」では身につけられないのではないかと思っている。本当に笑いの時代は冷え切った時代に移行しようとしているように感じる。


 そんな時代背景からは「リズムネタ」と同様にオトマトペ(擬音語・擬態語)が流行しやすい下地がある。擬音語とは「「おふっ」「ティウンティウン」「もしゃしゃ」「にゃふん」とかのような「物が発する音や声を真似て字句で描写した語句」のことだし、擬態語は「ツンツン」「デレデレ」「ふにふに」「もふもふ」「ゆんゆん」のように「人間のおかれている状態や心情など音のしないものを音に表すことによってよりリアルに表現する語句」のことだ。英語では擬音語・擬声語はonomatopoeiaで、擬態語はmimetic wordsと表記し区別している。

 私は個人的には、この「オノマトペ」が好きだか、実は「美学・感性」がリアルに反映するもので、好き嫌いが明確に出てくる。居心地のよい言葉は大歓迎だが、なんの波長の変化も感じない無味乾燥なオノマトペも存在するし、「誰」が言っているかによって大いなる開きがある。卑近な例をあげれば、「もえのあずき」という大食いアイドルタレントがいるが、ラーメンから串かつから握りずしと「4〜5kg」を汗たらたらさせながら食べ続け、視聴者へのサービスなのか「もえもえきゅんきゅん!」と可愛い声で自分を叱咤激励する様子は「存在感」を感じる。67歳のオヤジが言う内容ではないような気もするが、今は人気の翳りが出てきている「大食い番組」で今、とりわけ人気がある。

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 話は脱線気味だが、日本には「劇画ブーム」があり、今も根強くファンがいるが、あの劇画の特徴は「画」の特質もあるが、なんたって「擬音語」「擬声語」の連発だ。その特徴無くしては劇画の迫力は大いに減弱してしまう。アメリカのアニメや漫画においてもオノマトペが存在しているが、「Boooooon!」「Whoooon!」などそんなにバラエティーに富んでいるように思えない。そんな印象を持っていて、この「オノマトペ」に関して調べ始めたら・・・「なるほど、ガッテンだ!」と思えるような記載があった。

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以前に世界中の言語に関連したブログを書いたことがあるが、英語はアルファベットの26文字であらゆる言葉を表すし、アラビア語も不思議な文字で言葉を現す。韓国語はハングルという表音文字だし、中国語は「漢字」ですべての言葉を表す。ところが、日本語は「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の3つの要素で成り立っていて、普段生活していても感じるが、この「オノマトペ」がとても豊富な言語世界だと感じることがある。日本語の世界は普段友人とメールやラインしていても感じるが、自分の気持ちを「顔文字」表現したり、「スタンプ」と言われる「擬態マンガ」を多用するなど、独特の世界を構築している。

でも「言語学的」に分析すると、日本語に「オノマトペ」が多いのは「音節」の数が他の言語に比べて極めて少ないことが背景にあるからとされています。アイウエオの50音と「ガ」などの「濁音」、「パ」行の半濁音、「ニャ」などの拗音を合わせて「112」個しかありませんが、英語の音節は「3万」とも言われています。言語学者の分析によれば、そのような「貧弱な音節の種類」を補うために「イライラ」「ムカムカ」「ドキドキ」「クラクラ」「めそめそ」などの感じでは表しにくい「二音節反復型」のオノマトペを数多く発明して、コミュニケーションのバラエティーを豊富にしてきたと説明されています。

長い歴史から言えば、前述したように人間の「語感」「感性」は様々ですから、雨に関する表現では「ザーザー」「シトシト」などが定着し、「水」に関連した表現では「ガブガブ」「ジャブジャブ」「ザブザブ」など万人が「共感」できるオノマトペだけが生き残ってきたというのが正直なところだと思います。でも、こんなに豊かなオトマトペがあるのに、芸人のように「人気取り」に走られてしまうと興ざめしてしまいます。

オトマトペの世界には様々なエピソードがあるように思います。自分なりにいろいろと日常生活を見回してみて、例えば「日本むかしばなし」などの童話の世界にはオノマトペが溢れていますし、それがなければ成立しないような印象があるくらいです。また様々なヒーローが変身する際に「シュワッチ」などの擬音語が効果音として入らなければ、なんともインパクトに欠ける印象があります。フランス語には原則として「擬態語」は存在しないそうですし、英語には擬音語はあるのですが「twinkle=キラキラ」とか「bumpy=デコボコ」など300個程度しか存在しないようです。

皆さんは静かにしてほしいときに「シー」と指を立てて口の前に置きます。これは多分、世界共通のオノマトペではないかと言われていますが、長年「オノマトペ研究」に携わってきた大学教授に「先生の一番のお勧めと言うか、お気に入りのオノマトペは何ですか?」と質問したら、「それは間違いなく【シーン】です」と答えて、「恐らくマンガの世界から生まれたんでしょうが、無音の状態をしーんと表現したのは、まさに感性豊かな日本人が考え出したオノマトペの中では最高傑作だと思います」と話されていたようです。

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私たちは豊かな「オノマトペ」を自由自在に操ることのできる日本語の世界に生きているのです。森鴎外や三島由紀夫などの「純文学」を追い求めた文豪は「オノマトペ」に頼ることのない言葉の「編みこみ」「刺繍」に力を入れていたのだと思います。それはそれて自由だとは思います。【表現こそ自由】なのですから。でも、生まれた時から母親から喃語(なんご=赤ちゃんことば)〜でちゅね!と聞かされ、物心つけば、様々な自然の中のオノマトペの世界に触れ、文学の世界や音楽の世界にもオノマトペが豊富にあり、そして「食べ物」の世界には有り余るほどのオノマトペが存在する。

芸能人の「グルメレポーター」は「比喩表現力」と、どれだけ的確な「オノマトペ」を導き出せるかがマスコミの世界での評価に繋がっているように思う。そんな食べ物の世界のオノマトペを気が向くまま思いつくまま思い出してみると・・・「プリプリの海老」「カリカリのベーコン」「サクサクのポテトフライ」「パリパリのせんべい」「トロトロのクリームコロッケ」「もちもちの餃子」「ねばねばの納豆」「しゃきしゃきのセロリ」・・・いやあ切りがないですが、よく書き出してみると食感だけではなく、温かさ冷たささえも表す言葉があるし、「こってり」「さっぱり」のように味覚に直結しているオノマトペも存在している。・・・・本当に不思議で豊かで温かみがあり面白さもある世界だ。

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俵万智の「サラダ記念日」には多くのオノマトペが詠まれていましたが、それほどオノマトペは自由な世界なんです。自分のオリジナルの言葉を紡ぎだすには、まだまたチャンスがあります。広い視野で日常を見直し、その世界から新しい「オノマトペ」を引き出すことで、その世界がまったく違って見えてくるなんてこともあるかもしれません。皆さんも一度「オノマトペ」の世界に首を突っ込んでみてください!!! 

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by taira710 | 2015-01-27 15:32 | 人生こそ旅の連続!! | Comments(0)

翌日のことを考えて飲む男と翌日に後悔する男との差は大きい!!!

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 調子に乗って飲みすぎてしまいました!友達の輪が広がる・・・!!

     「二日酔い」のテニスはどうしようもなかったね!!!


  月曜日から金曜日まで5日間連続で働くのはなかなか大変だが、今週は「百人一首大会」や「ラインダンス講座」があったり、体育も「持久走」から「サッカー」に変更になって、中学生のサッカーバトルを観戦するのがなかなか面白い。最近の小学生や中学生のサッカー熱はすごい。毎週火曜日に茨木の中央コートでテニスをしているが、隣の広大な運動場では100人はゆうに超える小学生たちが熱心に練習している。そんな子供たちが生徒の中にもたくさんいて、その運動量やテクニックは尋常ではない。私もサッカーは嫌いではないが、仲間に入ってやれるレベルでもないし、格闘技のような身体のぶつかり合いには二の足を踏んでしまう。

 そんな週末の金曜日に、私の親友「岳ちゃん」と「新年の飲み会」の約束をした。今回は私からの提案で、少し趣向を変えて「お互いの友達をひとり誘って、初対面同士4人で飲もうや!ということで集まった。場所は「総持寺」だか、総持寺も大きな団地があり、乗降客の数はなかなかのものだ。近隣には多くの飲み屋・居酒屋・スナックなどがある。岳ちゃんからの提案で居酒屋「和み」ところが、総持寺付近に焼き鳥居酒屋「和み」と海鮮居酒屋「なごみ」の二件があって、直接電話で確認させてもらった。

