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他人の「初恋」も自分の「初恋」もまるで「物語」のように楽しい!

2016-09-28  あいつ今どうしているんだろう???

  昔から「この手の番組」が大好きだった・・・「初恋談義」

    今や私には「その探索手段」はない・・・でも、気になるなあ!!!


 私が「テレビジョン」という「文明の利器」に最初に触れたのは、1952年昭和27年、私が5歳の時、大阪市西区立売堀にあった「電気店」のショーウインドウの中でそれは宝物のように輝いていた。そのブラウン管に映像が映し出された時は本当に全身で驚きを感じていた。特に「力道山」の登場したプロレス中継、外国人レスラー「シャープ兄弟」や「ルーテーズ」との試合にどれだけ興奮したことか!そして「栃錦」と「若乃花」との大相撲、それに人形劇「テレビ天助」に夢中だった。もちろん、電気屋のテレビジョンの画面を通してだ。そして、5歳の私は、近所に月1回くらいの割合でやってきた「紙芝居」の「月光仮面」や「黄金バット」「コケカキイキイ」を観ながら「酢こんぶ」を齧るのが何よりも「幸せ」だった。「テレビジョン」が庶民の私たちの家庭の一部に鎮座してくれたのは、それから随分と月日が経ってからだ。

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私の記憶には白黒テレビのブラウン管の前面に「赤・青・緑・黄色」などの色付きパネルが嵌め込まれていた「擬似カラーテレビ」の記憶があるが、それがどこに置いてあったのか、いつ、その画面を見ていたのか、正確な記憶が欠けている。しかし、細部の記憶は曖昧そのものだが、この世にテレビジョンが登場してから、私の「脳」は「テレビ」に全面的な「依存」を始めていたように思う。まさに「テレビっ子」の誕生だ。その時代に、北朝鮮や中国のような「国粋主義的な洗脳」工作が意図されていたら、私はきっとそれが「真実」と感じ、その植え付けられた価値観で物事の全てを判断していたに違いないと思っている。それだけ、純粋にあるいは単純にテレビのブラウン管からの情報をすべて疑いもなく受け入れていた。

大阪市西区立売堀で「食料品店」を両親が開いていた時は、まだ「自宅」にはテレビはまだ無かったように記憶している。もし「テレビ」が自宅にあったら、あんなに夢中で外で遊んでいなかったように思うし、その当時のテレビは食料品店をしながらの収入で購入できるような一般的な代物では決して無かった。でも、私の記憶には皇太子と美智子妃殿下とのご成婚パレードの中継をどこかで観賞していた記憶があるのだが、それは1959年のことで、私が12歳、小学校6年生の時だ。私が大阪の今橋にあった「愛日小学校」に通っていた時のことで、かなりの遠距離通学(越境入学)をしていて、東住吉区の桑津町にあった親父の勤めていた会社の社宅の家には「テレビジョン」が設置してあったのだろうか・・・・いや、それは無かったように思う。同じ区画に建てられていた社員寮に設置してあった「テレビジョン」を観ていたように思う。この頃の記憶は実に曖昧だ。そんな子供だったから仕方が無い。よく1時間以上もかけて通学していたものだ。

天王寺区の東門町の2階建ての借家に住みだしたのは、私が「大阪市東区」にあった「船場中学校」に通学していた頃だ。あの中学生の頃に、一番上の「姉」が当時の最新のテレビを買ってくれたのだと思う。学校つながりで芦屋のお嬢さんたちとの交友関係があったので、当時の電化製品の「最新型」の世界に熟知していて、就職して得た給与で買ってくれたのだと思う。自宅の和室の部屋の一隅に新品のデラックステレビが置かれているのを見た時、飛び上がりたいほど嬉しかった記憶がある。それは昭和30年代の後半だったと思う。随分と昔の話だ。

よく考えてみると、我が家に「テレビジョン」が無くても、私の頭は「テレビ」に染まっていた。そして、我が家に「テレビ」が鎮座すると、もう中学校時代は、学校では友達と遊び、自宅に帰ると「テレビのチャンネル」を回していたのだ。中学生の頃は、テレビの番組に強い影響を受けて「音楽の世界」にも関心を持ち始め、シェリーフェブレーの「ジョニーエンジェル」が私が購入した「最初のEPレコード」だった。

 テレビっ子になっても、テレビ番組が全て好きだったわけでもない。そんな中で、私がちょっと異質な「次元」で楽しめたのが「初恋の人」を探し出し、再会を演出する番組だった。最初のベースはNHKの看板番組「私の秘密」だった。いろんな人がいろんな扮装をしながらも「黒いマント」で自分の姿を隠して登場し、解答者がその秘密を当てるという実に楽しい番組だった。登場人物の特技や趣味・自慢・貴重な体験などをさまざま推理しながら当てるのが、とても面白かったが、1955年から1967年の13年間、8歳から19歳の間の内の数年間楽しんでいた。その番組で「初恋の人」が紹介されていたかどうか記憶に残っていない。

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 1965年からスタートしたフジテレビ系列の「小川宏ショー」の中で話題となったのは「初恋談義」というコーナーだった。ゲストの「初恋に関するエピソード」から始まり、そして、実際にその「初恋の人」が登場し、久しぶりの再会を果たす。「初恋」という言葉を聞くと、すぐに「反応」してしまうのが「男の性」なのか「男の業」なのか・・・それにしても他人の「恋物語」は源氏物語のような不倫の世界ではなく、「純粋な心情」が吐露されるので実に見て聞いていて楽しいのだ。その「初恋談義」も出尽くした感があり、16年間継続して終わってしまった。

そして、1975年から始まった日本テレビ系列の「それは秘密です」はあの涙と笑顔の名司会者「桂小金治」が進行役を勤めていた。彼は「徳光和夫」以上によく泣く男だった。この番組でも様々な「再会」を取り上げ演出していたように思う。その後、「初恋談義」の平成版として1993年からフジテレビ系列で「平成初恋談義」という番組がスタートした。1994年からはあの島田紳助MCのヒューマンバラエティーを謳った「嗚呼、バラ色の珍生!!」がスタートし、「視聴者」の要望を中心に「人捜し」作業が行われた番組だった。2007年からは日本テレビ系列で「泣いた笑った!ご対面あの人に会いたい」がスタート、これはまた「有名人」の会いたい人を捜しだし、「感動の再会」を演出していた。また、繰り返すが、今でもその時の「感情移入」していた、あの独特のワクワクドキドキしていた思春期の気持ちを思い出さされてしまう。

そして、つい最近、このブログを書きたくなったきっかけはテレビ朝日で今年から始まった「波乱万丈人生*あいつは今何してる?」という番組だ。有名人が、自分の学生時代のアルバムを振り返ってみて「あいつは今何しているんだろう?」と興味を引く人物をリストアップしてもらい、そこから「捜査」が始まる。10年・20年・30年というブランクを置いて「有名人本人が抱いている」印象や思い出を「当事者」を探し出して、ひとつずつ「検証作業」をしていく。予想外の職業についていたり、とんでもない「成功」を収めていたり、特異な才能を開花させていたり、大きな挫折・逆境を味わっていたり、そして「時間」という魔物なのか宝物なのか、人様々な人生を直ぐそばにいてるのに、異なった世界で生きていたりする。

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私の人生にも「多くの同級生」がいる。もう高校生の同級生でも亡くなってしまっているメンバーも多いが、「愛日小学校」と「船場中学校」は統廃合で跡形もなく無くなってしまっている。あの時の同級生、そして「恋心を抱いていた」同級生は、今どうしているんだろうか?でも、正直、今、本当に心から会ってみたい、今、何してるんだろうと脳裏をよぎる女性は一人しかいない。EEC外語学院に通っていた時のクラスメートだったEMIKOさんだ。とんでもない美人だった彼女は、もう60歳を超えてしまっている。

団塊の世代ではきっと「また再会してみたい!」と思っている人たちは多いと思う。昨今の探偵社への依頼は急増しているらしい。着手金、調査必要経費、探偵社によっては成功報酬を請求される場合もあり、「難易度」によっては50万円を超える場合もあるようだ。自分の力量で探し出すなんてことはできるんだろうか?そんな試みも「老後の楽しみ」の一つに残しておこうか・・・・「人の恋」も「自分の恋」も人生の一瞬の「煌き」「輝き」を垣間見ることができて楽しい・・・・・・!