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 焼き鳥居酒屋「和み」の店の前まで行って本当に驚いてしまった。その「和み」はあかあかと明かりが点り、提灯があり、お品書きが並び、まさに「居酒屋」の雰囲気が溢れている。ところが、その場所は「総持寺」を古くから知っている人にとっては「鬼門」といわれている場所。一番最初は「古本屋」だったかなあ?「レンタルDVD」屋になったり、長い期間「空家」同然にもなっていた。中はかなりの広さがあったから、きっと「家賃」はかなりのものだったと思う。ネックは入り口が14〜15段があって独特の建築物になっている。そんな店に入ってみると、たくさんのお客さんが、また家族ずれも多くて賑やかな世界・・・・へえっ、あの建物がこんなになっているんやと不思議な「感慨」を覚えた。

 岳ちゃんの前には同年代の男性が・・・名前は「OGURAさん」どこかであったような印象が。テーブルの上には「ジョッキ」や食べ物の皿が所狭しと並んでいる。もう1時間ほど前から飲み続けているような気配。FUKUDAちゃんも仲間に入り早速「生ビール」で乾杯。アテはFUKUDAちゃんに任せて、生ビールの後は焼酎「神の河」2600円をボトルキープして飲み始める。前回、俺と焼酎ボトルを空けた岳ちゃんは、今日は生ビールで通そうとする。明日はまた「いのしし狩り」で三田に行かないと駄目らしい。アテは次から次へと運ばれてくる。

 会話はいろんな話で盛り上がる。OGURAさんとはAINO病院での仲間らしい。親友と位置づけていたが、2歳ほど岳ちゃんより若いらしい・・ということは俺とは10歳も年下だ。若い頃から「不摂生」をして「歯が駄目になってしもたわ!」と話す。私は「歯」だけは大事にしている。歯を失って嘆いている人が多いが、身体のどこの部分も失ってこんなに重要なものだったのかと思うはずだ。岳ちゃんは「猟銃所持」の免許を取得しているが、少なからず興味はあるが、家内の和美さんがそんなことを許すはずがないる

 二次会は海鮮居酒屋「なごみ」に決定。4人でまたまたしこたま飲み、しこたま笑い、しこたま喋りあった。突然、OGURAさんの若い知人の登場にビックリ!!アルコールを飲んだことは覚えているが、何をアテにしていたかよく覚えていない。前の居酒屋「和み」で鱈腹食べていたから、二次会にはピッタリだ。そして、三次会には「岳ちゃん」は欠席したが、OGURAさんは律儀に付き合ってくれた。訪れたカラオケスナックは以前によく行ったことのある場所だが、経営者やメンバーはすっかり変わっていて、最近流行の「ガールズバー」の雰囲気でとても楽しかった。ただ、それまでの「アルコール」が突然の回り始めて、もうカラオケの音響でますます回り、最終電車直前になって「今日はもう帰りますわ!」とギブアップしてしまった。

 ただ、スナックの「店名」に注意を払っていなかったが、自宅に帰ると私の所持していたデジカメにはそのスナックでの様子が1時間の時間の幅で様々な光景が撮影されていた。もうその雰囲気から自分がどれだけ楽しんでいたかよく分かった。それほど若い女の子たちの笑顔が撮影されていた。・・・・・翌朝、目を覚ましたらジャンバーだけを脱ぎ、着衣のままで寝入ってしまっていた。翌朝、「adidas」の愛用の毛糸帽子が不明になっていることに気づいた。う〜ん、阪急電車の中では「酩酊状態」だったから、毛糸の帽子が頭がふやけそうになるので、電車の中で脱いでそのまま忘れてしまったんだろうか。翌日お忘れ物センターに問い合わせの電話を入れようとしたが、6回ダイヤルして全部話中だった。こんなに忘れ物が多い世界になってしまったのか・・・・あああ・・・・・

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 翌朝は「さわこの朝」のヴォーカリスト「徳永英明」を観ていた。絶対に「プロの歌手になるんだ!」という野望、そして苦難の時代の連続、でも、今や「女性シンガーのカバーアルバム」の第一人者だ。でも、その番組を見て、錦織圭の2回戦の録画を観始めたら、もう9時の「ミラクル」の時間になると眠たくて眠たくてとてもテニスができる感じもないし、久しぶりに体内に「アルコール分」が残っている「二日酔い」の印象だった。

 午後まで休息し、午後2時過ぎて「ラブ」に出かけた。10名ものメンバーが賑やかにテニスに興じていたが、二日酔いは汗を流してスカッとしたかったのに、まあ身体の重たいこと、さらに動体視力まで低下して「ミス」の量産だ。一番ストレス解消になるテニスが自由自在にできないなんて・・・これは「二日酔い」・・もとを辿れば調子に乗りすぎて「飲みすぎた」ことだ。次回の飲み会があれば、「悪乗り」はもう止めにして、持続可能な飲み方にシフトチェンジしないといけない。

 テニスの後はとても「空腹感」を感じて、水河亭での夕べに参加した。今日はベティーママお手製の「クリームシチュー」があるし、「お好み焼き」に決定。握りずし・カブの漬物・キムチ・もずくちりめんの酢の物・魚の干物・・・そして、後半はトーストパンにすきなシナモンジャム、それともレーズンバター・・練乳もあればラズベリージャムもある。

今宵はかなりアルコールを控えめにしていたし、焼酎やカティーサークは控えることにした。話は「飴とキャラメルは何からできていますか?」なんて話から「1%のセレブが世界中の資産の何十%占有しているか?」なんて話から、「母乳」の話までインテリジェンスの話から下ネタまで・・・・まあ、よく笑いました。お腹もいっぱいになり、睡魔に襲われ始めました。一足先に帰宅・・・・

 でも、自宅に帰ると録画していた錦織圭の3回戦を見始めました・・でも、折角録画していたのに、途中から違うチャンネルに放送が切り替えられ、第1セット終了までしか観戦できなかったのです。なんという「不消化」な終わり方。NHKは「録画」して後から観戦する国民が大多数だということさえ把握していないバカ集団組織なのかと唖然としてしまう。時代状況を正しく把握しないとダメでっせ、NHKの会長さん!!

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by taira710 | 2015-01-25 16:02 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

「ラインダンス」は嬉しくなるほど楽しい・・・ああ、若さを取り戻したいね!!

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  なんと嬉しい「出会い」だ!  虹架路万さんは魅力的なスター!!! 

     

 突然の来訪・・「OSK(オーエスケー日本歌劇団)」とのラインダンスのレッスン


 朝、いつものように校門前で朝の挨拶をしていると、突然1台のタクシーが校門前に停車したかと思うと、中から中学校という教育の場には似つかわしくないドキっとするような美女が3人も降りてくる。「ええっ、この人たちは宝塚の人たちなの?」と感じられるほど、3人の女性それぞれにオーラがあり、内心ちょっとドキドキしてしまった。女性の一人がスマホで連絡されていたかと思うと、教務主任の先生がやってこられた。3人の女性は学校内に入っていかれたが、「一体何があるんだろう?」と興味津々だった。校門で遅れてくる生徒のチェックをされている先生に尋ねると、何と「OSK」のメンバーの方々らしい。「講演会」にしては3人も来られるなんておかしいし、2年女子は体育の時間に「ダンス」の練習をしていたので、ひょっとしたら「ダンスの講習会」があるのかもしれない。

 1時間目は私はフリーだったが、体育館の方から楽しそうな音楽が聞こえてくる。これは間違いなく「ダンス教室」があるんだ。昨年はこんな「企画」は無かったので、もう気持ちはウキウキしてしまう。体育館に入ると1年生が2クラスほどいるだけ・・・ちょっと寂しい雰囲気だったが、OSKの女性たちが話し始めると、もう雰囲気は一変。何と人を惹きつける話術を持っておられる女性だ。最初は女性の自己紹介そしてストレッチ体操、プロのダンサーにとっても「ストレッチ」は不可欠の要素なのだ。

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 若い中学生に対しては「実践」だ。ごちゃごちゃ「講義」するより実際の動きをやってみるだけ。ところが、今回のダンスのテーマは「ラインダンス」・・・あの長い足を揃えて振り上げるダンスだ。身体全身が硬くなってしまっている私にとっては、ラインダンスは至難だが、ダンスは若い頃から好きだ。「ラインダンス」だって挑戦してみようじゃないか!!最初は「パッセ」という下肢を上げて膝を直角にして、太ももの上に物を置けるくらい水平にする動きだ。そしてその足を床につけると、今度は足を勢いよく振り上げるという、あのラインダンスの動きだ!

 右に左にダンスの動きは続く。女性陣は「クラシックバレエ」を経験している子もいたりして、足をまっすぐ上に挙げたりできる子もいる。動きはなかなか複雑だが、前半と後半とに2分割して動きの一つ一つを教えてくださる。BGMが鳴り出すと、最初恥ずかしがっていた男性陣も徐々に乗り始める。OSKスタッフが「ほめ殺し」で上手に雰囲気を盛り上げていく。私も動きに合わせて必死にラインダンスの真似をするが、足は半分も上がらないし、動きは早すぎて付いていくのは大変だ。でも、面白さ、楽しさは半端じゃない!めちゃくちゃ面白い。最後は「前半後半」通しでのダンスだ。生徒たちの様子を見ていると、やはりエグザイル・嵐・Eガールズ・SMAPなど「ダンス」を融合させた歌手が多いから、全く興味を示さない連中は、ほんの数人で、それ以外は全員乗りに乗りまくっている。あちこちで笑顔あり笑い声あり奇声ありで、全体的な雰囲気は良好!更に体育の先生も生徒と一緒に踊らされるから、もう楽しい雰囲気が溢れている。

 最後は「修了証書」が渡され、OSKのDVDが寄贈され、公演のポスターと共に宣伝がされていたが、それは当然のこと。エンターテイメントはスポンサーがあり、マスコミ媒体を最大限に活用して「集客」することが大事だ。今回は朝から午後まで学内の1年生から2年生まで全員に「ダンス講習」がされる予定のようだ。次世代の「踊り手」「団員」の募集のためには、若い世代へのアピールが何よりも大事だ。

 最初のクラスの女の子たちは、自分たちから団員に駆け寄って「握手」してもらったりしている。私が「写真撮るよ!」と声を掛けると、周りから多くの子供たちがフレームの中に飛び込んでくる。団員は満面の笑顔だし、子供たちとの心が繋がったようで素敵な笑顔を浮かべている。私も写真を撮りながらも、一緒に写真に映りたいなあと強く思っていた。今年でキャリア9年目の「虹架路万さん」は笑顔が素敵だし、ダンスの説明の仕方もプロフェッショナルだし、後輩2人へのアドバイスは的確だし、「この女性は人間としても大人だなあ!」と魅了されてしまった。丁度いいタイミングで「ツーショット」をお願いしたら、「喜んで!」と応じていただけた。その光景を見て子供たちは笑っている。ちょっと頬が「紅潮」するのを感じた。久しぶりの感覚で自分ながら笑ってしまった。

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 予期しなかった楽しい時間の連続だった。「体育」の時間がすべて「ダンス講座」に変更されていたので、1日に「3時間」も続くことがあるので、今日は2時間「ダンス講座」を楽しむことができたし、素敵な「虹架路万さん」ともツーショットが撮れたし、一緒に講座をされていた「星南 ゆり」さん「美月あんじゅ」さんともお話ができた。2歳の女の子友達「ANJU」と同じ名前なので、とても親近感を感じさせてもらった。

 67歳にしてまさか「ラインダンス講座」の経験をさせてもらえるなんて、ただただ嬉しい笑いがこみ上げてくる。OSKの最新の公演は、あの「あべのハルカス」の中にある「近鉄アート館」で2月4日からの「That‘s★Dancin 【CRYSTAL PASSION】情熱の結晶」だ。39人の団員の結束だけで継続している「ダンス」というものに賭ける情熱の大きさ・・・・・とてもこの公演を観にいきたくなってしまった。ダンスは観ていても踊っても楽しい。

 私の記憶には「OSK」(大阪松竹歌劇団)の「解散」「閉鎖」のニュースが流れた記憶が残っている。一度も観劇しに行ったことはないが、ダンサーのような「芸術」を人生の糧にしている人たちが、その「職場」「活動の場」「生き甲斐の場」を失わざるを得ないことは悲しいことだなあ・・と「不景気」ゆえの人生の物悲しさを感じたことを鮮明に覚えている。解散は一時で、2004年には劇団員有志により再結成、そして劇団員が企業を回ってのスポンサー依頼をし続けていたことを知っている。だから、OSKという言葉を耳にした時に特別の感慨があった。少女歌劇団として「宝塚」と並び1922年に創設されたというから、その歴史を簡単に閉じられるはずがない。良かった、良かった!

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 しかし、現実は厳しい。歌劇団は「宝塚」のように「若手の後継者」の要請が必要不可欠だ。「宝塚歌劇団」のように全国から「難関」に挑むほど希望者が多いという状況ではないように思う。しかし、これから願わくば強力なスポンサーのバックアップがあり、景気が回復し、「OSKに本歌劇団」の劇団員たちが「いっぱいの元気」を観客に振りまくことができるように希望している。

 自宅に帰って、和美さんに「ラインダンスの講習会」の話をしたら、その表情は笑いを一生懸命にこらえているように見えた。理由は聞かなかったが、きっと「たぬき」が並んで短い足を一生懸命振り上げている姿を想像したんだと思う。自分でもその「醜悪さ」はある程度想像できるが、別に人に見てもらいたいためにやっていたわけでもないし、本当にびっくりするほど汗をかくし楽しかった。子供たちも余程気に入ったのか、多くの子供たちがまた来てほしいと劇団員の人たちに話していた。初めての経験だが、素晴らしい「企画」だと思う。心から応援したい気持ちになっている。

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PS:写真のブログ掲載に関してはすべて了承を得ています。

 


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by taira710 | 2015-01-22 19:59 | 人と人との出会い! | Comments(0)

「麻雀」というゲームの効用は冷静な判断力・確率計算力・そして巧緻性がポイント!

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  中国では「麻将」英語では「Mahjong」・・・日本語では「麻雀

    あの昭和40年代の「麻雀ブーム」の再来を期待している!!!


 皆さんは「初音ミク」という名前はご存知だろうが、「初音舞」はどれほどの人が知っているんだろう?初音舞は1978年生まれの女性で、愛称「ドラゴン・レディー」2002年の麻雀世界選手権個人部門でチャンピオンになった女性だ。つい最近のYahooニュースで経済評論家の勝間和代が麻雀の最高位戦プロ試験に合格したというニュースに触発されて、私の「麻雀歴に関連したもろもろ」を思い出してしまった。



 一番最初に「マージャン」というゲームに触れたのはいつだったんだろう?兄貴たちもよくマージャンに興じていたように記憶しているが、我が家にマージャン牌はあったのかなあ?鮮明な記憶は欠落している。浪人してD大学に通学するようになったが、人生で最初に一番よくマージャンをした時代が大学1年生だった。絵画サークル「創造」という同好会があり、「油絵」を描いてみたいという強い欲求が起こり入部したが、その同好会に大学8年生の先輩たちがいて、絵を描いているか「マージャン」に興じているかというメンバーが多く、当然「カモ」と見られたのか、よく先輩に誘われて「麻雀」をしていた。もちろん、同好会の部室という学校内だが、レートは「ピン」という3万点の持ち点が空っぽになれば「3000円」の出費という賭け麻雀をしていた。

 だが、「麻雀」は単なるゲームではなく、「修練」と「頭脳」を必要とする高度なゲームであることを初心者の私は正しく理解できていなかったと思う。本当に冗談なしにカモになって「なけなしの小遣い金」を負けて支払わなければならなかった。勿論、ギャンブルだからバカづきして勝つこともあったが、そんなことは10回に1回もなかった。つらい受験勉強を経て、親に金銭的な負担をかけて「麻雀」というギャンブルを大学生活の一部にしていたんだから、まあ呆れた話だ。でも、2年生になって「ワンダーフォーゲル部」に入部してからは、毎日のように「体力づくり」のトレーニングが日課のようにあり、麻雀をしているような時間手余裕も無くなってしまった。

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 麻雀には長い歴史がある。正直、世の中には様々なゲームが存在するが、「将棋」も大好きだが、この「麻雀」のゲームとしての面白さ、奥の深さは群を抜いているように思っている。ただ、「点数の数え方」が分からないとか、どうして上がれるのか分からない、役の種類が多すぎてよく分からないなど、ゲームそのものより、ゲームの周囲の要素で苦手としている人が多いように思う。でも、「賭ける」という要素が入らなければ、点数の数え方などはどうにでも変えられるし、仲間内の「ルール」を決めるだけでゲームの面白さにだけ集中して楽しむことは可能だ。

 まあ、こんなブログで「麻雀のルールや楽しみ方」を解説するつもりはないが、何が面白いのかは語ってみたい。まず第一に「34種類 136枚」という牌の数と種類の多さだ。それを今は自動卓になってしまったが、昔は手で混ぜて、2段に積み上げてスタートしていた。この「牌積み」がなかなか慣れるのには時間がかかるし、素人かどうかは、その牌の積み方の良し悪しで判断できていた。2個や4個の牌を積んでいるようでは、仲間の「嘲笑の的」になっていた。更に「サイコロ」を振って、その目で「チーチャ(親)」を決めるのだが、サイコロを2個投げて、その合計の数2〜12まで出目があるので、例えば「7」が出たら、4方向に積む牌の、どの場所の牌から取り始めるか・・・そんなことまで玄人との差は歴然としていた。勿論、本番が始まれば、牌の切り出し方や「役」の作り方など、いかにスムースに「確率」を計算しながら「聴牌(テンパイ)」するか・・・麻雀の「技量の差」が明らかに出てくる場面である。