 

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by taira710 | 2016-09-29 17:08 | 人生にはさまざまのテーマがある! | Comments(0)

「自然と平和」を愛する人たちの響き・・ジャズって本当に心に響く!

2016-09-24 KAORU AZUMAライブ最高!!!
老舗ジャズ喫茶「SUB」で遊ぶ・・・・・・


  「アルファー波」に満ち溢れた歌声・・・・・ジャズに目覚める!

こんなに楽しくて「癒された時間」は久しぶりだ!・・ 


夜中の12時を過ぎて、こんなに「楽しかった余韻」を残し、興奮しながら自宅に帰りついたのは久しぶりですよ、ほんと。今年の5月、毎年恒例となっている「高槻ジャズフェスティバル」に久しぶりに参加した時のこと、勿論、「演奏」ではなくて観客としてだけど、高槻の数箇所の生ライブをあちらこちら聴き続けて、本当に楽しい1日を過ごすことができた。その日、実は一番印象に残ったのが桃園小学校の校庭の仮設ステージで行われていたジャズライブだった。別に特別な目当てがあったわけではなく「女性ボーカリスト」のジャズが聴きたいなあと思った程度だった。ところが、その現場で、今まで経験したことのない歌唱力抜群の女性歌手に出会ったのです。英語の発音はまるでネイティブ、音域も驚くほど広く、その「癒し効果」に圧倒されてしまったのです。ところが、残念なことに私が訪れた時間は、そのボーカリストの予定時間の後半で、その全てを楽しむことができなかったのです。

 その印象的なボーカリスト「東かおる」さんのことを早速自宅に帰り、ネットを駆使して調べ尽くしました。関西圏のあちこちで「生ライブ」をされていたんですが、大阪では谷町九丁目出口6番の階段途中にある「喫茶SUB」でのKAORU AZUMAさんのライブが6月14日の土曜日にスケジュールされていることが分かりました。でも、残念なことにその日は別の予定が「先約」としてありました。またの機会に延期せざるを得なかったのです。・・・そして、7月に「東かおる」さんのブログにアクセスして、9月24日土曜日に同じ「喫茶SUB」で、「KAORU AZUMA」さんの生ライブがあることが分かり、早速「参加希望」をメールで送信させてもらいました。

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 24日の朝から「東かおる」さんのライブが楽しみで楽しみで、午前中のテニスも普段以上に楽しめたのですが、夕方5時過ぎに出かけ、そして「喫茶SUB」の前まで来た時に、まさにジャストのタイミングで「東かおる」さんに鉢合わせるように出会ってしまったのです。手にはコンビニで買い物されて来たらしく「ビニール袋」を提げていました。私は熱心に「東かおる」さんのブログにアクセスし、ルックスなどプロフィールにはかなり強い印象を残していました。だから、その突然の出会いに驚いてしまって「ああっ、東かおるさんですよね!」と旧知の間柄のように反応してしまったのです。そして、東さんも初対面にもかかわらず、私がそのように反応したものだから「こんばんは、何処かでお会いしましたよね!」なんて挨拶されて来られたので、またまたビックリ。「すみません、今日が初めてなんですが、高槻のジャズフェスティバルで東さんの歌声に初めて出会って、その日から是非ライブに顔を出したいと思っていたんです」・・・・・「それは嬉しいですね。よく来て頂きました!」

 なかなかインパクトのある出会いだ。「喫茶SUB」の中に入ると、もうそこは「昭和時代のジャズ喫茶そのもの」のリアルな世界が存在していた。ジャズアーティストのレコードやレコードジャケット、さらにポスターや写真が全ての壁に貼られていて、色調も「セピア色」の世界。カウンターの中には様々な洋酒のボトルが並び、メニューには今まで耳にしたことのないような斬新な「輸入ビール」の銘柄の数々が並んでいる。

 まずはカウンターのスツールに腰掛けて、濃厚ビール「ブルックリンラガー」をまずオーダー、そしてアテに「自家製チーズケーキ」を注文、7時開演までのんびり待機気分、本当に雰囲気がいい・・・そんなタイミングでカウンターの中央に座っておられた男性が優しい笑顔で「初めて来られたんですか?」と尋ねてくれる。「私はこのジャズ喫茶が大好きなんですよ。雰囲気が良いし、嬉しいのが禁煙という環境です」「それは嬉しいですね。私も禁煙大賛成です。ジャズ愛好家はかっこつけて喫煙する人が多いけど。お寿司屋でも本当に嫌になるんですよね。お寿司はUNESCO無形文化遺産になった和食の代表なのに、何で喫煙して味をわざわざ不味くするんでしょうね。」・・・一段と居心地が良く感じられた。

 そして、イントロダクションのジャズ演奏が始まり、その演奏が終わるとボーカリスト「東かおる」さんが紹介される。真紅に白いドットのワンピース、黒のアンダーが胸元にチラリ・・・原色がよく似合う日本人離れした雰囲気を醸し出している女性だ。プロフィールには1977年11月23日生まれの大阪府(鶴見区)出身とある。誕生日が来ると今年で39歳・・・まさに「ジャズ界の熟女」とも言える。美人度・歌のうまさ度・人間度、全ての点においてかなりの高得点。一番最初の選曲が「Desafinado」というボサノヴァの曲だ。ポルトガル語で歌われるが違和感なし・・・・意味は英語では「tone deafness」(音痴)のことだ。東かおるさんの解説があったが、インターバルにこの歌の意味を調べてみた。実に洒落ている。

 「・・・・私たちの愛の歌はわずかに旋律からずれているわ・・・・愛の歌を歌って私と調和してよ 私達なら昔のようにまた旋律を取り戻せるはずだわ 音痴なんかじゃない あなたの心が完全に私に向いた時 そうしたらあなたはもう旋律をはずさない ずっと私と唄い続けるの」(一部抜粋)  「恋のすれ違い」をチューニングに例えるなんて・・

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 次の曲は「セプテンバーソング」そして、また次の題名の紹介があるが、覚え切れないが「月は何故輝いているの?」といったような内容の英語の歌だったり・・・そして「レッツトークアホワイル」・・・「少しの間でもちょっと話そうよ」という意味で、もっと人間同士がコミュニケーションを大事にしたら「憎しみ合い」も無くなるだろうし、勿論「戦争」なんて起こらないというような「平和を希求する」生き方をメッセージに込めた歌。いいね、とても共感できる。そして彼女が「ニューヨーク市立大学」を卒業する時の「卒論音楽」とも言うべき作詞作曲した「秋の雨」を歌った曲・・・・あと数曲歌われたが、題名は忘れてしまった。

 ボーカリストの「東かおる」さんのことばかり書いているが、彼女のご主人の「JESSE FOREST」さんはエレキギターを奏で、オーナーの長谷川朗さんはテナーサックス&ソプラノサックスを吹きまくる、そして身長より大きなコントラバスを演奏していたのが、かなりの美人の「坂井美保」さん。三人三様に本当に正真正銘のプロフェッショナル。私がアルトサックスのレッスンを受けている「東MAKI」先生も「ジャズは難しいです」と言っておられたが、「朗(ROU)さん」のテクニックは超絶だ。そして、可愛いい坂井さんはエンターネイナーなのに柱に隠れるように演奏されるという控えめな女性・・・ネットにスケジュールはアップされているが、顔写真もプロフィール紹介もない。「もっとエンターテイナーは自分をアピールしないと!」と押し売りのような説教をしてしまった・・余計なお世話だ!

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 「1セット」1800円で1時間のボーカル&演奏を楽しめたが、第2クール目は選曲もまったく違うとのこと。東さんやJESSE、そして、お客さんのNOZAKIさん、ジャズの男性ボーカリストを目指しておられるお客さんの「SUGAさん」と「MURAKAMIさん」韓国人のお客さんも来られていたし、21時からのライブにはまた新しいお客さんたちが来場して賑やか。「2セット」目も1800円払って楽しんで帰ることにした。東さんほど英語の歌が上手な歌手を耳にしたことがない。ジャズ特有のハミングのような超絶技巧もさりげなくこなされるし、これほどまでに「リズム」に乗れるんだと感じたのが、AZUMAさんが歌うために持っているマイクなのに、彼女の親指を含めて5本の指がマイクを握りながら、絶妙な指使いでリズムを刻み続けるのだ。こんな光景見たことない。

 後半も「ジミーヘンドリックス」や「デュークエリントン」の名曲や「マグノリア」という「木蓮(もくれん)」を主題にした歌やJESSEの故郷のアメリカ・バーモント州のムーンライトを歌った曲、それは川の中の「mica(マイカ・雲母)」の輝きを歌った曲だった。そして、最後の仕上げの曲はチャップリン映画の「モダンタイムス」でのインストゥルメンタル挿入曲・・「スマイル」だ・・これは嘗て耳にしたことがある。「歌手が聴衆に対して笑っている限りは明るい明日が常にある・・・」・・と。芸人が笑いを提供している限りは日本は平和なのか?いや、戦争中、芸人は軍人の「慰問」に奔走していたのだ。

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 まだまだ書き足りないが、「東かおる」さんとプライベートな話しまでしていて、驚いたのが、様々な「接点」の・・・多さ。高校時代の親友が「AZUMA」好きだった女性が「AZUMA」、アルトサックスの先生が「HIGASHI」、兄貴の奥さんの旧姓が「HIGASHI」・・・私の家内は6歳年上、AZUMAさんは7歳年上、圧巻は4歳の娘さんが、私の息子が勤務している学園の「4歳児保育」に通園しているという。それにしても、今宵夕方6時半から11時過ぎまでの数時間の楽しかったこと。これからまた「人の繋がり」が広がって行きそうな予感。ありがとう「楽しい一日」・・・・・英語、勉強しなくちゃなあ!次は11月に「SUB」でライブ予定されているとのこと。Youtubeで一度で良いから、彼女の声に触れて欲しいと思う。「平和の女神の声だ!」
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by taira710 | 2016-09-25 09:43 | 人と人との出会い! | Comments(0)

「ねじまき鳥クロニクル」の世界から・・どこかに飛び出せそうだ!!

2016-09-23  村上春樹の波長に見事にフィットしている

 
 1年という期間をかけて長編小説「ねじまき鳥クロニクル」を読み終えた・・・

    こんなに面白い小説は久しぶりだ・・・ハルキストを目指そうか??



去年の10月のブログに村上春樹の長編小説「ねじまき鳥クロニクル」を読み始めたことを記していたが、今年の9月23日にやっと読了することができた。第1部「泥棒かささぎ編」第2部「予言する鳥編」第3部「鳥刺し男編」と3部に分かれているが、第1部と第2部は1994年に新潮社から出版されたが、村上春樹が巻末の「解題」欄で述べているが、第2部を書き終えた時点では「第3部」を書く予定はまったく無かったらしい。第3部は「1年」というタイムラグの後に出版されていた。出版から20年経過して、この2冊合わせて1000ページ近くにわたる「長編小説」に出会えて、本当に面白かったしドキドキはらはらしたし、文章表現の流れが私にとってとてもとても「心地よく」、村上春樹って俺の感性と共通するものがあるんだとひとり自己満足の快感に陥っている。

 私の過去の読書遍歴は「傾向」「偏向」が生まれてくることが多い。それはその作家の生み出したストーリーや登場人物に「感情移入」しやすい傾向があり、さらにその作家の生み出す世界に「脳味噌の波長」があってしまい、一種の「依存症」のようになって、その作家の作品ばかりを読んでしまうのだ。その「作家」の世界を極めて「○○の世界」というような作家論を書き上げたいというインテリジェンスの高い願望がある訳でもないのだ。「山本周五郎」「松本清張」などは本当に読み耽っていた。J・R・トルーキンやJ・K・ローリングやアガサ・クリスティーなどの海外の作家もかなり読み込んだが、これは「翻訳者」が介在しているので、これは「文体」が自分に合っているとは表現し図らい。

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 しかし、昔から「読み出したら」長編であろうが短編・中編であろうが、内容が面白ければ夢中になってしまう・・・「この続きを読みたいなあ」と思わせてくれたら、その小説は私にとっては「成功作品」なのだ。実は村上春樹という作家に関しては「全く知らない」というレベルに近い。まず最初の出会いは1987年の「ノルウェイの森」だった。流行に乗って読んでみようとトライしたが、最初の30ページも読まない内に図書館に返却してしまった。「肌に合わない」というか、私には「回りくどい文章」に思えてしまった。それから暫く間があり、2002年の「海辺のカフカ」が出版された年、フランツ・カフカの「変身」は学生時代に読んで「なんとも言えない衝撃」を与えてくれた作品だ。「あっ、村上春樹もカフカに影響を受けているんだ!」と思いながら、「海辺のカフカ」を手にとって見た。最初のページを開けて「読む気が突然失せてしまった」・・・・

 そして、2009年の「1Q84」が出版され、それこそ様々な新聞やマスコミで取り上げられ、様々な評論家が「1Q84」に関しての書評を書いていた。とても興味があり、本屋に行くと「山積み」されていた光景が目に入っていた。でも「ノルウェイの森」と「海辺のカフカ」の挫折は大き過ぎた。・・・でも、2009年の「エルサレム賞」の受賞記念講演で当時のイスラエルの「ガザ侵攻」を見事な英語で「批判」した、その文学者でありながら、その前に「人間である姿勢」を提示してみせた村上春樹の生き様に共感し、いつか彼の「作品」を読ませてもらいたいと思っていた。

 そして、昨年、「通訳案内士」の国家試験受験の為の勉強を図書館でしていて、7冊程の講談社の「村上春樹全作品」が書棚に並んでいた。「ねじまき鳥クロニクル」の収められている1冊を手にとって「村上春樹ってふざけとるなあ、なんやねんこの題名!,ねじまき鳥???クロニクル・・年代記・・何を書こうとしてるんやろ?」1ページ目を開けて読み始めたら・・・これが実に興味を引く「内容」だったのだ。「見知らぬ女性からの謎の電話」・・・最近、我が家にかかってくるのは「不動産」「株」関係の投資勧誘電話ばかり・・・

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 そして、仕事の合間、国家試験勉強の合間に楽しく面白く読み続けて、およそ1年がかりで「読了」できた。それにしても、今年の4月に村上春樹の「職業としての小説家」という自伝的評論集のような作品を読んで、彼の特異な「小説家」としての自負が、所謂、日本の文壇に「小説家」として鎮座している人達とは「異質な存在」として輝いていることを感じさせられた。そして、ついこの前のクイズ番組「Qさま」に出題された外国人にとっての「日本の偉人たち」のなんと「第1位」に「村上春樹」が評価されていたという事実です。アメリカ人の解説者が「村上春樹は単に日本の小説家なんて思われていません。もっとグローバルな国際的な小説家だと全世界で評価されていると思います」と・・・そして、フランスの美貌の女性が「村上春樹の小説は本当に面白いです。日本で生まれた作家があんな素晴らしい作品を創作できることに驚きを感じてしまいます」と・・・・

 日本では毎年ノーベル賞の発表の時期に、東京・荻窪の「6次元」というブックカアェにはハルキストが集合するという。京都の中京区蛸薬師通り東入るのコーヒー専門店「ELEPHANT FACTORY COFFEE」は村上春樹の作品「象工場のハッピーエンド」に因んで命名されているが、この店には村上春樹作品が無造作に山積みされていて、中国語に翻訳された作品も置かれているという。大阪には北浜にある「生駒ビルヂング・since1930」というレトロビルの地下で「村上作品」だけではないが「読書会」が開かれているらしい。確かに「村上春樹」の作品には「自己陶酔感」というものが感じられて、結構、一人で十分に楽しめる要素が詰まっているが、「村上春樹の作品を他の人達はどのように読んでいるんだろうか?」という興味が沸々と沸いてきて、特に村上春樹独自の「言葉の表現の世界」に関して意見を交わしてみたいなあと思い始めている。

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 それにしても「村上春樹」の「形容表現」の世界は本当に「独特でかつ分かり易い」という不思議なワールドを作り上げている。他の作家はここまでの「形容表現」をそんなに数多く文章の中に織り込んでいる作家はいるんだろうかと思っている。私はまだまだ数冊しか読んでいないが、1000ページ近くの小説の中に「これは小説やからこんな表現が生きてくるんやろなあ!これを普段の会話の中に入れながら喋ったりしてたら、かなり変人扱いされるやろなあ?いや、こんな洒落た表現は出てけえへんで!さすが、村上春樹やなあ!それがまた俺の心に響いてきよんねんなあ!」と感じさせてくれる。折角やから、ここに「ねじまき鳥クロニクル」の中から「この形容はなかなか洒落てるなあ」とか「この比喩表現はなかなか頭から出てけえへんなあ」と記憶に残っている一部を書き出してみたいと思う・・・・