 勝田和代はさすがに「経済学者」らしく、麻雀を「数学的」に捕らえることが得意で、「アガリ率」「放銃(ホーチャン)率」「裏ドラ率」など頭の中でデータを生み出すのが得意らしい。特に初心者に多いが、自分の手の内の牌にのみ集中し、場にどのような牌が出ているかのほとんどを見ることなしに麻雀をしていると「ホーチャン率」はものの見事に上昇する。素人はただただ「揃えたい」という欲求のみだから、周囲の3人の捨て牌の状況や牌の出し入れの様子などに目が行くはずがない。しかし、ある経験を経ると、自然と場の捨て牌の特徴や自分の手の内から、他の3人の待っている牌が見事に「推測」できたりする。自分の手の内がどれだけ良くても、相手の「待ち牌」が5割以上の確率で推測できたら「安全牌」のみしか場に捨てないように切り替えるべきだ。ところが、我が手の素晴らしさに見とれ、あがった時の喜びを想像して「身勝手な捨て牌」をする人は、全てを失って敵の餌食になってしまう。

 ギャンブルは人間の個性・性格・喜怒哀楽など全てが出てくる・・・が「麻雀」はただのギャンブルとは違って「リスクマネージメント」の能力があるかどうかも試される。間違いなく「これがアタリ牌だ!」と確信しているのに、「万が一通る可能性があれば・・」と「通してくれ!」と懇願しながら放銃する。これはまさに自殺行為で、4人で行っているゲームである以上、このような「自己中心的な放銃」は他のメンバーの迷惑になったりして、麻雀はある意味「力量」が均衡しているほど、とても緊張感が充満する、実に面白いゲームだ。

 麻雀はあの有名な「孔子」が考え出したという一説があるが全く根拠がない。有力な説は1800年代の「清」の時代に、「陳魚門」という人物が、明代からあった「馬吊」というカードゲームと「骨牌」という「牌」を使うゲームを合体させて完成させたというものだ。確かに2種類のゲームを融合させたり工夫することはよくあることだ。「麻雀」の語源としては「麻の布」の上で行ったことと、竹製の牌を混ぜるときの音が「すずめ」の鳴き声に似ていることから付けたとされているむ。そんな「中国」では1949年に中華人民共和国という「共産主義」を標榜すると、すべてのギャンブルは禁止され、1985年になってやっとゲームとしての「麻雀」は解禁されたという歴史がある。

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 1895年にアメリカの人類学者「スチュワート・カリン」が麻雀に関連した記事を書き、1920年にアメリカの会社が「麻雀」を輸入し販売を開始するとニューヨーク市でヒット商品となり1万2千セット売り上げた。麻雀に関する解説書も出版された。また、アメリカ独自のルールや「全米麻雀リーグ」なるものもできたりして大流行したが、歴史的には一過性に過ぎなかった。日本で麻雀に言及したのは、夏目漱石で1909年に書かれた「満韓ところどころ」に大連での見聞が記載されている。でも、実際の流行の契機を作ったのは「菊池寛」で神楽坂のカフェで「麻雀」に熱中し、雑誌に取り上げられたり、文藝春秋社がマージャン牌を販売したりしていた。

 その後は実は、私がD大学で麻雀をやりだした頃に合致する。1965年に阿佐田哲也が「週刊大衆」に「麻雀放浪記」シリーズの連載を開始、「麻雀新撰組」が結成されたり、名人戦が始まり、「近代麻雀」「プロ麻雀」などの専門誌が創刊された。その頃は賭博・喫煙・飲酒・徹夜など「不健康」な要素が充満していた。1975年頃からコンピューターゲームに「麻雀」が登場したが、機械相手の麻雀の面白さなんてすぐ飽きがきてしまう。ただ、今回「脱衣麻雀」という野球拳のようなコンピューターゲームがあるらしいと知ってとても興味を持ってしまった。

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 2004年に「科学する麻雀」が出版され、それまでの有名麻雀プロの主張していた「ツキ」「勘」「流れ」などの抽象的要素を全て排除して、純粋に「確率論」を基礎とした統計学的な麻雀戦略を提唱している。でも、私の経験では麻雀には「心理戦」があり、その人間の個性・性格まで反映されるので、常にアナログ的な要素から脱却できないところが面白さの醍醐味だと思っている。今、「認知症」の予防効果や指先の巧緻性の回復などリハビリテーションの意味合いで静かなブームが起こっているが、本当に面白いゲームだと思う。

 私のテニス仲間や友人関係の中でも「マージャンをしてみたい」という人たちは徐々に増えている。今年2015年は久しぶりに「麻雀牌」をこの手に握ってみたい。1局を回すのに時間がかかりすぎるので、新しいルールを導入して楽しみたいと思う。

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by taira710 | 2015-01-21 19:00 | 人生こそ旅の連続!! | Comments(0)

74歳なんてまだまだ高齢者にもならない・・・精神年齢が課題だ!!

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 和美さんは素敵に年齢を重ねている、いつも「冷静

    今年は二人の「記憶に残る年」にしたいなあと思っている・・・さて!!!


 昨夜は水河亭でゆっくり楽しく過ごさせてもらった。朝は7時前には目を覚まし、7時半からは毎週楽しみにしている「さわこの朝」を観た。今週は劇作家の「倉本聰」だ。1934年12月31日生まれだから80歳だ。話しぶり、姿勢、顔の艶などどこを見ても80歳とは思えない。北海道の「富良野」という大自然の懐で生きていると、こんなにも自然体で生きていられるんだと羨ましく思った。しかし、今回の番組で本人の口から初めて耳にして驚いたが、富良野での生活を始めて極度の「うつ」に悩んでいたという話を聞き、その辛さが画面から伝わってきた。私は長年精神科領域で看護師の仕事をしていたが、やはり「うつ病」の辛さは専門職としてもその辛さが体感できるほど大変な病気を人間は抱えなければならない時があるんだと思っていた。

 そんな「うつ」の気分なんて吹き飛ばしてくれるのが、愛妻の「和美」さんの存在だ。私の人生においても何度か「うつ気分」を強く経験したことがある。最初は中学1年生の頃だと思う。兄弟げんかしたのか、親に怒られたのかよく覚えていないが、何故か「俺なんかこの世に生きていても仕方がないんだ。死にたい!」と思っていた記憶が残っているが、もう翌日には空腹感を感じ、ケロっと忘れてしまっていた。その後は「うつ気分」とは無縁の高校生活を送っていた。2回目は親父の仕事を手伝っていた20代前半で大きな「失恋」をした時だ。本当にあの時は「食事が喉を通らない」という経験をしたが、5日目かに余りにも苦しくなって警察病院の内科に受診に行き「失恋して食事ができなくなったんです」など話すと、担当の医者が笑いながら「君は大丈夫だよ!病気になったりしないし、また新しく好きな女性に巡り合うよ!」なんて言われて、私も笑顔を取り戻し、その受診を契機にまたケロっと忘れたように人生を歩みだした。

 そして、27歳で「看護助手」という立場で精神科病院に勤務するようになったが、余りの「凄まじい世界」と「予想以上に楽しくで遣り甲斐のある職域」と感じて、患者さんとの交流が楽しくて楽しくて仕方が無かった時期が続いた。高等看護専門学校に1時間以上かけて通学していた頃も「楽しさ」が優位だったし、卒業して組合活動や各種委員会とさらに中間管理職としてのしんどさも経験したが、「精神科病院の開放化」を進めていくんだという自分自身の理念とも共通していたので、遣り甲斐もあったが、病院の中枢を構成しているメンバーへの不満はいつも溢れるほど「内在」していた。それも同僚や部下との交流のお陰で「うつ気分」も感じない程度に済んでいたが、私がまったく評価していなかった看護師が立て続けに私の上に「昇格」していった時は、かなり「不愉快なショック」を受けたことがあった。あの時も家内にいろいろと吐き出させてもらったことがあるが、「資格を取らせてもらったんだから感謝の気持ちは忘れないでね!」なんて諭されたことを覚えている。

 一時期、マージャンとパチスロにギャンブルが大好きな人間になってしまったことがあるが、和美さんとは大きな夫婦喧嘩をすることも無く見守ってくれていたし、「いつまで、そんな下らない事に時間を浪費するの、お金も無駄遣いばかりして!」と繰り返し批判していました。まあ、そのお陰かどうか良く分からないが、ある日を境に、それまでの「ギャンブル」に対する情熱が全く失せてしまって、全く足を踏み入れることも無くなってしまいました。

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 そんないろいろなアドバイスをし続けてくれてきた和美さんは、今年も元気に「誕生日」を迎えてくれた。昼にはアルトサックスのレッスンに行ったが、2時過ぎには和美さんがやってきた。当然、この時間にやってきたのには理由がある。「家の掃除」だ。家の掃除をはじめ、頼まれた「買い物」に行く。今年の和美さんの誕生会には娘のTOMOKOさんの参加はない。フィジーで今日も楽しく「英会話」の勉強をしていると思う。息子のYOSHIIが「頑張っていくわ!」とメールをくれていたが「今年は親父とTOMOの3人でフィジーで新年を迎えたから、お袋の誕生日に年越しそばが食べたいなあ!」とメールをくれていた。それはグッドアイデア、俺も年越しそば食べたいなあ!!