「場末の映画館の最前列で古い黒沢明の映画を見ているみたいな感じだった」「まるで自分の魂が、自分のものではない肉体に寄生しているような、そんな気分でした」「まるで豆の莢でも剥くみたいにするすると服を脱いで裸になった」「その動きの中には何かしら巨大な、宇宙的な慈しみとでもいうべきものが感じられました」「それはどこか遠くの世界で女が嘆き泣いている声のような音でした」「時間や記憶といったような形を持たぬものたちさえもが、夏の光の恩恵を受けていた」「まるで臆病な小動物がほんの少しずつ相手に気を許していくみたいに」「自動販売機のコーヒーは新聞紙を煮詰めたような味がした」「ムンクがカフカの小説のため挿絵を描いたらきっとこんな風になるんじゃないかと思われるような場所だった」・・・・図書館から借用した本ではなく、自分が購入した本だったら、その形容的表現のすべてにマーカーでラインを引きたくなったくらい頻繁で出てくる。

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 そして、登場人物の「個性」がまたユニーク過ぎて、主人公の「オカダトオル」以上に登場人物に愛着やら憎悪を感じてしまった。「笠原メイ」「加納マルタ」「加納クレタ」「赤坂ナツメグ」「赤坂シナモン」そして「皮剥ぎボリス」「ワタヤノボル」「間宮中尉」「牛河」・・・今、読み返しても、どの「章」を読んでも面白い。そして、学んだ言葉・フレーズも多いかったが、私のお気に入りは

 「良いニュースは小さな声で語られる」・・・・・実に含蓄が深い言葉だ。006.gif006.gif036.gif026.gif034.gif034.gif034.gif060.gif


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by taira710 | 2016-09-24 01:23 | 人と人との出会い! | Comments(0)

人類の歴史は素晴らしい物を創作し続けてきた・・・何故、平和を創造できない?

2016-09-22  秦の始皇帝は本当にどんな人物だったんだろう?

  「始皇帝と大兵馬俑」という特別展を観賞しに行った覗いてみた・・・・

     レプリカと「本物」との区別・・その眼力は無い・・・


 思い返せば今から
15年前の夏、2001年の8月に7泊8日の「中国旅行」に旅立った。北京・西安・敦煌・上海とそれぞれに独特の緊張感を味わいながら、中国4000年の歴史の重さに肌身で触れてきた。帰国してからかなり長文の「紀行文」を書き残していた。今、西安郊外までバスで行き、この目で生の何百体という「兵馬俑」と様々な埋蔵品・副葬品などを鑑賞した時の「印象」をどのように記述していたのか・・・・読み返してみた。西安でのガイドは「殷さん」という名前の「目がエキゾチックな素敵な美人」だったと記している。今はもうその「面影」は忘れてしまっている。その殷さんが「西安」に関して様々な「情報」を提供してくれたことも書かれていた。西安は「ザクロ」の産地であり、あの「キュウイ」の原産地でもあるらしい。

殷さんがとても流暢な日本語を喋り、歴史にも精通していたので、「中国では貴女のような観光ガイドという職に就くためにはどのような勉強が必要なんですか?」と尋ねた記述も残っている。「中国での大学進学率はその世代の10%です。外国語大学で語学・観光学・歴史学などの単位を取得して、尚且つ国家試験を受けて合格することが必要です」と答えてくれていた。私たちのガイドをしてくれていた「殷さん」という女性は、中国ではかなりのエリートだったということだ。そして、「兵馬俑」見学の際の注意事項も殷さんからかなり詳細に注意を受けていた。一つ目は「特に夏は中国全土からも中国人の観光客が急増するし、それを狙ってスリが横行するので、日本人観光客も十分に注意してほしい」二つ目は「入場証は無くさないようにしてください」そして「物売りや物乞いが多いので不要(ブーヤオ)という言葉を覚えておいてください」との注意を受けていた。

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そして、実際の「兵馬俑」は1号坑・2号坑・3号坑と広範囲に見学していた。1974年に秦の始皇帝の墓から1,5Kmほど離れたところで干ばつに苦しむ農民の「楊志発」が井戸を掘っていて、本当に偶然に地下4メートル付近から発掘したという。しかし、当時の農民にとっては「リアルな表情をしている兵馬俑」はとても恐ろしい存在に感じられ、次から次へと表情の異なる兵馬俑が出てきて、恐ろしくなって何体も粉々に砕いてしまったらしい。・・・そして、その人物は今はアメリカ大統領とのツーショットにも写る国家的英雄になっている。

1号坑には6000体、2号坑には2000体、3号坑には68体の兵馬俑と64体の「馬車組」が発掘されたと記されていたが、今、この2016年にどのような「数」が発表されているのか知らない。そして、今日、和美さんとTOMOKOさんとの3人で、中ノ島の国立国際美術館に「始皇帝と大兵馬俑」特別展を観賞にしに行った。「秋分の日」という祝日ということが気になったが、TOMOKOさんが「木曜日」が公休になることが多いので、「人が多いだろうなあ」と予想していたが、付き合うことにした。「永遠を守るための軍団、参上」というキャッチフレーズが付いている。西梅田から歩くかタクシーを利用するか悩んでいたが、和美さんが「歩いてもいいよ!」と言ってくれたので歩くことにした。昼前に待ち合わせをしていたので、まずは堂島にある「がんこ寿司」で腹ごしらえだ。祭日というのに次から次へとお客さんが入ってくる。そばと寿司セットはボリューム満点で、サラリーマンにはかなり人気の店に違いないと思わせてくれた。

そこから歩いて10分、フェスティバルホールから西に10分ほどで到着したが、国立国際美術館の前に「長蛇の列」だ。まさに蛇行し100メートル以上続いている。一度に30名ほどづつ入館できるので嬉しい事に30分弱で入館することができた。でも、中に入ってから「当日券」の購入が必要だ。入場券は一般は1500円だ。中に入っても「待機列」ができていた。20分ほど待ってやっと展示コースに入ることができた。私は早速「音声ガイド」を520円でレンタルすることにした。和美さんは「あのタレントの壇蜜が解説してるよ!」と説明すると「あの声は私の好みじゃないから音声ガイドは私の分はいらない」と言いながら、2時間近く熱心に観賞していた。

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今回の特別展で驚いたのは、まず「副葬品」「埋蔵品」の素晴らしさだ。2001年に中国を訪れた際は「兵馬俑」をこの目で見てみたいという印象が強く、「副葬品」などにはほとんど関心が無かったが、「芸術品」ともいえる「秦公鐘」「玉装飾」「加彩陶壺」特に印象に残ったのが「鍍金蒜頭壺」(ときんさんとうこ)という名前の青銅の壺だった。その名前の中にある「蒜」という字は「にんにく」を表していて、その青銅の壺の口の部分が「にんにく」の独特の形状をしていて、2500年も昔の人間が「にんにく」の形をモチーフに青銅の壺を製作していたことに新鮮な驚きを感じたりした。

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始皇帝の功績の中で「貨幣」と「度量衡」は有名だ。この二つを支配地域すべてにおいて「統一」したのだ。「両詔量」「半量銭」「分銅」などの現物が展示されていたし、当時の建築の中に「L字形水道管」という下水処理設備が作られていたという事実だ。また「鹿紋瓦当」「太陽文瓦当」という「かわら=がとう(瓦当)」のデザインの素晴らしさだ。そして、今回の特別展で一番学びか多かったのが、数多くの「兵馬俑」の中に様々な種類があり「騎馬傭」「侍女傭」「将軍傭」「軍吏傭」「立射傭」「馬丁傭」「雑技傭」など本当に様々な種類・・・つまり、秦の始皇帝が生きていた時に「実在」していた役職・存在をすべて再現しているという凄さだ。そして、さらに今回は解説ビデオが流されていたが、一番驚いたのが「兵馬俑」のすべてに赤や青や黄色や茶色などの色彩が鮮やかに彩色されていたという事実だった。6000体もの「彩色」されていた兵馬俑を想像すると、それはもう驚くべき光景だった。そして、解説は「木製」で作られて物はすべて土の中で「消失」してしまったと説明していた。跪射傭(きしゃよう)は兵士が跪きながら弓矢を射る姿をしているはずだか、木製だった「弓矢」は消失してしまっているのだ。複製品として展示されていた「弩弓(どきゅう)」はまさに「武器」としかいえない代物だった。