 メインは「野菜なべ」と「手づくり餃子」後は「カブ漬け」「ジャガイモサラダ」「野菜サラダ」「サーモンとレンコンのフライ」そして唯一の正月料理「かずのこ」だ。でも、YOSHIIは四条畷から仕事を終えてくるから午後8時を回るんじゃないかなあと思っていたら午後7時半にはやってきてくれた。早速「誕生祝いの乾杯!」だ。「74歳の誕生日、おめでとう。Happy Birthday!」FIJIビターで乾杯だ!!和美さんのフィジービターの感想は「美味しいとも不味いとも言えない感想の出てこない味!」と言っていたが、やはり瓶ビールと缶ビールは明らかに同じ銘柄でも味が全く異なることが分かった。

 YOSHIIとはまたまた「旅」の話。後20数年、YOSHIIが「還暦」を迎えるまで「年1回の親子旅行」は続けたいと思っている。ということは「介護」とは無縁の生き様をしたいという「願望」が強くあるからだ。和美さんは本当に「旅」に興味がないという不思議な人だ。そんなに「体力」が無いとは思えないが「乗り物酔い」をするのが明らかに「トラウマ」になっている。日本もまだまだ知らない世界があるが、今年は台湾に「団体旅行」で参加してみたいと思っている。「旅は道ずれ世は情け」という言葉があるとおり、旅先で出会う人とも、偶然「団体旅行」で出会った人とも、それは「一期一会」の楽しみがある。しかし、「集団」で同じコースを進んでいくのが辛いことがある。でも可能性は低いが、飛び切りの美人の「大阪のおばちゃん」と一緒に旅ができるかもしれない。

 去年の同じ誕生日のブログを読むと、写真はいっぱい撮っていたし、花を贈ったり、ケーキがあったり、もちろんTOMOKOさんが参加していて、より一層「お母さんの誕生日だ!」という雰囲気が出ていたが、「フィジー旅行」の為に出費がかさむ予想されたので「生活費」の支給を滞らせたりしてしまっていたし、「後片付け」「掃除」のことが気になって「花のプレゼント」を忘れてしまっていた。その「嫌味」なのかも知れないが、和美さんは自分自身に対するプレゼントとして「フライパン」を購入してきていて、宣言していた。今年もYOSHIIの参加で楽しい「和美さんの誕生祝い」ができた。

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 今日は2ヶ月ぶりの「済生会吹田病院内科の受診日」だ。病院から帰ったら、早速花屋に立ち寄って、和美さんの好きそうな「花」を購入しよう。そして「生活費」も遅ればせながら「支給」しなくてはいけない。彼女が元気でいてくれるからこそ、楽しい「一人旅」もできるし、毎日の食事が楽しくできる。私が「水河亭」でのシェフ役のことを話すと、「私にも美味しいお父さんの料理食べさせてよ!」というが、和美さんは本当にシンプルイズベストの料理しか作らないので、私の作り出す味は本音では好きになってくれないし、彼女の料理の腕には敵わない。「いや、和美の味は作り出せないから頼むわ!」と懇願するだけだ。

 もう40年以上に及ぶ「結婚生活」は私が67歳、和美さんが74歳と、今年の7月の私の誕生日までの半年間は「7つ違いの姉さん」だ。まさに「結婚生活」は「旅」だと思うし、41年目を迎える今年だが、本当に良く分からない「不思議な魅力」を紡ぎだしてくれる良き伴侶としての女性だ。きっと何度も三船美佳の離婚原因のような「モラルハラースメント」という言葉や態度による「精神的暴力行為」は、やはり人並みの人間なので、ちょっと口喧嘩になったり、大阪人の特有の「汚い言葉」を使ってしまったり、舌打ちしてしまったりする。きっと和美さんは温厚で冷静な性格だから、きっと「我慢」してくれてきたんだろう。でも、今の時代、いつ「終止符を打つ気」になってしまうか、他人の心だから分からない。もう少し「大人にならないといけない」と思うが、生来もって生まれた性格は本当にコントロールするのが難しい。来年も楽しい「誕生日会」ができるように、今年は「ちょっと大人びた平ちゃん」を目標に生きていきたいと思っている。
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by taira710 | 2015-01-19 18:51 | 人生こそ旅の連続!! | Comments(0)

テニス仲間と「阪神大震災」に向き合う時間・・リスクマネージメントの精神!

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 阪神大震災から「20年」も経過してしまった!!!

    そして、夜は「フィジービール」とノーベル賞「日本酒」の味わい!!!


 朝、テレビをつけると、もうあの悲惨な「阪神大震災」の映像だ。当時、私は看護師として働いていたが、管理職でもあったので、家族の安否を確かめた後、自転車で1時間かけて病院まで出勤した。患者さんたちはとても動揺されていたが、大きな二次的な事故やトラブルもなく一安心した記憶がある。かなり耐震構造に配慮した建物なので、安心できたのだと思う。それにしても、今思い出すのが怖いほど、私はあの大地震の後、2年近くもトラウマに苦しんでいた。管理職で月に5〜6回当直をしていたが、看護当直室の50メートル先をJR東海道線が走行していて、電車の通過する際の振動が「地震」と同様に感じられて「動悸」が急に早く感じられたりして、本当に苦しかったし、自宅でもダンプが走行したりして微震を感じてもドキドキしていた。多分、多くの人々が同じような症状を体感していたと思うが、ありがたいことに「病気」にならずにすんで良かったと思う。

 「地震・かみなり・火事・親父」なんて言葉はもう死語になってしまっているが、人間が心底恐れるものは時代とともに変遷していると思う。異常気象のもたらしいているものは本当に怖い。「大洪水」「竜巻」「津波」もう遭遇するだけで命を奪われてしまう。20年前、6000人を超える人達が命を失った。遺族の気持ちは本当に辛いだろうと想像できる。「SAKURAKOちゃん」6歳は倒壊した家の下敷きになって絶命した。たった6年間の命。そばにいた祖父は「なぜ、SAKURAKOの上に覆いかぶさって命を守ってやれなかったのか」それが人生の「業」になっていると話す。祖父は「桜の木」を自宅の一部に植樹し、毎年、孫の冥福を祈り続けている。ただ、ただ、悲しくなってくる。

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 そんな日は「土曜日」だった。午前中は「ミラクル」でテニスを楽しみ、午後は「ラブ」でテニスを楽しんだ。テニスを愛好する人たちは本当にテニスが大好きだ。メインのメンバーは全員参加していた。なかなかの熱戦が続き、本当に楽しい。

 あっという間に「テニス」の時間は終わってしまうが、土曜日のテニスの後に、毎回「水河亭」での飲み会があるのが嬉しいし楽しみだ。今宵は久しぶりにTANAKA夫妻の来訪予定があるのが嬉しい。MIYAちゃん、OKUちゃん、TAKEちゃんと総勢8人もの参加だ。いつも「即興」でメニューを考えるが、ベティーママが「大きな白菜と大根を貰ったから、鉄板で野菜を炒めて大根おろしで食べましょう。王将の餃子も55個あるし」なんて嬉しい情報が・・・「オークワ」で今日のメニューが確定しました。握りずし、太巻き寿司、きのこ類と野菜炒め、白菜にカリカリベーコンと豚肉しょうが焼きのトッピング、そして、TEKEちゃんの希望の焼きうどん・・・・・・・・

 今日は「阪神大震災20年」の共通認識がある。テニス仲間とは20年前はお互いに知り合っていない。私は正雀に昭和50年から住んでいたから、もう「40年間」も住み続けているが、テニス仲間のYOUKOさんは当時正雀に住んでいたと話していた。水河亭でも同じような話になる。それぞれの「場所」での恐怖体験や「埼玉県」に住んでいて、阪神の状況が気になっていた人もいるし、鳥飼に住んでいて、慌てて会社に駆けつけると、誰一人会社には来ない状況だったなど、それぞれに鮮明な記憶が残っている瞬間、まさに時計が止まってしまったような記憶が残されている時間帯だった。

 水河亭での交流は、そのような「阪神大震災の記憶」が鮮明にあっても、まず湿っぽくならない。ずっと笑いが絶えない交流が続く。旅先の「写真」や「動画」を見せ合ったり、「今度はMAAちゃんが料理してよ!」と要望が聞かれて「豆腐料理が評判が良かったんで、豆腐料理にしようかな!」なんて幸せな会話が続く。私のフィジー土産は「FIJIビター」・・・早速「試飲」だ!フィジーの免税店で購入できたのは、缶ビールがだった6缶だけ。ところが、2缶目を開けたら、直前まで缶を振っていたように、凄まじい勢いで泡が飛び出してきて、MAAちゃんの膝の周囲はビチャビチャ、一体何が起こったんだろう。フィジーでは瓶入りの「FIJI bitter」を美味しく飲んでいたが、どうも缶ビールの製法技術はかなり「日本レベル」と差がある感じ。でも、初めてのFIJIビールを楽しんでもらえた。

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 今回のメインは、去年の12月のノーベル賞授賞式に準備されていた日本酒の「福寿」というお酒、ノーベル賞とは「無縁」の人間ばかりの集まりだが、受賞者が飲んだかもしれないという「日本酒」と同じものを味わうことができるなんて、何とも幸せなひととき。

ストレートで味わった「福寿」はなんとも爽やかな味わい、辛口好きの私でも「嫌味」を感じないレベルの適度な甘さ・・・・ノーベル賞なんてことをボーっと思い描きながら、妄想の世界で味わう日本酒もこれ一献・・・・いいね!!

 締めの「焼きうどん」はベティーママ推薦の「レモン塩」に「豆板醤」の辛味を足して作らせい貰いました。もう、最後はお腹いっぱいです。4玉ものうどんが綺麗さっぱり売切れてしまいました。その後「デザート」まで出てきて、嬉しい限りです。午後10時前にはバスやモノレールの時間の関係で帰るメンバーもいましたが、私は午後10時半までYATSUちゃんと水河亭夫妻と会話を楽しんでいました。いくら話していても飽きない人たちとの繋がり・・・・とてもとても大事です。

 いつ「阪神大震災」のような恐ろしい目に合うかもしれない「恐怖」が日常生活には必ず存在します。でも、常に「万全のシミュレーション」をしながら、自分の命を守る覚悟ができています。家の中には「非常用スーツケース」が準備されていて、その中には衣類から薬・その他の必需品などをパッキングしています。もっと大事な「貴重品」を!という印象があるかもしれませんが、私は「もし、今、この1月の寒い時期に、この家から外に突然ほり出された時」に、一体何が必要とされるのかを「十分」にシミュレーションして導き出した品々です。家内の和美さんは「そんな大きくて重いスーツケースなんて持ち出せないんじゃないの!」なんて意見も聞かれましたが、もし「命が助かっていれば」絶対に必要とするものを厳選しています。

 人間の人生は「禍福はあざなえる縄の如し」で、「災い」「禍」と「福」「幸せ」は編まれた縄のように交互にやってくる・・・・・でも、人間は「恐れ」と共に生きることを良しとしない。常に希望と明るさと余裕と楽天主義を持ち合わせながら、友人たちとの交流を大事にする生き方を続けていけると「運」も向いてくるし、新たな「生き延びる術」を見出せることができる時間帯でもあると思います。人生を楽しむぞ!!!
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by taira710 | 2015-01-18 22:37 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

「れんこん」の穴は人生の選択肢の数と同じ・・・・一度っきりの人生!!

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 「レンコンの歌」「童話:れんこん和尚の別れ道」・・・・たいへんな【泥遊び】

 「恋魂=れんこん」は人生の指標だ!!!


 お昼の食事の買出しに「茨木安威食堂」まで行っての帰り、中学校に隣接していて、夏場にれんこんの蓮池になっていた区域がただの「泥」状態になっているのに、年配の男性が一生懸命土を掘り返しているので、とても不思議に思って話しかけてみた。「こんにちは、蓮池の土、耕してはるんですか?」「れんこんを収穫してるんですよ」「ええっ、水が溜まっている時に収穫するんじゃないんですか?」「水が張ってあったら収穫でけへんねん」「でも、この冬の寒い時期に、そんな冷たい土かられんこん掘り出すのん大変違うんですか?」「そんなことないですよ。結構宝探ししてるみたいで楽しいんですよ。どろんこ遊びですわ!」「このぐらいの広さだったら、自給自足十分なんですか?」「いやあ、売ってるんですよ。そこに軽トラあるでしょう。そこに乗っけて売るんですわ。農協の直売所に出したりもしてるんで、また宜しかったら顔出してください」「分かりました。れんこん大好物やから、また買いに来ますわ!」・・・・と笑顔で別れた。

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 レンコンの収穫といえば、足でレンコンを探り、風圧ノズルで泥を吹き飛ばし、それこそレンコンと格闘しながら収穫している映像を見たことがあるが、10メートル四方程度の広さでは、まさに「手作業」で収穫するのだ。これは予想外の出会いだった。そういえば「レンコン」ってフライにしてもてんぷらにしても金平にしても、酢の物にしても美味しいし「レンコン饅頭」なんて京会席で出てくるような【料理】は本当に大好きだ。その「れんこん」に纏わる話をまったく知らない。ちょっと調べたくなってしまいました。

 英語では「Lotus root」ハスの地下茎が肥大したもので、食用として有用だがなかなか高価だ。栄養分としては80%以上が【水分】だが、15%が炭水化物、そして2%がたんぱく質、その他ビタミンCやカリウムが含まれている。原産地は想像できないこともないが、観音さんの蓮池のイメージ通り「インド」だと解説している本も多いんですが、原産地は大体「諸説」あることが多いものです。インドでは「観賞用ハス」が多く、中国に渡り「食用ハス」がつくられたという説が有力です。・・・穴がたくさん開いているので「先を見通すことができる」という意味でお正月のおせち料理のひとつとして提供されることが多いですね。蓮池の跡地にいたおじさんは「レンコンは11月から2月くらいまでが収穫の時期ですわ」と話されていたが、「蓮根掘る」は冬の季語になっている。

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 私は「レンコン」はとても不思議な形をしていると思っている。それなのに「れんこん」を題材にした昔話・民話など本当に少ないし、発行されている童話・児童文学の中にも「れんこん」が登場してくる話は少ない。「先を見通すことができる」というポジティブな意味合いでも評価されているのに何故なんだろう。ちょっと「れんこん」を主人公にした話を作ってみたくなった。・・・これは今後の楽しみな課題のひとつとして残しておいて、「れんこん」の話を続けていこう。・・・ふと不思議に思うのは「レンコン」って外国人も食べるの?って疑問。日本はグルメ大国だから世界中の料理が存在するけれど、フランス料理・タイ料理・トルコ料理・ドイツ料理・・・いろんな国の「レンコン料理」って本当に耳にしたことも目にしたこともない。調べてみるとやっぱり「レンコンを食べる習慣のあるのは日本人と中国人だけ」だって!

 そんなに日本人が「レンコン」が好きなら、日本列島のどこが「産地」なんでしょう。利根川流域の茨城県土浦市、かすみがうら市などが超有名、そして徳島県鳴門市、愛知県愛西市、山口県岩国市などがそれに次ぐ産地なんですねえ。スーパーなどで売られている「レンコンの水煮」などはすべて中国産です。中国のれんこん栽培に携わる農家の皆さん、農薬などを使わず、綺麗に収穫して安全な「レンコン」を日本に輸出してくださいね。

「れんこん」の思い出でよく思い出すのは、人生で初めて熊本名産で有名な「辛子レンコン」を食べた時のこと。友人の一人が鹿児島県の志布志出身だが、熊本県とは隣接県で、私よりとっくの昔に「辛子れんこん」の味を知っていて、「私は辛くてよう食べないけど、日垣さんは好きな味だと思いますよ!」って勧められて食べてみたが、いや、衝撃的な味わいだった。辛子明太子なども大好きだったが、「辛子レンコン」はクセになる歯ごたえと味だ。しかし、熊本県の代表的郷土料理には感動的な「誕生の歴史」がある。今から370余年前の話、熊本藩藩主細川忠利公は病弱でした。耶馬渓の羅漢寺和尚が心配でやってきて、いろいろ試したがまったく食欲は回復しなかった。和尚は和漢書を読み漁り、レンコンに「造血作用」があることを知り、熊本県のあちこちに蓮池があるので、その「れんこん」を勧めたが、藩主は「れんこんは泥の中で育った不浄な物」と決して口にしなかったが、和尚が片栗粉をまぶし油で揚げたレンコンを食膳に出すとキツネ色に揚がったものが美味しそうに見えて食べ始める。今度はレンコンの穴に味噌や辛子を混ぜたものを入れて挙げると、もう忠利公の「大好物」になってしまった。実はこの「辛子蓮根」は細川家の「秘伝料理」として伝承され、明治維新まで門外不出の料理として庶民の口には全く入ることのない味だったのです。・・・その味を・・・嬉しいことですね。