そして、最後の部屋「銅馬車」は圧巻だった。発掘された際のありのままの写真が展示されていたが、発掘を担当した中国の研究者たちは本当に驚いたと思う。銅馬車は実は「棺」の代わりのものだが、その大きさは人間が一人は入れるより小さい・・・それは、明らかに「人間・始皇帝の魂」だけを運ぶことができるように製作されていたのだ。

2001年の紀行文には「この兵馬俑は中国共産党が秘密裏にでっち上げた観光誘致や世界遺産誘致のための意図的なレプリカではないだろうか。私が目にした目の前の光景は余りにも凄すぎて、これが一人の皇帝が亡くなった時に、家族や後世の人間がこれだけの財力と権力と人力を必要とすることを企画し遂行することができるだろうか?」と不信感と懐疑に満ちた表現で評価されていた・・・しかし、史実は2300年も前に38年という歳月をかけて延べ70万人の人手を使って「秦の始皇帝陵」は造営されたとされている。・・・やはり「兵馬俑」の全ては、15年という時間的経過を経て、私の中で「史実」として認めざるを得ない気持ちになっている。

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西梅田に向かう帰り道、相撲観戦を選択した和美さんとは別れ、TOMOKOさんと「市場寿司」と阪急三番街の串かつ「活」をはしごして楽しんだ。人間は「正しいこと」のために「権力」を行使することはきっと許されるに違いない。しかし、「戦争」に導くような「権力」に対しては身を賭して「対抗」しなければならない。
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by taira710 | 2016-09-23 10:16 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

今、高校生に戻ることができたら、絶対に「高校生クイズ選手権」に出たい!

2016-09-14  クイズに強い現代高校生のレベルは凄い!

毎年楽しみにしている「全国高等学校クイズ選手権」

    英語力が無ければ「優勝」はできない・・・・魅力満載!!!


 今年で「
36回目」を迎えるという。振り返れば36年前、33歳の時から年1回「この番組」を観賞するのが無類の楽しみになっている。でも、十数年前から必ず「録画」をして、コマーシャルなどは全てすっ飛ばして、純粋に「白熱するクイズ場面」のみを観賞している。時間が勿体無いし、クイズが盛り上がっている時に「コマーシャル」で中断されるのがなんとも辛いしスカンのだ。それにしても、この番組ほど全国区の番組は少ないに違いないと思う。全国5796校もの高校が参加し、各都道府県の学力有力校の二人ペアで登場するから、まずベースの員数が凄い、当然家族や同級生も数多くいるし、友人知人も多いからねずみ算式に関係者は増えていく。2015年の全国視聴率は12%程度だったらしいが、その背景にクイズマニアの高校生たちの一部が、勝ち抜いてきたメンバーが「カップル」で登場したりすることに違和感を感じたり、フロリダディズニーランドで遊んだりの遊び半分姿勢にも不満を持ち、もっと難易度の高い問題をバンバン出して本来の「知性の格闘技」にしてほしい、レベルが低すぎると反発するメンバーもかなりいるらしい。

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 今年の決勝戦には兵庫県の「灘高校」の男子ペア、埼玉県「栄東高校」の女子先輩・男子後輩のユニークペア、そして才色兼備の形容されていた「敗者復活組」から決勝戦に勝ち残った強運の「慶応女子」の女子ペアだった。特に「慶応女子ペア」の活躍と知性はなかなか魅力的だし、一瞬、「この二人」を最後まで残したいという「意図」が番組構成上あったのではないかと思うほどドラマチックな気がした。

 クイズ番組といえば、今もクイズ番組「Qさま」は本当に勉強になることが多く、これも毎週のように録画しては観賞している。特に「歴史」に関する問題が多く、初めてその歴史的人物のユニークな写真に出会うことができたり、様々な偉人の「エピソード」に出会えて、かなり為になるし知的刺激を受けることが多い。特にMCのサマーズと「優香」の醸し出す雰囲気は出場者に軽口を利いたり、かなり辛らつな皮肉を口にしたりで、従来のクイズ番組に無かったもので、彼らをMCに選出した先見さとクイズ以外の面白さも加味したこの番組のプロデューサー・構成作家などの才能には敬服する。

 家内の和美さんも「クイズ番組」が大好きだが、NHKでは面白いクイズ番組が無くなってしまって「児玉清」が司会をしていた「アタック25」が大好きで、ほとんど毎日曜日楽しみにしているし、出演者と競争するように「答え」を早く言おうとする。それが、またそばにいて見ていると楽しいのだ。以前はそんなクイズ好きの和美さんに「賞金・賞品稼ぎ」を目的にクイズ番組に出て欲しいなあと思った時期もあったが「なにアホなこと言ってるの!」と一蹴されるので、もう諦めて言わないようになってしまった。どうせ「海外旅行」をゲットできても、本人は乗り物酔いするし、7時間〜13時間も「飛行機」に乗って海外旅行するなんて「死んでも嫌!」と同じと思っているから、どうしようもない。

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 それにしても「民放」のクイズ番組はかなり面白いのに、NHKは昔は「私の秘密」といった名作番組があったのに、ここ数十年、本当に面白いと思えるクイズ番組をNHKがまったく制作しようとしない・・・怠慢さだ。NHKに就職する人間は余りにも優秀ぎるのか・・・「頭が良すぎる」「知識が豊富すぎる」が故に、「どんな問題を出題すれば面白いのか?」を想像できないのかもしれない・・・・そんな馬鹿なことはないか?「ためしてガッテン」なんてかなり面白い構成なんだから・・制作できないことはないはずだ。きっと「知識偏重」という姿勢は、公正・平等を旨とせざるをえないNHKの理念に抵触するのかもしれないとまで考えてしまう。

 話は「高校生クイズ選手権」の話に戻りたいが、ニューヨークのタイムズスクウェアーでの「出題」は副題が「忍者をさがせ!」だ。なんとタイムズスクウェアーの200メートル四方とも思える広い地域でブルーの忍者装束をした外国人を探しにいくのだが、英語での「コミュニケーション能力」がなければ「忍者のいる場所」を探すことができない。

Have you seen Ninja around here?」ニューヨークで出会った人たちに次々と聞いていく・・・「あっちの方で見たよ!」忍者を見つけると「Would you give me the question?」

その「問題用紙封筒」を大急ぎで「桝太一アナウンサー」のいる場所まで持ち帰らないといけない。ところがここから「史上はじめて」の「英語による出題」と「英語」による解答の必要性が待ち受けている。2020年の東京オリンピックが成功してから、特別に急速な速度で、外国人観光客の「インバウンド施策」の様々な側面での「外国語能力」の育成が始まっているし、昨今、小学校から大学生・大学院生まで多くの若者たちが「外国語で外国人」と交流するということを「目標」としているように感じる。

今回のクイズも①「Who is the author of “I am a cat」②「In what month will the popular vote of presidential election in U.S beheld this year?」この問題はクリントンやトランプの事に関心を持っていてもスムースに答えられない高校生がいるかも知れない。正解は「Nobember」だ③「Who is the only person showing his back to an audience in orchestra?」④「What is the percentage of the current consumption tax in Japan?」⑤「What day is it 3days after Friday?」⑥「How many dwarfs are there in the Snow White?」⑦「What is the flower that is sent as a gift on the second Sunday in May?」5月の第2 日曜日は何の日なのか

⑧「Which of the big cat animals on land is said to run the fastest?」この問題は「big cat animal」が「大型のネコ科の動物」=ライオン・トラなどを想起し、その仲間でもっとも速く走る事のできる猛獣(=fierce animal)を答えないといけない。答えは簡単だが「cheetah」と書ける人は少ないんじゃないだろうかと想像する。そんな単語は多い。例えば「オランウータン」なんて日本語に定着しすぎているが、このまま言っても外国人に100%通じない。スペルは「orangutan」と書き「アランガタン」と発音する。

もう少し続けよう。⑨「Who is the hero in Greek myths who has weakness in his heels?」英文で読むと別に難しくはないが「ヒアリング」で即座に質問の内容が正しく理解できるということはかなり「英語力」が高い。答えは「Achilles」。全ての英語の質問はそんなに難易度は高くないが、「高校生クイズ選手権」の世界に「体力」「知力」「運」以外にも「コミュニケーション能力」を問う問題が導入された事はとても重要だと感じられた。

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そして、決勝戦はなかなかハラハラドキドキさせてくれた。「慶應女子」の二人にもっと頑張って欲しかったが、クイズの分野がマニアックだし、特に「栄東の男子生徒UCHIDA君」と「灘高校の伊藤・猪俣チーム」の二人は「クイズ慣れ」していて、さらに「読み」がスピーディーで問題文の前半で答えていたケースがかなり多かった。そして、私もいろいろと勉強させてもらった。初めて耳にした字句や固有名詞も多く、「アリストテレスの提灯」がウニの口に存在する食べ物を噛み砕く器官を意味し、パン屋さんのことをフランス語で「ブランジェリー」と言うことも、「フィリバスター」という議事の進行を遅らせるために行う妨害行為・・・この言葉の「語源」を辿り、1850年代に活躍した「ウィリアム・ウォーカー」という人物・革命的扇動家の生き様に触れると、ますます面白くなってしまう。

 今年は「日本地理」と「日本歴史」が受験免除だったので、全く勉強しなかったが、去年はかなり真剣に勉強した。「山川出版社」の「日本史小事典」もかなり真っ赤になるくらい読み通した。その際に「重祚(ちょうそ)という言葉を覚えていたが、栄東高校の二人が極めて当たり前の知識として正答していたのだ。「皇極天皇」「孝謙天皇」の二人だけが天皇史の中で「一度退位した天皇が再び即位」として歴史に名前を残している。つい先日、天皇陛下が、この時、この時代「天皇陛下」の職務に関する私見を述べられたが、私たち日本国民は天皇を「象徴」として憲法に掲げている以上、もっと「人間らしい生き方」を選択していただけるように「皇室典範」を21世紀に沿った内容に改めるべきだと感じている。そんな時代背景がある時に「重祚(ちょうそ)」という言葉に出会えた意味は意義がある。日本の歴史上、繰り返されてきた「天皇」の地位を巡る様々な争い、昭和天皇の「人間宣言」から大きく「舵」が切り替わったが、まだまだ「天皇」を「人間」よりも「象徴」としての縛りで「生きる事」を強いているように感じる。

 そして、最後、灘高校の二人がシェイクスピアの戯曲のタイトルAll is well that ends well.の日本語の意味「終わりよければ全てよし」を正答して番組は終わった。余りにも「構成」が巧くできすぎていて、かなり「懐疑的」な気持ちにもなってしまったが、戦いの過程は「リアリスティック」で面白かった。奨学金2000ドルと世界研修旅行ゲットだ。彼らの未来にはきっと素晴らしい平和な世界が待ち受けている事を願いたい。030.gif030.gif030.gif016.gif074.gif079.gif


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by taira710 | 2016-09-15 23:09 | 人生をいかに生きるか! | Comments(0)

久しぶりに「こども園」を訪問・・・2歳児も覚えていてくれた!!!

2016-09-12 子供たちの歓声に感激!!

  久しぶりに子供たちに会いに行った・・・・

     みんな、私の事を覚えてくれていた・・・幸せな時間だった!!!


8
27日の土曜日にテニスに出かけたが、途中「くら寿司」で「ウナギ丼」を食べていた時に隣の席に「KOKONAちゃん」がお婆ちゃんと妹たちと一緒にお寿司を食べに来ていた。今年の3月末に「こども園」を受験勉強のために退職して半年間会っていなかったのに、直ぐに気づいてくれて嬉しい気持ちになっていた。「9月になったら、また遊びに行くからね!」と話しかけてお別れしたが、こども園はなかなか忙しいし、部外者でも自然に遊びに行ける条件のある日を捜していた。丁度、912日には「こども園」で「GG体操」というご近所のお年寄りが気軽に園内に遊びに行き、子供たちと楽しく交流できる催しが開かれると広報に掲載されていた。

 前もって「こども園」に連絡を入れると園長先生が出られて、しばらくお話をさせてもらったが「どうぞ、どうぞ!」とウェルカムな対応をしていただいた。10時からスタートということだったが、子供たちとも先生方ともお話がしたかったので、9時半過ぎに園を訪れた。受付のおばさんが私のことを覚えていてくれて、「あら、お久しぶりですね、元気にされてましたか?」と声をかけてもらった。もう中庭では「GG体操」の準備が始まっていた。

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 まず中庭を通りながら園庭の端にある「農園」の様子を見に行こうとしたら、中庭で準備をしていた先生や、子供たちを中庭に誘導しようとしていた先生が私を見つけて、向こうから「日垣先生!久しぶりですねえ!」と次々と声をかけて貰えた。さくら組のFUJITA先生はわざわざ教室から外に出てきてくださって「平先生!久しぶり!今、どうしているんですかあ?」と満面の笑みで声を掛けてくださった。FUJITA先生はもう「幼稚園・保育園」の先生が「天職」と言って良いほど「笑顔」が素敵で、子供たちに本当に好かれている先生だ。私が在職中に一人の男の子が途中入園で FUJITA先生のクラスに入ったが、面接の時からとても表情が暗く、なかなか意思表示が苦手な雰囲気を出しまくっていた。子供なのに笑顔も無く、なかなか大変かなあと予測しながら、私も心してその子の名前を意識してよく呼びかけていた。それから、数週間、その男の子はいつもや柔らかな笑顔をたたえ、FUJITA先生にジャレている姿を始終見かけるようになった。

 幼稚園の先生も保育園の保育士さんも「子供の心」を開く天性の能力が必要だ。大人だということで子供に指示・命令ばかりしている人間は「幼稚園教諭」「保育士」さんの適正があるとは言えない。こども園も人事異動があって、4月から新しい環境で勤務している先生方が67人おられたように思う。私が手入れをし、肥料を入れ、後は夏野菜の苗を植えるだけで良い状態にしていた農園は、なすびやトマトやサツマイモの葉っぱなどで覆われて青々としていた。やはり「土壌改良」と「日当たりの良さ」が見事に効を奏していた。

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 子供たちのいる教室を覗くと、もう子供達の方から「あっ、日垣先生や!日垣先生!」と声を掛けてくれる。「GG体操」には子供たちが全員参加するから教室から出てくるが、私を見つけるとあちこちから声がかかる。手を繋ぎにくるし、抱きついてくる。私が名前を知らない、この4月から入園した子供たちも、私を知っている子供たちが余りにも笑顔で「日垣先生!」と寄っていくので、その子供たちも笑顔でそばに寄って来る。一列に並んだりしないといけないので、私も「○○先生の言うこと聞いてくださいね」と声を掛けないといけなかった。

 10時から「ご近所さんたち」とのGG体操が始まった。KATOU先生の動きに合わせてBGM付きでのダンスだが、動きが早くてついて行けない。子供たちのリズム感や敏捷性を身に着けるためのダンスなのだ、まさにGrandfather&Grandmotherのための体操教室にしてはかなり「高度」過ぎたように感じました。その次は、子供たちの徒競走です。子供たちの年齢に合わせて距離を長くしていきます。10メートルから25メートルの距離を子供たちが全力で走ってきます。私は他のご近所さんの女性たちに混じってゴールで子供たちを待ち受けます。私を知っている子供たちは、7人ほどご近所さんが並んでいるのに、何人かは私を目掛けて走ってきます。多い時は5人も私に抱きついてくるのです。子供たちも嬉しそうです。内心嬉しいのと、ちょっとご近所さんにはご迷惑かなと反省したりもしてしまいました。

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 そのゲームが終了するとご近所さんたちは帰って行かれました。純粋に「体操」と「ゲームへの協力」をしに来られているようです。私は勿論、子供たちの様子をもっと見ていたいですから、園庭に残っていました。次の出し物は「パラシュートゲーム」です。保育士の先生に確認すると、今年の運動会の出し物種目とのことでした。とてもカラフルな軽い繊維で作られた「パラシュート」に使うような直径45メートルもある。最初は先生方が子供たちに「見本」を見せるが、今日が、その「初日」のようだ。子供たちの番がやってきた。パラシュートの周囲に3歳・4歳・5歳の子供たちが等間隔で並んでいく。そして、パラシュートの周囲を持ち、円運動したり、上下に大きく揺すったりする。パラシュートは空気を含み上に上がるのを、子供たちは必死になって端を押さえ込もうとすると、丁度「プリン」のような丸い膨らみが中央にできるのだ。