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 ところで、ハスは英語で「Lotus」と言うんですが、「ロータス効果」という言葉を耳にされたことがありますか。多分、今までにいろんな写真や自分の目で見られたことがあると思うんですが、ハスの大きな葉の上にキラリと光り輝いている球状の「雨露」「水滴」の光景です。ある人が「何故、ハスの葉の上では水滴がこんなに丸く球状になるんだろう?」と不思議に思い調べ始めました。すると、ハスの葉の表面は「顕微鏡」で拡大すると、無数の突起微細構造になっていて、さらに化学的特性によって水分によって「濡れることがない」ようにできているのです。微細構造が水滴を作り、その水滴は泥の汚れや虫の死骸や異物などをすべて洗い流してしまうのです。まさに「自浄効果」があるということです。あれだけ泥の中に植生があるのに、いつも綺麗な葉の色を見せ、あのピンクの花の輝きを見せ続けられるのにはそんな「効果」が存在しているのです。

 中国や日本には「予独愛蓮之出淤泥而不染「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉があるし、ヒンドゥー教では「蓮華」は純粋さや善性の象徴とされています。植物学者が前述したように「ハスには天然の自浄機構」が備わっていることを見出したのですが、この発見は植物界だけに留まらず、「ロータス・エフェクト」という登録商標にもなっているほど「ナノ・テクノロジー」の分野で塗料・布地・屋根材料などへの応用に見事に繋がっているのです。

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 やっと蓮やレンコンに関連した児童文学見つけました。「れんこん(はす)の絵本」と「うしおくんとはすひめちゃん」です。でも、素材としては扱っていましたが、やはり「レンコン」が主演のお話ではないのです。いろいろ調べていて、レンコンは普通「8個」の穴が開いているのですが、山口県岩国市のれんこんは「9個」開いているレンコンが多くて有名らしいのです。こんなところにも「新しい物語」の素材が見え隠れしています。

 ある村のはずれにひとりの青年が住んでおった。どこからか流れ着いたように、その村のはずれに5年ほど前から住みついたが、まじめに畑や田んぼを作ったりしていたので、誰も文句を言わなかったし、村の祭りにひょっこり顔を出してはいろいろと協力してくれたりしたので、村の人たちとも仲良くなっていった。でも、どこの生まれなのか、何をしていたのかなんてことは一切話そうとしなかった。・・・・という感じで話が始まり

 その後登場するのが、青年をいろんな悪の道に誘い込もうとする「こんにゃく色坊主」と青年に「8つの人生の選択肢」があることを教え、そのどの道を進んでいっても一人前になるまで努力することの大事さを教える「レンコン和尚」そして、青年に初恋に似た気持ちを抱く酒飲み喜助のひとり娘「れん」・・・そして「恋魂(こいだましい=れんこんとも読む)」の行方・・「れんこん」に出会って、ちょっと童話の世界に入り込んでしまいました。さて、これからどんなストーリーが展開していくのでしょうか!!!乞う、ご期待で〜す!!!

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by taira710 | 2015-01-14 15:42 | 人生こそ旅の連続!! | Comments(0)

脳出血から回復してテニスもできるし「将棋」も指せる・・これは光明!!

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 今日は「成人の日」・・・・MUNEYA兄貴と彼女は大の仲良し

    まさか兄貴と「将棋」が指せるとは驚き喜びだった!!!


 私には77歳の喜寿をこの3月で迎える長兄を筆頭に、今年75歳、70歳になる3人の兄貴がいる。その中のMASASHI兄貴は1月15日生まれだから「成人の日に生まれた兄貴」とずっと思っていたのに、国民祝日法なんてバカな法律を作った国会議員がいた為に、今はその「形容詞」は何の意味も持たなくなってしまった。

そんな意味のない成人の日に久しぶりに伊丹に住むMUNEYA兄貴と彼女のYOSHIKOさんに会いに行った。2年前の4月に突然MUNEYA兄貴が脳出血で倒れて、9時間にも及ぶ手術を受けて「視野狭窄」と「言語障害」という重度な後遺症を残しながらも、そのYOSHIKOさんという彼女の存在と、その彼女の子供さんとお孫さんたちの存在のお陰で、見事に「回復」を勝ち取ってくれた。今、テニスという運動もできるし、畑作業も積極的にできるし、お孫さんたちとの交流の時間帯にはボキャブラリーも豊富に会話できていると聞かされている。

JR伊丹駅に着いたとき、出迎えの車から降りてきたMUNEYA兄貴の表情には満面の笑顔が見られた。嬉しいことだ。今回は父親の33回忌と母親の13回忌の「法要」を同時開催する年なので、長兄のMUNEYA兄貴の意向を実際に確かめながら、彼女のYOSHIKOさんの意向も確認しながら「法要」に関しての「決定事項」「確認事項」などを決定したかったからだ。手土産には・・・実は岸辺駅から伊丹まで直通で行く「三田行き」に乗車できたのに、小腹が空いてきたので、実は新大阪の立ち食いそばで一杯食べてから行くことにしたくなって途中下車した・・・が、新大阪駅構内はあちこちが工事中で肝心の立ち食い蕎麦屋は閉店していた。

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目に付いたのは「駅弁・弁当」の店、その中で「八十島」という店の「大阪寿司」が何とも美味しそうで、ついでに一緒に兄貴たちと食べたくなって「握りずし盛り合わせ」まで張り込んで買ってしまった。そのお寿司を、兄帰宅でお茶請けにして頂いた。その後、4月の法要に関してかなり具体的に赤裸々に話し合った。実は詳細はこのブログでは書き表せないが、私たち4人兄弟の実の母親は「芳子」さんという名前で、MUNEYA兄貴が運命的な出会いをした彼女の名前も「YOSHIKOさん」だ。昨年に前妻とは離婚してしまったが、客観的に見て、この選択は正しかったと思う。兄貴はこれからYOSHIKOさんと共に小さな幸せの中で人生を送っていって欲しいと思いましたね。

「法要」に関しての話は完了しました。気分転換と私の希望もあり、「畑」に冬野菜の収穫に行きましょうと呼びかけさせてもらった。YOSHIKOさんはMUNEYA兄貴が脳出血で倒れるまで、「農園」のことに関しては兄貴にまかせっきりだったのに、兄貴が倒れて、その後、兄貴の農園を守る為に必死になって学習し、もう2年目で見事に「農園」のプロフェッショナルになっていた。畑では「大きなカブ」と「大根」と「白菜」とをお土産に頂きました。兄帰宅を訪問するときは、このお土産が実は楽しみなんです。

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でも、とっても驚いた情報を、その畑作業の合間に耳にしたんです。「MUNEYAさんがMINORIやMISAKIと将棋するんですよ!」「エエッ、将棋できるん?ええっ、ほんまかいな?」「やろ!やろ!マンションに帰って将棋しようや!」兄貴はただ笑っている。マンションに戻り一勝負・・・・私自身はそんなに強いわけじゃない・・というか本将棋なんてめったにしないが、ここ3ヶ月ほど支援学級では毎日のように「将棋」が流行するようになって、生徒からよく相手を頼まれてしまう。ラブのテニスの場では「詰め将棋」を楽しんでいるので、「将棋」をすることは好きなほうだ。

YOSHIKOさんが早速「将棋盤」を出してくれた。MUNEYA兄貴も駒を並べ始める。将棋は最初の一手から「ある程度できるレベル」かどうか分かるゲームだ。同じ一手でも分かって動かす一手と、皆がやってるからという「一手」とは「動きの質」が違う。それから、なんと相互に50〜60手は指したと思う。なかなかの長考もありましたが、実に中身の濃い将棋でした。もう何とも言えない感動がありました。2年前にあんな大変な目に会ったのに、2年後の今に「将棋」ができるまでに・・いや、こちらの思い込みで、そのような「既存の能力」は決して損なわれないものなんだということに気づかされた瞬間でした。確かに「脳性まひ」とかいう疾患も「運動障害」だけではなく「知的障害」も伴っていると思われがちな「偏見」「先入観」・・・でも、身近な「実兄」の存在から、それは間違いなんだと学ぶことになるとは・・・・