 子供たちはその端に腰掛けて可愛らしい動きをしたり、帽子を被っている3歳児・4歳児だけが中央の膨らみを「山」に見立てて登り始める。そして、膨らみがつぶれると、今度は元の位置に戻って同じことを繰り返し、今度は膨らみの中に5歳児が入っていく。楽しいBGMに合わせての子供たちの真剣な動きが愛らしい。そして、フィナーレはパラシュートの中から子供たちが出てきて、笑顔で万歳フィニッシュのようだが、まだまだ「試作段階」で改良の余地がある印象だった。

 4月から新規入職された「MOUTAIさん」にも挨拶させてもらった。「4月からの勤務、いかがでしたか?とても大変だったでしょう?」30歳と聞いていた女性だが、4月から6月の大変な時期を乗り越えてこられた自信と落ち着きが見受けられた。「もう大変でした。仕事が多すぎるし、子供たちの顔と名前を覚えないといけないし・・・本当に大変でした」と本音で話されていた。でも、折角、子供たちが園庭で頑張っているのに、看護師さんが事務所で「待機・電話番」をしているのが少し不思議な感じがした。私は催し物がある場合はほとんど、電話のピッチをポケットに突っ込んで、現場で子供たちの観察をさせてもらっていたが、人それぞれに「仕事のやり方」があるということだろう。

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 たった1時間半足らずの時間だったが、農園のなすびも貰い、久しぶりに子供たちの笑顔と抱きついてくる感触に触れて、心が大いに癒されたし、先生方も本当に満面の笑みで歓迎してくださって、あの半年間本当に必死で頑張って、また子供たちの名前を短期間で覚えて、本当に子供たちの心と記憶に残る「看護師」職を遂行できていたんだと思うと、本当に嬉しくなってしまった。子供たちの顔と名前はこれからも忘れることは無いだろう。またまた元気をもらえることができた。ありがとうね・・・そして、また会えるといいね。
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by taira710 | 2016-09-13 01:17 | 人と人との出会い! | Comments(0)

3年間のレッスンの成果・・・そして2年目の通訳案内士挑戦

2016-09-04 通訳案内士への関心度は高い !!!

 2ヶ月ぶりの「アルトサックス」のレッスン

    そして「通訳案内士二次試験対策無料講習会」への参加で感じたこと!


 アルトサックスの
MAKI先生にメールをした。「94日に通訳案内士の無料講習会が1250分からあるのですが、12時スタートのレッスンを11時スタートにしていただくことは可能でしょうか?」「11時にお待ちしています」との返信。天気が心配だったが、気持ちが良い朝だった。「サンデーモーニング」のスポーツコーナーで錦織圭が3回戦に勝利したニュースが報道されて「いいぞ!」と気持ちを盛り上げてくれた。和美さんはほとんどテニスには興味が無いが、リオオリンピックで「銅メダル」を獲得する活躍をした後、もう次の大会参加に向けてプライベートジェットで移動し、そして、もう全米オープンに参加して、1勝するのに2時間も3時間もコートを動き回っている錦織圭のプロとしてのハードさに呆れていた。

 IBARAKI第一教室の受付のFUMIKOさんは「最高の笑顔」で「久しぶりですね、試験大変でしたか!」など話しかけてくれる。1040分くらいに到着したのに、もうMAKI先生は教室に来られていた。今日は一番目の生徒だ。先生はピアノの練習などされていたが、今日は新大阪駅近くのビルで「通訳案内士二次試験対策無料講習会」がある。3時間も設定されているからきっと学ぶことが多いと思い申し込みをさせてもらった。本部は東京にある。1250分スタートだから、11時半にレッスンが終わっても余り余裕がない。「MAKI先生、今日は少し早めにレッスンをスタートして貰っていいですか?」「いいですよ!」といつも女性ながら包容力が豊かだ。いや、女性のほうが本質的に包容力が豊かだ。

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 2ヶ月ぶりの「アルトサックス」は少し緊張する。ちゃんと音が出るか心配だ。もう私の年になれば「口輪筋」は柔軟性を失ってしまっている。濃厚なキスなんてしたことがないので、それは無用な筋肉として「退化」もしていくだろう。最初「ドレミの音階」を吹いてみたが、「レ」の音がうまく出でない。楽器も使い慣れていないとフィット感が悪いのだ。でも、平原綾香の「威風堂々」「ジュピター」やロッド・スチュアートの「セイリング」を演奏してみたが、一発目から運指もスムースで、「音程」「音の長さ」にとても厳しいMAKI先生から「拍手」を貰えるほど的確に演奏することができた。もう3年になるが,8000円と計算して消費税をプラスするとおよそ30万円のレッスン料を支払ってきたが、私の人生の大きな「楽しみ」の一つになっている。

 レッスン後大急ぎで自宅に帰り、新大阪に向かった。といっても、会場の「サムティ・フェイム新大阪」というビルは阪急の「南方駅」から歩いて5分ほどの距離にある。日曜日ということもあり、そんなに人通りは込み合っていなかったが、ある「肉料理」の店の前には「行列」ができていた。店の名前は「タケル」・・・でも、時間が無かったので、私の昼食は「吉野家・牛丼・並・380円」を食べることにした。食事時間は3分だった。吉野家の「紅しょうが」は本当に旨い。ついつい食べ過ぎてしまう。

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 会場のビルは大きなビジネスビルだ・・・会場案内に目を通すと「9階のホール」とある。エレベータに乗ると、年配の男性が話しかけてきた。「通訳案内士の講習に来られたんですか?」「はい、そうです」「今年の一般常識、相変わらず難しかったですね。英語はbulgeなんて知らないから、大抵の人はcrackを選択するよなあ。」と実に楽しんでいる印象。よく大阪のおっさんでいるタイプです。9階でエレベーターの扉が開いて驚いてしまった。もう入り口には長蛇の列・・・老若男女入り混じって、教室への入室待ちだ。部屋に入ってみて驚いた。もう100席を超える会場が超満員で、後部には「補助パイプ椅子」を並べるといった状態。私に話しかけてきたオッちゃんは一番最前席に座りに行ったが、今回の無料講習会を主催している「小野美江子さん」とは顔見知りらしく、「今年、また来ました!」と嬉しそうに挨拶していた。予想通り「通訳案内士マニア」なのだ。

 講師は年配の男性だったが、よく英語の教師に多い、明確なイントネーションと発音をしながら喋るわかり易い講師だ。この場の説明ではじめて知ったが、「二次試験」の拘束時間は2時間ほどだが、実際の面接試験は「たった10分」程ということが分かって驚いてしまった。そうか、適切な英語が喋れるかどうか、そりゃ、10分チェックすれば十分だろうなあ。1日のスケジュールが6クールに分けられていて、朝の10時スタートの組もあれば、夕方16時半スタートの組もある。どの時間にスタートするかは一次試験の合格発表の日でないと分からないとのこと。それから「問題が流出しないように」面接時間の10分以外は「ある教室内での待機」を指示されるそうで、なかなか大変なようだ。

 概括的な説明が終わると、直ぐに実践的な練習がスタートする。例えば「日光の最大の魅力は精巧に造られた東照宮です。東照宮は徳川幕府を創った徳川家康を祀っています。その神社の入り口は陽明門と呼ばれています。そこには500を超える彫刻があります」と小野講師が日本語で喋ります。参加者は日本語の要点をメモします。そして、1分間のメモ時間が終わると即座に「通訳」をしなければなりません。一番最前列と二番目の列の人たちが順番に当てられていきます。先ほど話しかけてきたオッちゃんは実に的確な英語で通訳をしていた。立派なもんだ! その後も「神戸の灘の酒造り」「着物着用のルール」「駅弁の人気」「祇園祭」など5問題が次々と説明されていきます。かなり難易度が高い印象。酒造りの「杜氏」をどのような言葉で説明するか、プロフェッショナルでいいのか?小野講師は「sake brewers」と説明し、「sake」も英語になっているので「サーケ」と発音してくださいと指導される。