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午後2時も過ぎて、YOSHIKOさんも私も「空腹感」を感じ始めていました。今日は「法要」に関する打ち合わせもできました。長兄のMUNEYA兄貴の意向を目の前で確かめながら進めることができて良かったです。そして二人が手塩にかけて育てた野菜もたっぷり頂きました。そして、一番嬉しかったのは77歳となろうとしている兄貴と将棋が指せたことです。まだまだMUNEYA兄貴は健在で、幸せな人生を歩み続けようとしているポジティブな姿勢を感じ取ることができました。

最後は「伊丹」に遊びに来たときは、MUNEYA兄貴とYOSHIKOさんと3人で王将昆陽店の「ニラレバ」「焼き飯大盛り」「ぎょうざ3人前」「味噌ラーメン」を平らげることです。ほとんど注文内容に変わりはありません。この店がもっと広ければ絶対に王将の売り上げNo1になるに違いないほど、素材の調理の仕方がダントツに美味しいんです。

兄貴の食欲も絶好調です。

今日「成人の日」は、私にとってはとても「意義」のある一日でした。成人の日とは単に人間がこの世に生まれて「20歳」になったという日という狭い意味合いだけではなく、人生の中で「大きな学びがあった」日を「成人の日」にすれば良いんだと思わせてくれました。それはきっとMUNEYA兄貴の前向きな生き方と、それをサポートし続けてくれているYOSHIKOさんの支えがあるからだと思っています。また、遊びに行くから、また楽しい一日一日を送ってください。019.gif027.gif027.gif027.gif004.gif004.gif084.gif


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by taira710 | 2015-01-13 11:58 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

「ANJU」が来た来た!!「天使」が来たのに「福」が来なかったよ!!

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 テニスクラブ「ラブ」の初テニス

   そして「ANJU」が参加してくれた「水河亭」の新年の集い!!!



 今日は土曜日、「ミラクル」と「ラブ」のメンバーとのテニスを思いっきり楽しめる日だ!

午前中のミラクルは「8人」の参加で、1ゲーム制チャンピオンゲームをしてとても楽しい時間を過ごすことができた。昼は自宅に帰り和美さんの作る昼ごはん(手作りハンバーグ、切り干し大根、カブの味噌汁)を食べて、またまた元気が出てきた。いつも、25分ほどかけて鳥飼体育館まで自転車で行っている。これが結構いい準備体操になっている。しかし、新幹線沿いの道路は時に大型ダンプが猛スピードで走るので、自転車で走っていると巻き込まれてしまうそうな恐怖を感じるが、そんな時はバックミラーで確認しながら一旦停車してやり過ごすようにしている。

 午後1時半頃鳥飼体育館に到着すると、嬉しいメンバーがすでにテニスの試合をしていた。TOMOちゃん、AKIちゃん、ATSUちゃん、NOBUちゃん、そしてYASUDA先生だ。それから徐々にメンバーが増えてくる。MITSUちゃん、MIZUKAWA夫妻、TAKEちゃん、そして久しぶりのYOUKOさんだ。後、FUKUSAKI夫妻が参加してくれれば、ほぼ全員参加だったのに・・・いつもジャンケンで順番を決めるが、嬉しいことにTOMOちゃんやYOUKOさんとも対戦することができて嬉しかった。10人を超えるとなかなか乱数表で当たらないメンバーもいるので、TAKEちゃんとはほとんど対戦がなかった。空き時間もいろんな話で盛り上がるし、退屈することがない。

 ラブテニスも終盤に近づいた頃、嬉しいお客様がやってきてくれた。私の大好きなMIZUEママの愛娘「ANJU」だ。去年の水河亭でのクリスマスパーティー以来だから3週間ぶりだ。また成長したように見える。私がテニスをしながら「ANJU!おめでとう!」と声を掛けるとちっちゃい手を振ってくれる。テニスには興味がある様子。クリンとした瞳で熱心に眺めている。今日の「水河亭」での食事会にママと一緒に参加しにきたんだ。

 「ANJU」に「今日、何が食べたい?焼きそばなんか好き?」「焼きそばがいい!」なんて可愛く返事してくれたので、今宵のメインメニューは「焼きそば」に決定。「ANJU」が好きそうなシンプルな焼きそばがいいなあ。当然、私がシェフ役だから、キャベツときのこと豚肉と「れんこん」を追加して、ちょっとオリジナルな「ソース焼きそば」、後半は「貝柱」「チクワ」などを加味した「シーフード焼きそば」を提供。ANJUからも「美味しい!」と大好評!!

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 テーブルの上はご馳走でいっぱい。今宵はANJUも含めて8人もの参加があったので、

握りずしも大皿で購入、さらに「ロースハム」「赤カブ漬け」「キムチ」「黒豆」「トマト」などたっぷり。話も私のフィジーの旅の話から、ANJUの子育ての話から、話は尽きないが、一番、盛り上がったのが「ANJUの歌のコンサート」だ。なんとレパートリーの多い子だ。2歳なんだろう??何で私より歌える曲が多いんだい?「大きな栗の木の下で」「キラキラ星」特に「お正月」は自ら「もう1回」を繰り返し「3回」も歌ってくれた。私がANJUが歌い終わったら「ANJU!明けましておめでとうございます!」と声を掛けると、またまた引き込まれるような可愛い笑顔で笑ってくれる。こっちも嬉しくなっちゃって大笑いだ。新年から嬉しいことだ。

 ANJUはメンバーの名前を覚えるのも早い!「いただきます!」「ありがとう!」など挨拶もちゃんとできるので、本当に一人前だ。MIZUEママも言ってたけど、クリスマスパーティーの時よりも随分とリラックスして、水河亭での時間に馴染んでしまっている。ただ、ケーキとかイチゴなどMIZUEママの分まで欲しがるので、ママも大変だ。

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 今日はANJUの突然の来訪で「シェフ」役を引き受けたので、折角フィジー土産を持ってきていたのに、ほとんどお腹が一杯になった頃に思い出してしまった。FIJIビタービールは本当に美味しい。アルコール飲料はたった6缶に制限されているので、3缶だけ持参させてもらったが、もうたっぷり飲んだので「次回」に持ち越しだ。それと、土産物の出店で購入したフィジー人が手作りで作ったというパッチワークのような手芸品だ。いろんな種類のフィジーらしい図柄の布をミシンで縫いつけたような作品だ。メンバーは「玄関の足拭きに置いといたら!」なんて冗談を言うが、SUEBONは「どっかに飾るようにするわ」と言ってくれる。まあ、美術品とまでは言えないけど、偶然私が購入した「フィジーカラーのシャツ」の柄とまったく同じ図柄の布が中央に使用されていたので、ある意味、私の「分身」のようなお土産なので、大事にしてもらったら嬉しいと思う。もう1枚は私が自宅に所有し、もう一枚は大好きな和美さんへのお土産として持ち帰った。ミシン跡を見て「簡単に作ってあるね!」とか「フィジーの貧しい人たちが作った作品ですから、値引きはできません」等の美談に関しても「日本人向けの演出じゃないの?」なんてことを言っていたが、まあ、自分で選んで気に入ったのを持ち帰ってくれた。

 あっという間に散会の午後10時になってしまった。南摂津駅までANJUとMIZUEママとMITSUちゃんと一緒に帰ったが、最後にANJUが「ありがとう」と投げキッスをしてくれた。本当に小さな子供が触れられる距離にいるのは幸せな体験だし、いろんな関わりに反応してくれると嬉しくて仕方がない。AYANOちゃんも小学校2年生頃まで合宿に参加してくれたりしていた。あの時もAYANOと大の仲良しになって本当に楽しかった。MIZUEママの話では、この5月のラブの最終合宿にANJUと一緒に頑張って参加したいと思いますと宣言してくれていた。また、ANJUと楽しい時間を過ごすことができる。待ち遠しい嬉しいニュースだ。

 今回はTANAKA夫妻は郷里熊本におられて参加されなかったが、この1月中に「新年会開催予定」をしている。その日はご主人のMAAちゃんが手料理を振舞ってくれる予定だ。その日のために「ノーベル賞授賞式」で提供された日本酒「福寿」も水河亭に保存されているし、きっとFIJIビールも残っているかもしれない。またまた楽しい日が待ち受けている。みんなありがとう、健康で楽しい関係を続けたいものです。

PS:「シェフ」をしているとなかなか新年の集いの雰囲気や料理を写真に収めることができなかった。やっと席について「ANJU」の可愛らしさに魅了され、最高に幸せな気分で時間を過ごすことができた。ANJUの表情から「新年の集い」の楽しさを想像していただけると嬉しいです。
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by taira710 | 2015-01-11 21:52 | 人と人との出会い! | Comments(0)
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人生は旅、仕事も遊びも旅さえも旅気分で楽しもう!!


by PEACENIK平ちゃん
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