 逐次通訳の内容は本当に多岐にわたっている。「福岡県と大陸との関係」「山梨の由来」「地獄谷野猿公園」「京都の景観規則」「力士の取り組み前の儀式」などは既出問題だ。日本語で答えるのもなかなか難しいのに・・・・即座にスムースに英語で喋らないといけないなんて・・・・2分間のプレゼンテーションの問題も実に広範囲だ。「1万円札に描かれている人物」・・・「決して、聖徳太子について説明しないようにしてください」と講師は笑わせてくれる。「仏像の種類と特徴」「西国三十三札所」・・・決して「神社の名前を入れないように」と注意される。そのほか「流行語大賞」「坂本龍馬」「たんぼアート」「殺陣」「中山道」・・・・いやあ、こりゃ大変だ。さすがに最難関の国家試験だ。

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 印象に残ったアドバイスが幾つかありました。一つ目、外国人が関心を持っている日本の様々な事象について、「日本語」だけででも目を通しておいてください。日本語での説明文が頭に残っていれば何とか英語で話ができるものです・・・と。二つ目、話したい内容が3要素あっても、全てを話しきろうと焦らない。残りのひとつは試験官の「質問」に残しておくように意図するくらいの余裕が必要です・・・と。三つ目は特に大事だと強調されていました。「長い沈黙は絶対に避ける」ということで、通訳案内士になりたいという意欲をにこやかに示し続けること・・・・と言われました。ついつい「難しい英単語」で説明しがちですが、その単語を忘れてしまうとまったく喋れなくなってしまう。平易な英語で端的に説明することが求められるのです。

 「一次試験」の合否は分からないですが、とてもとても刺激を受けました。若い人たちから年配者まで・・・中には、「ええっ、この人が通訳案内士・・・」という風貌の人もいました。私もそのように思われていたのかもしれません。でも、みんな、コミュニケーションが好きな人たちに違いないという印象を受けました。さあ、「日本事象ESDIC280」というCD付きの書籍を3500円で購入しました。さあ、今日から帰って勉強です。

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by taira710 | 2016-09-08 04:55 | 人生にはさまざまのテーマがある! | Comments(0)

台風がやってくると「秋」の訪れを感じる・・・バーボンの味わいに酔う宵!!!

2016-09-03  虹色に輝くくすのきコートのテニス!

   もう9月」秋の訪れを感じる季節になりました・・・・

      「楽しいことが」いっぱい待っている・・人生の楽しみ方!!!

 TOMOKOさんが久しぶりに夕食を食べに来た。「野菜餃子」と「まぐろの山掛け」と「きのこの吸い物」「らっきょ&きゅうりの中華風漬物」だ。「お父さんその年になってよう勉強できるなあ!国家試験の問題見せてよ!」と言ったので、私が解答した原本の問題を渡すと「英語は難しすぎるわ・・こんな長文、頭痛くなってくるわ」「一般常識・・・これが一般常識なん?LCCのピーチアビエーションくらいしか分かれへんわ!40分間で、この32問題に答えなあかんのん?難しすぎるなあ」・・・試験当日、本当に時間が足らなかった。大急ぎで残りの5問題を10分間で解答した。正答してるかどうか分からない。「2015年度日本の農産物関連物品の輸出総額と輸出国と第1位の輸出品目」に関連した問題だった。「1億・3億」などの選択肢もあったが、1年間の総額がそんな金額では日本の経済が成り立っていかない。「1500億・3500億・7500億」からの選択だ。「7500億もの売り上げがあれば、もはや1兆円産業だ。もっとニュースで話題になって良い」・・・「1500億か3500億かで迷って」選んだ選択肢は間違っていた。TOMOKOさんが農林水産省のホームページで検索してくれていた。

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 輸出国の5カ国の選択肢に「米国」があった。しかし、自動車関連などは売り上げが多いが、農水産物関連が「アメリカ」が1位とは考えられない。数年前に「香港」に旅行したことがあるが、人の多さと飲食関係の世界の賑やかさは凄かった。消費者の要求する傾向が無ければ「農水産物関連品目」は輸入額が増えないはずだ。「香港」にして正解だった。輸出品目第1位はりんごや帆立貝などの生鮮食品は「単価」が低いので、「輸出総額」から逆に考えると「単価」が高い品目に違いない。「日本酒と醤油」でちょっと迷ったが「日本酒」を選択してマーキングした。「正答」だった。TOMOKOさんは刺激を受けたのか、「この問題用紙借りていくわ!」と自宅に持ち帰ってしまった。私の「一般常識」の正答率を確認してくれるのだろう。ネットには「解答速報」が掲載されているが、合格発表までに自己点検すると2ヶ月間の勉強をする気が無くなってしまう。もう「国家試験」は終わってしまったので、後は「他力本願」の世界だ。だから「ひょっとしたら合格しているかもしれない」という僅かな希望を残しておいて、それまで「二次試験のための勉強」を選択するほうが自分自身の実質的な能力を高めてくれる。

 93日のテニス、台風12号が九州南部に接近しているので、普段に比べて明らかに風が強い。ラブのテニスが摂津市の主宰する「スポーツ交流会・親睦会」が開催されるので確保できず、「くすのきコート」で14時からスタートする。「日垣さんも参加してね!」と強く声がけされていたので、午前中のミラクルはパスして、ラブに参加することにした。自転車をこぎながら35分間かけて「くすのきコート」に漸く到着した。6名の参加があったが、SUEBONが大腿二頭筋か大腿筋膜を木曜日のテニスで痛めたらしく、それでもテニスがしたい一心で「僕だけツーバウンドOKにしてほしいなあ!」との要望あり。筋肉や筋膜を傷めると直りが悪いし、無理をすると予後が良くなくなる。看護師判断でOKとすることで、メンバーに伝達させてもらった。

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 雲は台風の影響で多かったのに、青空ものぞいていて、10分間ほどまともに9月の太陽の光が全身に降り注いで、信じられないくらいの暑くて疲労度が一瞬にして急上昇した。このまま日照が続けば熱中症に間違いなくなってしまう。太陽が雲に隠れきってしまうことを願っていた。有難い事に雲がどんどん空に増え、太陽光が照射する時間帯は激減した。そして、YASUKOさんも3時半頃にやってきて、総勢7名、楽しいテニスが続いた。丁度、4時半に近づいた時、ATUCHANが突然「みんな見て、虹が出てるよ!」コートから東の空に大きな「虹」が出ていた。今まで何度も「虹」に関するブログを掲載したことがあるが「虹」には不思議な魅力を感じる。太陽の光と霧吹きがあれば簡単に「虹」を作ることができるが、天空にまたがるように架かる大きな虹は「自然現象」だから、「虹」に遭遇できることは「幸運度の指標」のように感じることが多い。

 そして午後6時まで4時間にわたるテニスは充実していた。今宵はMITSUCANの誕生日だ。水河亭での飲み会がある。YASUKOさんがご主人に電話を入れると、「私も一緒に飲みたいわ!」と参加してくれることになった。大勢参加すると盛り上がる。オークワで買出しをして、いざ「誕生祝い」の飲み会の始まり。MITSUCHANは「鯖の棒寿司」が大好きだ。握りずしと3セット1000円の特価をしていたので購入、後は「あんかけ焼きそば」だ。「シューマイ」に「大根もち」「キムチ」「ちりめんもずく酢」不思議な事に、今宵のメンバーの中に「11日元旦生まれ」が二人もいる。KEIKIママとマーちゃんだ。来年の1月の一発目の飲み会は二人の誕生祝いを兼ねた「新年会」にしよう!

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飲み会に参加しながら、明日の「アルトサックスのレッスン」と3時間もの「通訳案内士の無料講習会」が予定されているので、余り疲れすぎたくない。まだメンバーは盛り上がっている最中だったが、午後9時半には私だけお開きにさせてもらった。ビールとバーボンに気持ちよく酔えた。帰り道、安威川に掛かる橋の上から見えた「夜景」が今日の楽しかった一日を思い返させてくれた。
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by taira710 | 2016-09-06 00:49 | 人生にはさまざまのテーマがある! | Comments(0)
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人生は旅、仕事も遊びも旅さえも旅気分で楽しもう!!


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